飲み友達の灰谷蘭にバーで口説かれる






「ナマエちゃんじゃーん」

 カウンターに頭を伏していた私の頭上に降って来た声。聞き慣れたその声は顔を上げずとも誰のものか分かった。そのままの姿勢で「蘭ちゃん」と呟けば彼は何も言わずに隣の椅子に座る。

「何してんのー?」
「…酔い潰れてんの」

 たくさん飲んだ。がむしゃらに飲んだ。何もかも忘れたくて、本当に文字どおり浴びるように酒を飲んだ。普段とは違う飲み方をする私に周りは目を丸くしながらも面白がって囃し立てた。気づけば私はかつてないほど酔いが回ったし、なんならトイレで一度吐いた。そしてそのまま一人でフラフラと千鳥足でこのバーに入り、一番角の席で頭を伏せて死んでいたところだった。

 蘭ちゃんに以前連れて来てもらったこのバーは、ひっそりとしていてお客も少なく落ち着いていた。時には明らかに柄悪い人達も出入りしていたけど、蘭ちゃんが隣にいてくれればその人達がこっちに何かしてくることもなかった。だからここに来る時はいつも蘭ちゃんが一緒の時だけ。今日は初めて一人で来たけど、連絡せずとも蘭ちゃんに会えたことに安心と喜びを覚えていた。

「酔い潰れるほど楽しい飲み会してたなら呼べよ」
「全然楽しくないし…もうアレだよこれは、所謂ヤケ酒ってやつ」
「ヤケ酒ぇ?なんで?」

 蘭ちゃんからの問いに答えるために伏していた頭を上げ、少しの嘔吐感をグッと堪えながら背中を伸ばして椅子に座り直すと、いつものように余裕をかましどこか冷めた目つきの彼がいた。

「…嫌なことあって、ヤケ酒」
「男にフラれた?」
「違う……親に言われた相手と、結婚することになった」

 蘭ちゃんは少し笑ったあと「マジかよウケる」と言った。全然ウケないのだが。今時こんな政略結婚なんてあるのかとツッコミを入れてほしかったのに。家柄的に、周りの子達みたいに大学を卒業してすぐ就職なんて無理なのは分かっていた。でも卒業したら即結婚なんて、さすがに想像できない。顔も見たこともない相手。名前ですら先日初めて聞いた相手。私はその見知らぬ男性と自分の父親の顔色を伺いながら、今後の人生を過ごしていくというのか。

「んじゃあ結婚祝いに一杯奢ってやるよ」
「何それ…全然めでたくないのに」
「何飲みてぇ?」
「なんでもいい…好きなの頼んで」

 すると蘭ちゃんは聞き慣れない名前のカクテルを頼んだ。もうなんでも良かった。ここまで酔い潰れたのだから強いのでも甘いのでもなんでも来い。むしろ酔い潰れて全てを忘れて気持ちよく寝てしまいたい。

「おーい、寝ようとしてんなよ」
「もう寝て起きて全部夢でしたって展開を望んでいる…」
「それじゃあオレとここで飲んでることも夢ってことになんじゃん」
「そっか…それは寂しいかも、ちょっと」
「えーちょっとなのかよ」

 つれねー女だなぁと言いながら蘭ちゃんはバーテンダーが出してきたカクテルを私の前に置いた。どんな味かわからないが躊躇うことなく一口口に含むと、柑橘系のサッパリした味が口内に広がった。まだ少し嘔吐感の残る自分の体には飲みやすい。あぁでも少し強いかな。アルコールを大量に摂取した後だからか余計くらりと脳を刺激した。

「美味しいね。これなんてカクテル?」
「XYZ」
「へぇ。初めて飲んだ」
「お前いつも安っぽい酒ばっか飲んでそうだもんなぁ」
「六本木のカリスマさんとは違いますから」

