仕事で落ち込んだ日に元カレ三ツ谷に甘える






 久々にメシでも行かない?あ、他意はないよ。

 元カレの三ツ谷から突然送られてきたメッセージ。スマホの画面を凝視しながら送り先を間違えたんじゃないのかと考えまくった。他意はない。それはつまり、私に未練とか下心とかあるわけじゃない。純粋に友達としてメシに行こうと彼は誘って来たのだ。そうか…と少し残念に思いながらも、今の私はついつい「いいよ」と返事をしてしまうほど心に余裕がなかった。

 今日はちょっと、いや結構まぁまぁ仕事でやらかしてしまった。取引先の人に迷惑をかけ、上司からは当たり前に叱責を受けた。これが相手の理不尽な言動によるものだったら誰かに愚痴でも聞いてもらおうと思えたのに、残念ながら今日の件は100パーセント私の過失によるものだ。だからこそ落ち込む。上司の言葉が何度も脳内で反芻されて更に落ち込む。正直こんな時は三ツ谷に会って昔みたいに慰めてもらいたい。都合いいように元カレを利用する嫌な女みたいだけど、でもこんな気分を晴らしてくれるのは三ツ谷だけな気がして。


「ナマエ、こっち」

 指定された居酒屋に入ると先に来ていた三ツ谷が店の奥から顔を出して手招きしてきた。一番奥のソファ席。きっと予約してくれていたんだろう。三ツ谷はそういう男だ。

「ごめんね、遅くなって」
「全然。こっちこそ急にごめんな」
「ううん。なにか用だった?」
「んー…別に?」

 そう言ってメニューから顔を少し上げてこっちを見てくるその顔は、絶対にどう見てもズルい。用がないのに呼ぶなんて、私たちはもうそんな間柄じゃないのに。三ツ谷だってそのことは分かっているはずなのに。

「とりあえず生と…料理はこのへん頼んどく?好きだよな、こういうの」
「あー…うん、好き」
「んじゃ頼むか」

 当たり前のように私の好きなものを把握しているその姿にため息が出そうだった。三ツ谷の彼女でいた期間はおよそ半年。たった半年。なのに彼は私の全てを分かっているような口振りで喋る。今私は三ツ谷の彼女じゃないのにそんな態度を取ってくるもんだから、なんだか調子が狂う。三ツ谷は優しかった。女の子が好む優しさを提供してくれる男だった。妹が二人いるから女の我儘には慣れたもんだとよく言っていたけど、そんな彼の言葉を過信して甘え過ぎた私がきっと悪かったのだろう。喧嘩が増えて、不穏な空気になる時が増えて、結局別れてしまった。周りにはあんな男を手放すなんて勿体無いと散々言われた。本当にご尤もだと思う。

「三ツ谷今日は仕事帰り?」
「そう。てか聞いてよ」
「なに?」
「前に話したファッションショーに俺が作った服出せることになった」
「えっ!?うそ!」
「ほんと」
「えっすご…だってあれすごい名誉あるショーだって…すごいじゃん!ほんと頑張ってたもんね!おめでとう」
「ありがと」

 まるで自分のことのように興奮してしまった。おかげで今日自分に起きた嫌な出来事が一瞬頭から吹っ飛んでくれたが、すぐさままた上司の言葉が脳裏に浮かんできた。三ツ谷がこんな嬉しいニュースを持ってきた日に、私のつまらない仕事の失敗話なんてできるわけない。慰めてもらおうと彼に甘えようとした自分を、心の中で殴り倒した。

「お前に報告したくってさ。急に連絡してごめんな」
「ううん、むしろ連絡してくれてありがとうだよ。三ツ谷が仕事上手くいってるみたいで良かった」
「うん。…で、お前は?」
「ん?」
「なんか落ち込んでる?嫌なことあった?」
「…私そんなこと言ったっけ?」
「言ってなくても分かるの」

 なんで、どうして。どうして私のこと全部分かってるような言い方するの。本当は自分の仕事のミスなんて話したくない。私だってちゃんとやってるって三ツ谷に思われていたい。だってかっこ悪いじゃない。成功している三ツ谷とは真逆で、失敗して上司に叱られてる自分なんて。

「ちょっと仕事でミスっただけ!」
「うん。どんなミス?」
「えー…言いたくない。思い出したくない。もう自分の中で封印したい」
「そっか、ならいいけど」

 運ばれてきた料理を突きながら三ツ谷はそう言った。深く踏み込まれなくて安心した気持ちと、意外とあっさり食い下がった彼の態度にモヤモヤする気持ち。相反する二つの感情が自分の中で渦巻く。…やっぱり私って我儘だな。そう気づくとまた、気分が落ち込んでいく。

