裏返した笑顔は誰にも見せない






自販機に小銭を投入しようとした時、ミョウジ、と聞き覚えのある声に名前を呼ばれ振り返ると数ヶ月ぶりに見かける九井くんがいた。これまた偶然なのかな…。というかその服装は……

「また犬の散歩か?」
「違うよ、ココいないでしょ。いまは予備校の帰りですー。それよりその服装は何なの?」
「トップクだよ」

トップク…聞き慣れない言葉だけどそれが何なのか私の頭は一瞬で判断できた。関東卍會と書かれた白いそれは、何故かとても九井くんに似合っていた。変な話、私服よりもしっくり来ているというか。

「どれ飲むの」
「え?」
「オレコーヒーにしよ。お前は?」
「え、あ、ココア」

九井くんは何も言わずに当たり前のように私の分の飲み物も買ってくれた。そして「ん」とぶっきら棒に言ってココアの缶を投げてきた。最後に会ったのはまだコートを着ているような寒い時期だったが、今はアイスココアを飲めるくらいの季節にはなった。


「どーよ、勉強の方は」
「うーんぼちぼちかなぁ。九井くんは最近どーよ?」
「何もねぇよ特に」

本当になんもないのだろうか。その白いトップク、少し血付いてるように見えますけど。でも怖いから聞かない。九井くんが普段何してるかなんて聞かない。でも頭脳派ってイメージで敵(?)と戦ってるイメージはなかったから、服に血がついているのはちょっと意外だった。

「九井くんこの辺住んでるの?」
「全然」
「実家はこの辺?」
「まぁな」
「今日は実家に帰ってきたの?」
「実家なんてずっと帰ってねぇよ」
「じゃあなんで繁華街でもないこんなベッドタウンほっつき歩いてるの?」
「…さぁな」

缶コーヒーのプルタブを開けて飲みながら、九井くんはゆっくりと私に視線を動かしてきた。その鋭い目に見つめられると、なんだか蛇に睨まれたかのように動けなくなる。九井くんはゆっくりと私に手を伸ばしてきてそっと髪に触れてきた、あの日のように。

「髪…切ってねーじゃん」
「切るとも染めるとも言わなかったよ私は」
「そうだけど…てっきり切ってるし黒くしてると思ってた」
「なんで?」
「嫌がってるように見えたから。オレがお前に、赤音さんを重ねて見てるのを」
「そうだね。それは気分良くないよやっぱ。アカネさんが誰だか知らないけど」
「じゃあ切りゃ良かっただろ」
「嫌だよ、ショート似合わないもん」
「お前がまだこんな髪型だから…また赤音さんかと思って反応しちまっただろうが」

九井くんは私の頭をぐっと自分の胸元に押し付けるように抱いた。過去2回、九井くんに抱きしめられたことがあるけど、正面からこうされたのは初めてだった。初めて顔面に感じる九井くんの体温は、思っていたよりずっと温かかった。


「あか」
「違うよ、アカネさんじゃない」
「……悪い」
「九井くん、ちゃんと私の名前呼んでよ」
「……」
「呼べないようならもうこんなことしないで。会っても声掛けないで」

九井くんは黙ってしまった。そんなに私の名前を呼びたくないのか。そんなに頭の中で私をアカネさんと置き換えているのか。酷いよ。あんまりだよ。中1の時から何度も何度も他の女と間違えられて、その度に切ない顔されて、挙げ句の果て抱き締めてきて。結局私はアカネさんでしかないの?違うよ九井くん。私にはミョウジナマエって名前があるんだ。一度くらいあなたの腕の中でちゃんと呼んでよ。


「…ミョウジ」

私の願いが通じたのか、九井くんの口から私の名前が溢れた。嬉しくて、胸が温かくなって、気づいたら私は彼の背中に腕を回していた。すると九井くんも腕の力を強めた。初めて抱きしめられたあの日のように、肋骨が折れるほどぎしっと抱きしめられた。

「ミョウジ…」
「九井くん」
「ミョウジ、ミョウジ」
「うん、九井くん」

何度もお互いの名前を呼び合った。どうか彼の中でアカネさんという名前が消えますようにと祈りながら、私も何度も九井くんの名前を呼んだ。アカネさんと私は声は似てないと前に言っていた。だったら何度でも私のこの声で、あなたの名前を呼んでやる。


「…ごめん、痛かったよな」
「ううん…大丈夫」
「お前、骨が細い。折れそう」
「折れたら責任とってくれた?」
「…とるよ」
「ほんと?」
「うん…とる」

腕の力は弱められたが、私はまだ九井くんの腕の中にいた。おでことおでこが、鼻先と鼻先がくっつきそうな至近距離で言葉を交わし合う。ふと目が合うと、私たちの距離はもっと近づきそのまま唇が重なった。抱擁と違って、九井くんはすごく優しく唇を重ねてきた。


「…もうオレに関わんな」
「またそれ?そっちから関わってきてるくせに」
「もう本当に最後にする。もう会いに来ない。見かけても声掛けない」
「どうして?やっぱりアカネさんが、」
「アカネさんは関係ねぇ。オレみてぇな奴とは関わらない方がいい。言ってる意味わかんだろ?」

私の肩を持って九井くんは真剣な顔をして「オレのことは忘れろ」と言ってきた。私はその言葉に驚くことはなく、ただただ呆れた。ここまで私の気持ちを引っ掻き回しておいて、抱き締めてキスして挙げ句の果て「忘れろ」だ?なんて都合のいいことを言っているんだこの男は。

「無理だよ」
「無理でも忘れろ」
「よく言うよ。九井くんは私のこと忘れられるの?あのアカネさんのことも忘れられていないくせに」
「はぁ?お前が赤音さんのこと知ったような口で話すなよ!」
「知らないよ、何もその人のこと。だから教えてよ、これから」
「……」
「どんな人だったのか、九井くんにとってどんな風に大切な人だったのか…教えてよ、彼女のこと。全部聞くから。ちゃんと、受け止めるから」

九井くんの右手を私の左手でぎゅっと握った。その時初めて自分の手が震えていることに気がついた。…私、怖いんだ。ここまで言って、もし九井くんに拒まれたらどうしようってビビっているんだ。

暫し沈黙が流れた後、握られたままだった彼の手がぎゅっと私の手を握り返してきた。驚いて顔を上げると、九井くんは声を押し殺すように笑っていた。

「…お前、どんだけタフ」
「え…そうかな」
「普通聞きてぇか?自分の好きな奴が忘れられない女の話なんて」
「好きな奴、って…」
「あれ?違ぇの?」
「違うような、違くないような…」
「でも、参ったわ。降参」
「え?」
「ミョウジになら聞いてもらいてぇかも、赤音さんのことも、オレ自身のことも」
「うん…」
「後悔しても遅ぇからな」

べ、と舌を出しながら九井くんは言った。…へぇ、こんな茶目っけのあることするんだ。意外。学校で見ていた九井くんは、ろくに話さない寡黙な人。笑ってるところも怒ってるところも見たことなかった。ただ、私をアカネさんと間違えて背後から手を引く時に見せるあの切ない表情。あれは私しか知らない彼の表情だとずっと前から気づいていた。私しか知れない、彼の特別な一面だと。

九井くんは私の髪をかき上げながら「やっぱ切るのも染めるのもしなくていい」と右の口角を上げながら言ってきた。それはきっと、これからは真正面から私のことを見てくれるからという意味なんだろう。




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