バツイチ同士がカタチに囚われず一緒にいる話






 いま電車乗った、と連絡をすれば私が最寄駅に着く頃には彼も最寄駅に着いていた。それが偶然なのかそれとも合わせてくれたのかは分からない。ただ何も言わず食材買って帰ろう、と私の手を取る。三ツ谷くんはそういう人なのだ。

「何にする?」
「シチューとか久々に食べたいかも」
「お、いいね。たくさん作っておけば明日も食えるね」
「ね」

 遠くの激安スーパーに行くのも悪くはないけど、仕事後の限られた時間を二人で少しでも有効に使いたいから駅前の安くもないスーパーに寄り、カートを押しながら数日分の食材を入れる。明日もシチューの残りにするとして、明後日はどうしよう。そう呟くと三ツ谷くんは適当に広告の品になっていた豚肉をカゴに入れた。彼曰く豚肉は万能だからどんな料理にでも適用できるとのこと。さすが料理慣れしているだけあるなと感心しながら彼の横顔を眺める。

「なに?」
「今日も超イケメンでかっこいいなぁって」
「はは、そりゃどーも」

 いかにも言われ慣れてます感が伺える返答。こんな風に自信と余裕が見えるところも、彼のいいところだと私は思う。でも元奥さんはそういうところが嫌だったと言ったそうだ。きっとその人と私は男の趣味が合わないに違いない。 

「シチューだからバケットも買いたい」
「なに、お前シチューにはパン派?」
「うん」
「へー。じゃ買ってくか」

 この言い方からして三ツ谷くんはきっと白米派なんだろう。というか、男の人って総じてパンよりご飯が好きな生き物だし。でも三ツ谷くんは私の意見や好みを否定しない。そういうところも私は好きだった。

 浮気されたとか他の男性に目移りしたとか、そんな決定的な理由もなく私は前夫と離婚した。結婚というものに憧れがあったからからこそ盛大に挙げた結婚式も、奮発して行った新婚旅行も、今となってはなんだったのだろうと思い返される。気づけばあの人の嫌なところばかり目につくようになり、向こうも私の行動一つ一つにケチつけるようになり、一緒にいるのが苦痛になった。何年も付き合ってからの結婚なのに、不思議なもんだなぁと思った。あの人の嫌なところも良いところも、全部分かったつもりで結婚したのに。

 もう結婚は愚か恋愛も懲り懲り。そう思っていたのに今は三ツ谷くんと一緒にいるなんて。皮肉にも私と三ツ谷くんが意気投合して距離が縮まったのは、離婚経験者同士だったからだ。お互いもう恋愛なんて、と思っていたのに気づいたら一緒にいるようになり、一緒に暮らすようになっていた。ただ籍は入れていない。いわゆる事実婚状態。でもそれで十分だった。


「やべ、作りすぎたかな」
「私が食材切りすぎちゃったね」
「ジャガイモ多すぎだとは思ってた」
「でもシチューやカレーに入ってるジャガイモって好きなんだもん」
「それ、よく妹が言ってた」

 笑いながら三ツ谷くんはお皿にシチューをよそった。私はトースターで軽く焼いたバケットを皿に乗せ、テーブルに運ぶ。熱々のシチューとバケットを口に運ぶと思わず「おいし」と声が漏れてしまった。三ツ谷くんはそんな私を見て笑ってくれた。離婚してから暫くずっと一人で食事をしていたからこそ、彼と一緒に食事する時に流れるこの柔らかい空気が好きだった。

 夕飯後、先にお風呂に入らせてもらった私はタオルで頭を拭きながらリビングに戻った。食器はもう洗われていて、ダイニングテーブルも拭かれていた。今週は私が皿洗い当番だったのに、と言えばそんなの手が空いてる方がすればいいと煙を吐きながら三ツ谷くんは言った。換気扇の下での食後の一服。これは毎日必ず彼が行うルーティンの一つだった。

「おい、折角風呂入ったのにひっつくと煙草の匂い移るぞ」
「別にもう体に染みついてるもん」

 煙草を吸う人と付き合うのは初めてだったけど、特段煙の匂いが嫌とか副流煙による健康被害は気にならなかった。三ツ谷くんの腰に背後から抱きつき、煙草を吸う彼の横顔を見上げる。黒髪に黒いフープピアス、大きな二重に藤色の瞳。毎日見ているはずなのに見飽きないのはなぜなんだろう。

「ナマエも吸ってみる?」
「いやいいよ」
「じゃあなんでこっち見てたの?」
「見られたくなかった?」
「全然。満足するまでどーぞ見てって」

 満足する日は来るのだろうか。それを知るのが怖かった。一度結婚に失敗している者同士だからこそ、夫婦というカタチには拘りたくなかった。でもそれってつまり、別れようとした時は一瞬で別れられるということ。彼と結婚したいとは思わない。でも、終わりが来ることは想像したくなかった。

