09


名前はオレの家に入るなり、広いだの豪華すぎるだの春千夜のくせに生意気だの言った。そりゃあお前が住んでるあんな1DKのマンションに比べりゃな…でも名前の言う通りオレの金銭感覚が崩れちまってるんだろう。

0時を過ぎ日付が変わった。窓から見える東京の夜景に名前は見入っていた。こんなもん、毎日見ていたら何も感じなくなった。だから名前のこの反応がすげぇ新鮮だった。

「で?伝えたいことって?」

名前がオレから離れたくないと言った時、マジで心臓が止まるかと思った。あのアバズレからこんな言葉出てくると思うか?なんかの間違いか揶揄いかのどっちかだと思った。こうやって易々と家に来たいとか言うし…忘れちゃいけねぇけどコイツの真髄はアバズレだ。

「春千夜、この間うちで仮眠取った時私の言葉聞こえてた?」
「どの言葉だよ」
「私が、もうそういうのは全部やめるって言ったの」
「そういうのって、どういうのだよ」
「やっぱもう夢の中でしたか」
「あ?疲れてたんだよマジであの日は」
「私さ、ずっと馬鹿みたいに色んな男と寝てたけど、もうそういうのやめる」
「…なんで」
「春千夜と、いたいから」

アバズレらしからぬ言葉に開いた口が塞がらない。…は?名前がやめる?男と寝るのを?あんな学生の頃からやり続けてきたことを?しかもオレといたいからとか本当意味がわからねぇ。

「春千夜さ…私のと初めてヤったこと、後悔してる?」
「あぁ、あんなクソみてぇな経験忘れてぇよ」
「ごめん…私が無理やり誘ってあんなことさせて。春千夜、まだああいうことはしたくなかったんだよね?ちゃんと彼女作ってからしたかったんだよね?」
「は?そうじゃねぇだろ、テメェがオレとヤったっつーのに他の男んとこ行きまくったからだろ」
「え?だってそれは…春千夜が付き合おうとも何とも言ってくれなかったから…」
「お前だって言わなかっただろうが!挙げ句の果て数日後には他の男とひっついて歩いてるお前見て胸糞悪すぎたわ」
「だからー!それは春千夜が付き合おうって言ってくれなかったから、あぁそっか一回ヤっただけで私にはもう興味ないのねって思って…!」
「だからってすぐさま他の男に走るか普通?精神イカれてんぞこの尻軽女!」

次から次へと言葉が出てきた。この10年間、名前に言いたかったことだ。コイツ…なに勘違いしてやがる?オレが他の男と歩いてるお前を見て一体どんな気持ちだったと思ってんだよ…!どんだけオレを苛々させれば気が済むんだ。

名前に一歩近づき名前の両頬を片手で掴んだ。「言いたいことはそれだけか」と睨み下ろすと、名前は目の色を変えて首を横に振った。

「ちがっ…ごめ、こっ殺さないでぇぇ」
「…殺すわけねーだろ」
「違う…春千夜、本当は私ね…、ハジメテは絶対春千夜じゃなきゃ嫌だって思ってたの。だからめちゃくちゃ嬉しかったの。すごくドキドキしたし興奮したの。春千夜と結ばれたって、あの一回のエッチが忘れられなかったの」
「…はぁ?」
「でも付き合おうって言ってもらえなくってすごく凹んだの。そしてヤケになって色んな男と寝たの。春千夜としたみたいなのを求めて色んな人と…。でも他の人じゃダメだったの。でもね、この間春千夜にただ抱き締められただけで、私あの時みたいにドキドキしたし嬉しかったの」

何、言ってんだ、この女。
オレとのあの一回が忘れられなかっただと?冗談やめろよ。んなワケねぇだろ。だってお前、オレとヤった数日後には他の男に走ってたんだぞ?なのにそんなことってあんのかよ。今更になって抱き締められただけでドキドキするとか…アバズレがなに純情ぶってんだよ。

