06


ガンガンと痛い頭を抱えながらむくりと起き上がると、そこには知らない光景が広がっていた。だだっ広い部屋にお洒落な観葉植物、開けっ放しだけど明らかに広そうなウォークインクローゼット。とどめには大きな窓から見えるビル街と東京タワー。

どこのホテルだ…と思ったけどウォークインクローゼットがある時点でどこかの家であることが伺える。とりあえず起きるか…と布団を退かすと、そこには一糸纏わぬ自分の体。

「…はっ?」

これは…これは、これは。え、これは…。
飲み過ぎて記憶を無くして朝起きたら知らないベッドの上、なんてドラマの世界だと言っていた数日前の自分を鈍器で殴ってやりたい。あるじゃん、本当に。ドラマじゃなくても自分に起こってるじゃん。


「おはよー名前ちゃん」

ドアが開き、そこから登場した灰谷蘭サンの顔を見て私は絶句した。

「あぁ…さいっあく」
「え?人の顔見て一番にそれってひどくね?」
「いや、あの、今のは自分に対して言ったというか…」
「落ち込むなって。よくあるんでしょ?こーゆーこと」
「ないですよ。朝起きたら記憶ないとか初めてですよ」
「あ、やっぱ記憶飛んでた?ヤバく酔ってたもんな昨日。で、どこまで覚えてんの?」
「お寿司食べて、日本酒飲んで、春千夜のこと愚痴って……それくらいまでかな」
「あれ、残念だね。気持ちイイとこの記憶全部抜け落ちてんじゃん」

ケラケラと笑う蘭さん。あぁもうほんと最悪だ。春千夜への反発心から蘭さんについていって正直どうにでもなれ!ってヤケになってたのは確かだ。でも記憶無くすとか……まじない。今まで知らなかったけど、私日本酒は相当ダメみたいだ。

「…私、何か失礼なことしませんでしたか?嘔吐したり…」
「嘔吐?してないよ。あーでもトイレ行きたいって言うから運んで連れてってやったけど」
「トイレ!?うそ!?」
「本当」
「え…それ、あの。わ、私がトイレをしている間…蘭さんは…?え、あのドア閉めて外にいた、んですよね?」
「…さぁ。どうでしょう?」

ニヤリと笑う蘭さんの顔はなんか雰囲気があってとても素敵だった……じゃない。何考えてるんだ私。いやもうほんっとに、どうしてこんなことに…。トイレってトイレって…はぁ、死にたい。

「シャワーでも浴びてくる?」
「じゃあお言葉に甘えて…。あの、なんかバスローブとか羽織るものありませんか?バスルームまでの道のり、裸じゃ辛いんで」
「はぁ?別にもういいだろ今更そんなん。とっとと行ってこいよ」

いや、なにこの冷たさ。蘭さんは基本優しく喋ってくれるけど時々口調が冷たくなるから怖い。仕方ない、と思い素っ裸のまま人様んちの廊下を歩くと言う暴挙に出よう。寝室を出て廊下に足を踏み入れた瞬間、バサッと顔に肌触りの良いタオル地のバスローブが投げつけられた。

「嘘だよばぁか。それ使いな」

訂正。やっぱり蘭さんはそんな怖くないし、春千夜より常識人だ。




お風呂を借りて、昨日の服に着替えて、置いてあったドライヤーも借りた。更に自分のポーチから化粧品を出して軽く化粧品もする。いつどこで何が起こるか分からないからと、メイク用品のほかに常にサンプル品の化粧水やらクレンジングやら下地やらを持ち歩いてるが、やっぱり役に立つ時は役に立つのだ。

「蘭さーん。お風呂ありがとうございましたぁ。あの、使ったタオルってどこに…」

一通り身支度を整えてからリビングに行くと、ダイニングテーブルに見知らぬウルフカットの男性が座っていた。蘭さんはニコリと笑いながら「洗濯機横のカゴに入れておいて。後でハウスキーパーが洗うから」といかにもお金持ちっぽい発言をした。

「えっと、この方は?」
「弟の竜胆だよ」
「あ、弟さん!お邪魔してまぁす」
「…何こいつ。兄ちゃん趣味悪くね?」

え、いや、そういうアンタは失礼すぎない?蘭さんに目元なんかは似てるけど、喋り方と発する言葉があまりにも…ひどい。

「この子名前ちゃんって言って三途の幼馴染なんだって」
「は…?三途の?そんな奴に手ェ出したの?大丈夫かよそれ」
「でもついてきたのは名前ちゃんだから」
「あーなに、そういう感じの女?さっすが三途の幼馴染。ザ・尻軽」