 自分の家は確かにかなり裕福な方だと自覚はあったけど、六本木のカリスマと呼ばれる灰谷兄弟とは確実に住む世界が違った。私は夜遊びすることに憧れて夜の街に飛び出して来た不良お嬢様。蘭ちゃんはこの街を牛耳るような本物の不良。まだハタチそこそこだと言うのに彼と弟の竜胆くんを恐れる者や崇める者がこの街には大勢いた。夜遊びしている内にそんな人と知り合って飲む仲になっているというのが、未だに信じられないけど。

「これから毎日好きでもない人にお味噌汁作る日々だなんて…ほんと散々な人生だよ」
「あれじゃね?そんだけ金持ちなら家政婦が作るからお前は料理しなくていいだろ」
「いやそういうことじゃなくてさ…。働きもせず、さほど外出もせず、ただその人の帰り待つ毎日なんだよ。そして後継ぎを産めとか言われて男の子が産まれるまで子供産み続けるんだよ、多分」
「すげ、昭和かよ」
「昭和より古いかも」

 ウケるわーと蘭ちゃんはまた言った。いやだから、全然面白くないのに。そう思いながらXYZをまた喉に流した。ついぐいぐいと飲んでしまったが、後になって頭がぐらりとしてきた。本当にここで寝てしまいたい。蘭ちゃんの隣で、このまま。そしたらどんな未来が待っているのだろう。それこそ本当に想像がつかない。でもテーブルの上に置かれているその長い指先に、自分の未来を委ねてみたくもなる。

「家を継ぐため息子が欲しいってことはさ、娘が生まれたら可愛がらねーのかね」
「かもしれないよね」
「ひでぇ話。オレだったらナマエとの娘すげぇ可愛がるけど」
「…え?」
「娘って父親に似るって言うしオレに似るかな」

 蘭ちゃんなりの慰めを含めた冗談だったのかもしれないが、アルコールが回りすぎた自分の脳では処理の仕方がわからなかった。絶対に蘭ちゃんに似て美人な娘が生まれるね、だなんて適当に言葉を吐けば彼は残りわずかとなっていた私のXYZを勝手に飲み干した。ごくりと動く蘭ちゃんの喉元に目が奪われたのは、どうしてだろう。

「お前カクテル言葉とか知ってる?」
「そんなのあるの?花言葉みたいに?」
「そう」
「へえ。全然知らなかった。じゃあこれも何かカクテル言葉があるんだね」
「そ。永遠にあなたのもの、とかそんなんだったかな」
「わお、ロマンチックだね」
「お前にそんなカクテル贈っちゃう蘭ちゃんが最高にロマンチックだろぉ?」

 またよく分からない冗談を、と思いながら顔を見上げるとにんまりと笑った蘭ちゃんの顔が目の前にあった。ほらね。やっぱり冗談だ。

「こら。年上を揶揄うな」
「揶揄ってねぇよ」
「余計タチ悪いわ」
「ナマエちゃんさー、顔も知らねぇ男のとこなんて行くくらいなら、もっといいとこ行きゃいいだろ」
「いいとこあります?」
「あるじゃんここに。なぁ、ナマエちゃんのこと攫っていい?」
「本当にいいとこ連れてってくれるなら」
「んー…いや地獄かも」
「やっぱりね」
「でも、攫われてぇだろ?」

 分かっている。蘭ちゃんと共に行く先なんて地獄しかないに決まっていることくらい。でもこのまま親に言われた相手と結婚するのも地獄だ。どっちの地獄の方がいいかと暫し考えたけど、私は蘭ちゃんの手を取りその長い指先に自分の指を絡めた。そうこなくっちゃ、と蘭ちゃんは口元を緩ませて笑ってから私の腕を引き、自分の腕の中に一瞬で引き込んだ。この抱擁は、後戻りできないことを意味しているのだろう。なのに私はいま、彼の腕の中で満足気に笑っている。今から向かう地獄に、胸を躍らせながら。






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