縋る指先の温度






 高校最後の夏休み、ナマエの親が旅行に行っているから泊まりに来ていいと言われオレは胸を躍らせながら準備をしていた。そんな時に届いた「なんか身体ダルい今日無理かも」のメールにどれだけ落胆したことか。いや…そりゃがっかりなんだけど、そんなことより体調が悪そうなナマエを心配するべきか。


「ナマエー?入るぞ?」

 一応スーパーで食材や飲み物を買ってから訪れたナマエの家。行くことを伝えていたからか玄関の鍵は開いていた。外気温より少し気温が低い廊下を経てリビングの戸を開けると涼しい空間が広がっていた。一瞬でわかる、うちよりエアコンの温度設定が低いということが。

「ナマエ?大丈夫か?」
「んー…うん」

 ソファで横になるナマエに声をかけると半分寝ていたのか寝ぼけた声が帰ってきた。額や首元を触ってみるけど熱はなさそうだ。

「ポカリ買ってきたけど飲む?」
「隆ポカリ好きだよねぇ。私アクエリアス派なんだけど」
「そんな変わんねーだろ。飲め」

 ソファから体を起こしたナマエにポカリのペットボトルの蓋を緩めてから渡してやると、タカちゃん優しいねと微笑みながら受け取った。そして一口だけ飲み、オレの味がするだとかなんだとか意味わかんねぇことを言ってきた。うん、意味わかんねぇけど全然悪い気しねぇんだよな。

「どうした?アレの日?」
「違う」
「だよなぁ。じゃあ夏バテ?受験勉強しすぎて疲れた?」
「かなぁ」
「お前おばさん達が旅行行ってからちゃんと食ってる?なんかまた痩せた?」
「食べてない。作るの面倒で」

 やっぱり。そんな予感はしてた。買い物してきたスーパーの袋からハムと胡瓜と冷やし中華の素をチラつかせれば、ナマエはパァっと顔を明るくした。

「食べたい!」
「言うと思った」

 ナマエは昔から冷やし中華が好きだった。夏と言ったら素麺だと言い張るオレと違ってナマエは冷やし中華だと昔から主張していた。冷蔵庫の中を勝手に覗かせてもらうと卵はしっかり1パック入っていた。やはり卵くらいはあると踏んで買ってこなくて正解だった。

 台所に立ち料理を始めるオレと、ソファでテレビを見始めるナマエ。普通立場逆だろって思うけど、まぁいい。こうやってナマエにメシ作ってやることなんて、年に一回あるかどうかだし。

「できた」
「わーいありがとう」

 いただきます、と二人で手を合わせて麺を啜る。少し酸味のあるタレが食欲を上手く刺激したのか、ナマエは黙々と口へ運んだ。そんなナマエを見てただ腹減って弱ってただけかと安心する。テレビから流れる甲子園の実況中継の音声、エアコンの音、冷やし中華を啜る音…ああ今年もナマエと夏休みを過ごしているんだなと思う。

「そういえばさ」
「んー?」
「隆って3組?」
「なんで知ってんの?」
「隆の学校の制服の女の子達が、3組の三ツ谷君カッコいいよねーって電車で話してた」
「ふーん」
「反応薄っ。さすがモテる男は慣れてるから違うねぇ」

 別に特段モテねぇけど。でも中学の頃よりは女の子にそういった声をかけられることは増えた。適当に笑ってやり過ごしているけど、中にはちゃんと告白してくる子もいた。その度にオレは断っていた。理由は単純に、ナマエ以上に惹かれないからだ。勿論そんなこと口に出したことはないが。

 ご馳走様、と手を合わせたナマエが自分の皿をシンクに下げたからオレも後を追うように自分の皿を片付けた。鍋もまな板も皿も全部洗ってくれている姿に、すっかり元気になったことを確認できた。なら、いいか。洗い物が全部終わったのを見計らって後ろから抱き締め、服の中に手を入れた。水道から水が流れるのが止まると共にナマエはオレの腕を掴んだ。

「早いよ」
「いーじゃん」
「私体ダルいんだってば」
「あんな元気そうに食ってたなら平気だろ」
「盛ってるなぁ隆は」
「お前は?盛ってねぇの?」

 顎を掴んで無理やりこっちを向かせてキスをする。この夏、初めてのキスだ。本当に年齢が上がるにつれナマエと会う頻度が減ってきている。だからこうやって泊まりに来ていいと言われることがどれだけ嬉しかったか。貪るようにナマエの唇を喰らいなが、ナマエもそれくらいオレを求めてくれればいいのにと願った。