ただただ信じられなかった。とりあえずそっとコイツの頬から手を離すとさっきまで温かった指先が急に冷える感覚がした。

「春千夜は…?やっぱ私なんて憎たらしい初体験の相手…?」

涙目で見上げてくる名前の表情に欲情しそうになった。クソだろ、この展開。こんなムカつく女地球上にコイツ以外いねぇってのに欲情しそうになるとかオレも相当イカれてる。

「…お前があの後すぐ違う男と寝始めたのは、オレとのセックスが良くなかったからだと思ってた」
「へ!?」
「気持ちいいかと聞いてもよくわかんねぇとしかお前も言わなかったし、オレばっか興奮して気持ちよくなって最後までしちまったから。だからお前はオレに愛想つかせて他の男のとこ行ったんだと思ってた」
「なに、それ。えっ嘘?そんなこと思ってたの?ちょっとさぁ、もう…付き合おうって言葉があれば私たちこんな拗れなかったの…?」
「かもな」
「言ってよ男なんだから!」
「言えるかよ!中坊だったんだぞ!初めてだったんだぞ!自信無くしてたんだよ!」
「私…あれ以降どんどん不良になってく春千夜見て絶対私のせいだと思ってて…それも心苦しくて」
「まぁな。お前のせいで世の中クソ喰らえだと思わされたからな」
「…もう……、お互い言葉足らずすぎたね」

お互い言いたいことは全部言った。名前は燃料切れになったのか、ソファに倒れるように横になった。…アホらし。この約10年間、このアバズレのことを思い出すと腹立ってばっかだった。でもコイツをこんな女にしちまったのはオレで、オレがどんどんグレていった原因も名前で。互いに互いを陥れてしまっていただけだった。


「春チャン」
「あ?」
「ごめんね。いっぱい嫌な思いさせて」
「ほんとにな」
「いや謝ってよそこはアンタも」
「謝らねぇよ、テメェが勝手に他の男に股開いてただけたろーが」
「ひどいなぁ春チャンは…」

そう言いながら名前は寝転がったまま両手を広げた。その様子をオレはただ見下ろした。ずっとずっと忘れられなかった女が手を広げているのに、だ。でも名前が弱々しくオレの名前を呼んだ瞬間、自然と体が名前の方に傾き、気づけばコイツの腕の中にいた。

「やっぱり…春千夜にぎゅーってされると幸せで涙出そうになる」
「…そーかよ」
「春千夜は?」
「…言うかよ」

言うかよ、そんなこと。言わせんじゃねぇよ。

目が合うとどちらからともなく自然と唇が重なった。名前はオレを逃さないかのように首に手を回し、オレは名前の後頭部をしっかりと掴んだ。すれ違っていたこの10年間を埋めるかのように、まるで盛りのついた動物かのように互いを求め合った。あの時みたいに気持ちいいかなんて、そんな野暮なことはもう聞かねえ。名前の表情と態度を見たら、そんなん聞く必要なんて全くねぇから。

名前が自分の腕の中にいる。オレを求めている。その事実だけで、あのクソ喰らえな経験の記憶が浄化されていった。オレをこんな気持ちにさせるのは名前だけだし、名前をこんな気持ちにさせられるのはオレ以外いねぇんだ。








「よぉ、春チャンのかーのじょっ」
「いえ…あの、ていうか何でいるんですか…」

数日後、予約のお客様も入っておらず休憩をとりつつ仕事用品の手入れをしていたら急に私の指名客がやってきた。予約もなしの急な来店、しかも私が暇してる時間に…。やっぱり絶対これ裏のルート使って調べてから来店してるよね…。

「言ったじゃん、名前ちゃんと寝られるまで通い詰めるって」
「いやでもこの間、もう会うこともないだろうけどって言ってましたよね…」
「おいおい折角来てくれた客にそんなこと言っていいのー?」
「……今日はいかがなさいますか」
「ネイルオフして新しいのやって」
「かしこまりました…」