 爪先立ちをして、三ツ谷くんの顎の辺りまで顔を持っていくと次の行動を読み取った彼は煙草を口から外し、私の顎を掴んで唇を重ねた。少し苦い、彼とのキス。でもこのほろ苦さも慣れてきた今は癖になっていた。

「…いつから吸ってるの?」
「んー…前の嫁とゴタゴタした頃から」
「ストレスで?」
「そう。ストレスで」
「私といるのはストレスなの?」
「まさか。なんか癖になって辞められなくなっただけだよ」

 ナマエが嫌ならやめるよ?そう言ってまだ吸えそうな長さの煙草を灰皿に押し付けた。私は首を横に振りながら、禁煙など求めてないと伝えた。前夫との生活で自分のすることにアレコレ言われるのはもう御免だと感じていたから、三ツ谷くんが好きで吸ってる煙草をやめろだなんて言う気は微塵もなかった。

「なんかさ」
「ん?」
「言葉にしづらいけど、お前といる時のこの空気感みたいの、すげぇ好き」
「え?なにそれ」
「こうやって二人でいられれば、なんかもう十分幸せだよなって感じる」

 嬉しくて、でも恥ずかしくて照れ臭くてなんて返せばいいか分からず、また「なにそれ」と笑って誤魔化した。本当は私も同じことを思っている。ただこのままあなたと二人で過ごせたらそれでいい。夫婦とか戸籍とか同じ名字を共有することとか、全部どうでもいい。結婚という言葉の響きを重視していた過去の自分が信じられないくらい、三ツ谷くんと出会ってから価値観が変わった。

 三ツ谷くんの手がするりと私の腰を撫でてくる。くすぐったい、と身を捩ればわざとらしくまた腰を撫でてくる。さっきまでは服の上からだったのに、今は肌に直に触れてくる彼の手。それがより一層くすぐったく感じた。

「ナマエ」
「なぁに」
「…いなくなるなよ、お前は」

 返事をする前に体が勝手に動き、彼の体を抱きしめていた。私が不安に感じていたこと、もしかしたらそれは三ツ谷くんも感じていたことだったのかもしれない。

「いなくならないよ、絶対」
「そりゃ良かった」

 ふ、と笑って私の頭を撫でた。もう一声あげた方がいいだろうか。私も三ツ谷くんとただ一緒にいるだけで幸せだと、ちゃんと言葉で伝えた方がいいだろうか。彼がもし些細なことでも不安に思っているなら、その不安を掻き消すのは私の仕事だと思う。   

 風呂に入ってくる、とシャツを脱ぎながらバスルームに向かう彼の背中に抱きついた。ビックリしたように目を丸くして振り向く彼。背中にぐりぐりと自分の頭をぶつけると「どした?」と優しい声が頭上から降ってきた。

「わ、私も…」
「ん?」
「私もただこうやって、特別なことしなくても三ツ谷くんと毎日過ごしていけたら…それだけで十分っていうか……すごく、幸せだから…」

 ある程度予想はしていたけど、思っていた以上にこういうことを言葉にして伝えるのは恥ずかしかった。途中何度も吃ったし言葉がすらすらと上手く出てこなかった。前夫にもこんなことは言ったことない。言わなくても伝わると思っていたから。でももし言葉で伝えていなかったことが、溝が生まれた原因になっていたとしたら…。もうそんな失敗はしたくたい。三ツ谷くんとは絶対に、そんな失敗はしたくない。

「…ん。わかってるよ」

 その言葉を聞いて、私は胸を撫で下ろした。私の想いも気持ちもちゃんと伝わっていたし、真っ直ぐに受け止めてもらえていた。抱きついていた腕を下ろし、ほっと一息吐いた。三ツ谷くんの顔をそろりと伺うと、いつものように目尻の垂れた優しい笑顔が私を迎えてくれた。

「風呂入ろうぜ」
「え?私もう入ったよ?」
「でも俺が吸ってる時抱きついてきたから煙草臭くなってんじゃん。もっかい入るべき」
「えー…めんどくさいな」
「いいから」

 確実に下心満載の顔をしていた。久々に彼のこんな顔を見たから思わず笑ってしまった。笑ってんじゃねぇよって痛くないデコピンをされ、無理やり手を繋がれてバスルームに連行していく三ツ谷くんがいつもより少しご機嫌に見えた。それがさっきの私の言葉が原因だとしたら勇気を振り絞って良かったと心底思う。そして二人で湯船に浸かりキスを交わながら、これから何十年後もこうやって過ごせるようにと願った。





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