「…ちょっと、盛ったかも」

 少し照れながら言うその顔も言葉も全部、飲み込んでしまいたかった。



 夕飯は近くのファーストフードで済ませた。こんなジャンクな物も食えてるあたり、やっぱりナマエのダルさはただ空腹から来たものだと確信した。食い終わって店を出て帰る途中もアイス食べたいと言い出したから、遠回りしてコンビニに寄る。ナマエの我儘でセブンがいいと言うから、余計に遠回りだ。

「これ美味しいかなぁ?」
「大体なんでも美味いだろ」
「えー?そう?隆チョコにするの?」
「うん」
「じゃあ私このみかんのにしよ。一口食べさせてね?」
「わーってる」

 袋要りませんとレジで伝え、そのままアイスを手に取りコンビニを出た瞬間に袋を開けた。濃厚なチョコレートのアイスを一口齧って思わず「うま」と呟けばナマエは自分の買ったアイスを齧る前にオレのを食べさせてとせがんで来た。アイスの棒を掴むオレの手を掴んで、自分の口元に運ぶ。そして美味しいと目を輝かせた。

「もう一口食べていい?」
「いーよ。はい。つか交換してやる」
「えっなんで?」
「お前元々こっち食いたそうだったから」
「えーなんで分かったの?」
「なんとなく分かるの」

 明確な理由なんてない。本当になんとなく、ナマエの考えがドンピシャで分かることが昔からあった。今回もそう。ナマエは確実にチョコの方に惹かれていた。嬉しそうな顔でチョコアイスを自分の手に持ち、みかんのアイスをオレに手渡してきたのが何よりの証拠だ。でもみかんに心残りはあるから、絶対に一口くれって言ってくるに決まってる。

「そっちも一口食べたい」
「はいはい」
「あ、サッパリしてて美味しいね」
「じゃあもう一口食っとけ」
「じゃあ隆ももう一口チョコ食っとけ」

 結局実質半分こして食べたような形になった。こんなことが当たり前にできる唯一の存在、それがナマエだった。オレ達の関係は所謂セフレなのかもしれない。でもそんな単純で軽々しくて下品な言葉で表すのは違うと思う。じゃあこの関係をなんと呼んだらいいのかと聞かれると、困るんだけど。

「ねぇ今すれ違った小学生の女の子と男の子…大丈夫かな?」
「何が?」
「こんな時間で子供だけで出歩いてて。しかも男女で」
「いーじゃんそんくらい。オレらだってしてたじゃん」
「こんな遅い時間ではなかったよー」
 
 まるで昔の自分達を思い出させるような小学生二人組の背中を見つめると、あの小6の夏休みにナマエとハジメテしたことを思い出す。ただの好奇心でやっただけかもしれない。何が正解かもわからない。ナマエを傷つけた行為だったかもしれない。でも、あんなに息が苦しくなるほど胸がドキドキ日はなかった。今でもあの日を超えられる日は来ていない。

「可愛いね、カップルなのかなぁー」
「どーだろね」
「ルナとかもさぁ、もう彼氏いたりして」
「は!?」

 ルナ?急に出された妹の名前に驚きを隠せなかった。いやアイツまだ彼氏とか早いだろ。つかまだ小6じゃねぇし。大丈夫だろ、そんなんまだ…。明らかに動揺した様子のオレを見て、ナマエはクスクスと笑いながら最後の一口のアイスを口にした。

「ウケる。どんだけ戸惑ってるの」
「ねぇから。アイツにまだ男とか。絶っ対ェないから」
「わかんないよー?最近の子なんてマセてるじゃん。そんなにやだ?妹に彼氏できるのって」
「やだよ、見たくねぇ」
「ふーん…じゃあ私に彼氏できたら?」

 ナマエの問いかけは酷く残酷なものだと思った。だってそれは、オレがナマエの彼氏でないと言い切られているようなもんだったから。別に分かっていた。こんな名前のない関係性を何年も続けているんだから、自分達が付き合っているわけじゃないことなんて。いい加減ハッキリさせるためにナマエに直接言おうとと思ったこともあった。そろそろオレの彼女にならないかって。でももし否定されたら。もし困らせたら。…そう思うと言い出せなかった。自分はそんな臆病な性格だとは思わないが、ナマエのこととなると怖いくらい臆病になっていた。でも、いい加減殻を破りたい。ナマエからこんな話題を振ってくること、そうそうないんだから。


「…やだよ。お前に彼氏できたって」

 言ってやった。どう転ぶかは賭けだけど、オレ達の関係が少し変わると信じて言ってやった。

 ナマエは隣を歩くオレの手をそっと掴み、指を絡めてきた。外で手を繋ぐのは、初めてだったかもしれない。少し汗ばんだ手と手が結ばれる。細い指が掌を擽ぐるように触れてきてくすぐったかった。そしてナマエは口を開いた。たまたま側道を走るの車のクラクションで掻き消されたけど、オレの耳にはこう聞こえた。

「私も、隆に彼女できたら嫌だ」








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