この口の利き方、この竜胆って人はさぞ春千夜と気が合うんだろうなぁ、なんてぼんやり思った。生憎春千夜に散々その手の暴言は吐かれてきたから耐性はかなりついている。だから何ともない顔をしてバスルームに戻りカゴにタオルを入れることができた。はぁ。もう世の中失礼な奴ばっかだ。春千夜のこと知ってるってことはあの弟もホスト?兄弟でホストとかあるのか。でもそれって逆にお客さんにウケたりしそうかも。

「蘭さぁん、お世話になりました。帰りますね」
「送るよ」
「あ、結構でーす」
「遠慮すんなって。ほら行こう」

左手で私の腰を抱いて、右手で車のキーを掴んだ蘭さんは半ば無理やり私を送ろうとした。一人で帰りたかったけど、仕方ないか。その様子をじとーっとダイニングから見ているあの竜胆とかいう人の視線が痛かったので、不本意だけど会釈をしておいた。一応あの人の家でもあるみたいだし、そこにお邪魔していたんだし。でも案の定、奴は私に会釈を返す事なく、むしろより一層睨んできている気すらした。あの人、蘭さんじゃなくて春千夜と兄弟なんじゃないの?




「ごめんね、弟が失礼な奴で」
「あっ、いえ全然…、なんか春千夜みたいな人ですね」
「あー、たしかに言われてみればそうかも」

蘭さんは口元だけで笑いながら、ウィンカーを左に出して緩やかに左折した。昨日も思ったけど、想像より安全運転するんだなぁ。春千夜だったらこんな歩行者のいない交差点、60キロくらいのスピードで曲がりそうなのに。

「また次の日が休みの時にでも遊びに来てよ」
「あー、いやそれは……てゆーか私今日休みだって言いましたっけ?」
「んー?どうだったかな?」
「…えっ、休み知ってたとか、ないですよね…?」
「んー?どうかな?」

それを聞いてゾッとした。サロン自体の定休日ならホームページなんかを見ればすぐ調べられるけど、今日はサロンは営業日。私がシフトに入ってないだけ。勿論私は自分の休みについて蘭さんに話したことはない。……やっぱり怪しすぎる、この人。春千夜の言うとおり危ないのかも。そんな人と寝てしまったなんて…これ絶対次も誘われる、いや下手したら攫われる、よなぁ。

「名前ちゃんのマンションこの辺だったよね?」

ほら、なぜか私の住まいまで知ってる風だし。やっぱり怖すぎる。

「ここでいいですよ」
「え、マンションの前まで行くよ」
「いやいや、ほらこの辺だと停車しやすいし。うちの前道狭いんで、ほんとここで!」

蘭さんは納得できない顔をしつつも、道の端に車を寄せてくれた。シートベルトを外し、歩道のガードレールにこの高級そうなヒンジドアがぶつからないようにそぉっと少し開けてから、「ありがとうございました」とお礼を言った。

「名前ちゃん。さっさと三途と仲直りしろよ?」
「え?」
「アイツ機嫌悪いと怖ェからさ。ボスも嫌がってるし」
「ボス?あ、店長的な人ですか?うわぁアイツ自分の機嫌で上司困らせるとかまじガキですね」
「じゃあそう面と向かって言ってやってよ。あいつがなんかしたら説教に駆け付けてくれるんじゃなかった?」

そういえば、そんなこと言ってこの人と連絡先交換したんだっけ。すっかり忘れていた。ていうかあの発言はなかったことにしてほしいくらい、春千夜なんかに会いたくない。でも自分で言った言葉の責任は取らなきゃなぁ。ため息を吐きながら「分かりました」と言えば蘭さんは「よろしく頼んだよ」と言った。

蘭さんの車が去るのを見送り終わってから、マンションまでの僅かな道を歩き出す。そして鞄からスマホを出し、着信履歴から春千夜の名前を探す。数日前、春千夜から電話がかかってきた時はあんなに嬉しかったのになぁ。

なんて気を重くしていると、スマホが振動した。そして画面には『着信中 春千夜』の文字が映し出されていた。





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蘭さんは梵天のIT班にハッキングさせて名前ちゃんのサロンの勤務表を入手しました。ハッキング得意とする人達、絶対梵天にいると思うのです。




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