「ナマエ、これ食う?取り分けよっか」
「…うん」
「ほら、チーズいっぱい乗ってるとこあげるから。元気出せ」
「…うん」
「後でデザートも頼んでいいから。お前が好きそうなやつあったよ。チョコクリームの」
「…うん。いや、ちょっと待って、有難いけどさ!もうこんな甘なかさないでよ」

 もう彼女じゃないんだから。と最後に一言付け足すつもりが、喉に突っかかって出てこなかった。別に彼女じゃないのは事実なのに。別れてもう何ヶ月も経ってるのに。分かってるのに、もうただの友達だって。頭じゃ分かっているのに。

「なんで?お前甘やかされるの好きじゃん」
「そういうのは彼女にだけしてあげてくださーい」
「え、いいの?俺がお前以外の彼女作って」
「……」
「そんで甘やかして」
「別に…そんなん三ツ谷の自由だし…」
「ほんとに?」

 思わず顔を伏せてしまった私を覗き込むように顔を近づけてきた。スッと伸びてきた手が私の頬を撫でるのかと思いきや、私の髪を耳に掛けるだけに留まった。その絶妙な距離が歯痒かった。ちゃんと触ってほしい。髪の毛じゃなくて、私の肌を、触ってほしかったのに。

「ナマエ。そっち座っていい?」

 私の返事を聞く前にこっち側の席に移動してきた三ツ谷。距離を開けることなくぴったりと真横に座ってきた。散々触れたことある相手なのに、隣に座られるだけでどくんどくんと心臓が鳴るから困る。

「どうしてほしい?」
「…別にどうも、」
「意地っ張りだなー相変わらず。お前そんなんじゃ俺以外の男できねぇぞ?」
「…え?」
「なぁ、今日送ったメッセージさ、あれ訂正するワ」
「え?」
「他意、バリバリあるから」

 そう言って彼は私の手を握ってきた。ビックリしてジェットコースターに乗ったときみたいに心臓が浮いた。勘弁してほしい。こっちは仕事で落ち込んでいるというのに。そんな時にこんなこと言うなんて、今日私のメンタルの振り幅大きすぎてもう壊れてしまいそうだ。

「三ツ谷」
「なに」
「無理。今日無理なの。ほんっとにもう…私しくった。もうやだ。明日会社行きたくない」
「そっか。じゃあさお前の好きな甘いもん食いながら聞いてやるから。どれがいい?選んで」
「いい…デザート要らない」
「ふぅん。じゃあどうしたい?」

 私の頭を撫でながら吐息のかかりそうな距離でそんなこと聞いてくるなんて、本当に本当にズルい男だ。分かってるくせに。全部分かってるくせに。肝心なところだけ私に言わせようとするなんて。

「…三ツ谷に、甘えたい」
「うん。どこで?」
「三ツ谷の家、で……」

 ははっと笑ってさっきとは違う頭の撫で方をした。さっきまでまるで子供をあやすようなゆっくりとした撫で方。今はお利口な犬をわしゃわしゃと撫で回すような撫で方。きっとこれは「よく言えました」の意味が込められてるんだと思う。

 頼んでしまった料理をささっと食べてから席から立ち上がり「ん」と私に手を差し出してくる。迷うことなくその手を握り、彼に引っ張られるようにしてお店を出た。「甘いものはコンビニで買っていこうな」と言う彼の一言は、落ち込んだ時にいつも甘いものを買って私の話を聞いてくれた時を思い出させてくれた。その優しさに一時的に縋ろうとしている自分が我儘すぎて嫌だ。こんな自分勝手な行い、本当に人としてどうかしてる。

 でも三ツ谷はそんな私を許容してくれるかのように、家に着いた途端玄関で私を抱きしめてくれた。ああ、もうどうにでもなれ。だって私、今こんなにこの人に甘えたいんだもん。

「ナマエ、一つ聞いていい?」
「ん?」
「俺んち来たのって単に俺に話聞いて慰めてほしいから?それとも他意ある?俺期待してもいいの?」

 私の前髪を掻き上げて剥き出しになったおでこに小さくキスされる。あれ、付き合ってた頃ですらこんなことされたことないのに。もしかして私、今日すごく甘やかしてもらえる日?そう思いながら彼の背中に手を回し、ぴたりと頬を彼の胸に預ける。そして小さな声で「期待して、いいよ」と小さな声で溢した。




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