うちのサロンにひとつだけ設けられている半個室のVIPスペース。蘭さんはそこが空いていると気づくや否やそこを使うと言った。仕方なしに店長に確認をとってからそこに移動し、アセトンを取り出して蘭さんのネイルをオフする。

「じゃあ晴れて名前ちゃんは三途と結ばれました、めでたしめでたし〜って感じ?」
「いえ、そんな結ばれたとか…。ていうか春千夜から何か聞いたんですか?」
「アイツがオレにそんな話すると思う?」
「思いません」
「そーなんだよ。だからオレの推測でしかねぇんだけど」
「別にそんな蘭さんが期待するような面白いことにはなってませんよ」
「それってつまり?」
「別に春千夜と…付き合ってる、とかじゃないです」

あの後、春千夜に抱かれた後、今度こそは付き合おうって言ってくれると思った。今度こそは言葉足らずで無駄な勘違いやすれ違いが生じないように。春千夜から言ってくれないなら私から言おうとすら思っていた。でも春千夜は言わなかった。むしろ「オレの彼女になれるなんて思ってんじゃねーよ」とまで言われたのだ。

「付き合ってないの?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「じゃあその薬指に嵌めてるのはなに?」

蘭さんの爪にホイルを巻く手が止まった。やっぱり、気づくよね、私の左薬指に嵌められたそのプラチナに。

「春千夜につけとけって嵌められたんです」
「へー、彼女じゃない女にアイツそんなことするんだ?」
「ね…もうほんと何がなんだか…」
「まぁ十中八九男避けだろうけどね」
「えっ!そうなんですか?」
「名前ちゃんに近づく男がいたらぶっ殺すつもりなんだろうね〜すげぇ独占欲の丸出し」

ちょっと浮かれて嬉しくなりそうな気持ちと、じゃあなんで彼女にしてくれないんだよって怒りの気持ちが入り乱れる。別に春千夜が何考えてるか分からないわけじゃない。あんな仕事してる人間と付き合うもんじゃねえって思ってるんでしょ?残念だけどもう私、そんな常識ぶち破ってでも春千夜と一緒にいたいと思ってるけどね!

「またはあれじゃん?彼女すっ飛ばして一気に嫁にするつもり」
「…えっ」
「アイツぶっ飛んでるしそーゆーこと考えてそうじゃん?」

蘭さんの言葉が本当だとしたら、私春千夜にプロポーズされたってこと?えっ嘘そうなの?ぜんっぜん気づかなかったけど…

「名前ちゃんが本当に三途の嫁になったらまたお持ち帰りしていい?オレ人妻とか燃えちゃうタイプなんだよねー」

ケタケタ笑いながら言う蘭さんの言葉なんて大して耳に入って来なかった。心臓がドキドキしてそれどころではなかった。春千夜…そう言えば指輪嵌める時いつもみたいにぶっきら棒で口悪かったけど、でも思い返せば早口だったし私から目を逸らしてた。てことは照れてた?え、春千夜、本当に…!?

思考を巡らせている私を蘭さんはいつもの笑ってるようで笑っていない笑顔で見ていた。そして今一度「どう?」なんて野暮なことを聞いてきた。だから私はいつもの得意の営業スマイルで、でもいつもより満面の笑みで「お断りしまぁす」と答えたんだ。




fin.




おまけ

「名前、これ嵌めとけ」
「なにこの指輪」
「いーから嵌めてとけ!」
「えっやっぱり私春チャンの彼女になれたの!?」
「なれてねーよ。つかさせるつもりもねぇよ。こんだけ待たせといて今更彼女とかあるかよ。そんだけの関係に留めとく気なんて更々ねぇからな」
「え?なに?早口すぎて聞き取れなかった」
「……テメェを彼女になんてする気ねぇからな!っつったんだよ」
「はぁ!?ふざけんなバカ千夜!」
「黙れアバズレ」







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