Bitter than Black | ナノ




Bitter than black5



「あ」
「あっ」
「どうぞ、乗ってください」
「…すみません」

あれから数日。特に何もなく過ごせていたので高杉さんに連絡をすることもなかった。もちろん番号は頭に入ってるし携帯の電話帳からも通話履歴からも消した。山崎さんとも同じ部署とは言え班は違うしやっている業務も違うからまったく話していなかったので、私の心は穏やかだった。だから今エレベーターに乗ろうと駆け込んだことを、激しく後悔した。

「ミョウジさんも研修ですよね?」
「そうです」

ウィィンと私たち二人を乗せたエレベーターは下降していった。今日は社内研修の日だった。どうやらうちの部署からは私たち二人が参加する模様。


「どう?あれから高杉とは会ったりした?」
「あの…山崎さんはその高杉さんって人の何なんですか?お友達?家族?」
「いや、全然。こっちが一方的に知ってるだけ」
「じゃあなんでその人のことそんなに私に聞いてくるんです?」

私より少し背の高い山崎さんに目を配らせるとバッチリと目があった。そして私の目を見て彼はうーんと唸った。

「どうやら本当に何も知らないみたいだね」
「なんのことです?」
「今日さ、この研修終わる頃には定時だからそのまま帰っていいって言われてるよね?どう?時間はたっぷりあるし高杉のこと聞いてみる気にはならない?」

笑いもせず嫌な顔もせず、いつもの単調な口調で山崎さんは聞いてきた。…いや。正直めちゃくちゃ話聞きたい。だってこれ絶対になにか大きなことが隠れている。でもそれってどうなんだろう。高杉さんのこと信じてないみたいじゃない。いやいや、でも、


「会社からちょっと歩いたところに大きな公園あるでしょ。そこで待ってるから。噴水の前で」

じゃ、研修頑張ろうね。と言い彼はエレベーターを先に降りて廊下をまっすぐ歩いて行った。

どうしようどうしよう。研修後のことを考えすぎて、研修の内容なんて全く頭に入るはずがない。



* * *



「ごめん、待たせちゃったね」
「いえ。山崎さん、研修ルームの片付け頼まれてましたもんね。お疲れ様です」
「ははは…ほんと普段から雑用押し付けられがちなんだよねぇ。パシリ体質っていうか」

自嘲気味に笑う山崎さんにもう一度お疲れ様です、と言い飲み物を差し出した。ほうじ茶とカフェオレどちらにします?と聞けば彼はカフェオレを選んだ。


「ここに来てくれたってことは高杉と知り合いだってやっと認めてくれたんだね」
「だって目撃でもされてるんでしょう?」


認めたくなかった、だって高杉さんに知らないと言えって言われてたから。でも山崎さんは確実に私達が知り合いだと分かっている。きっと目撃された上写真でも撮られてるんじゃないかと思う。


「まー高杉はねぇ、簡単に言うとテロリスト予備軍なんだよ」


……はい?


「あいつの会社、表向きは普通の商社だけど裏できな臭い奴らと繋がっててさ。最近では世界的な犯罪集団とも関係持っててそこの中国支部の連中といるのも目撃されてる」
「……犯罪者、なんですか?」
「今のところはまだ罪状つけられる状況じゃないよ。ただ、そうなる可能性が高いから予備軍と言われてるって感じ」
「テロリストって…一体どんなテロを!?」
「それが分かれば警察も苦労しないんじゃないかなぁ」

ズズっとカフェオレを啜る音が隣からする。私はと言うと飲み物にまだ一切手がつけられていない。だってこんな話…信じられる?高杉さんがテロを画策してるってこと?そんなはず…あの人はただの一経営者で、そんなことしているなんて。

「本当に何も知らなかったかー。ミョウジさんなら何か知ってると思ったんだけど」
「むしろ山崎さんは何でこんなこと知ってるんです?知り合いでもなんでもないんでしょ?」
「ん?あー…俺警察の知人や身内が多くて、それで」

…いやいや、そんなこと有り得る?警察が外部の人間にそんな機密情報漏らすわけがない。普通の会社員ですら家族に話してはいけないと言われてることがあるぐらいなのに。本当に何者?この人。

「これで俺の言ってることが分かったでしょ?高杉にはもう近づかないでくださいよ。巻き込まれたり利用されたりするの、ミョウジさんだって嫌でしょ?」
「高杉さんは…私を利用するつもりなんですか?」
「そこまでは分からないけど」

信じていいのだろうか、山崎さんの言葉を。この人が警察の知人から聞いたというだけの情報を。だってこの人は私の一同僚…なんでこんなことを彼に忠告されなくてはいけないの?

「あなた、うちの会社の人間じゃないでしょ」
「なんで?ちゃんと社員証もあるよほら」
「そんなのいくらでも偽装できるんじゃない?何のためにこんなことしてるんですか?だいたい警察が知人や身内にそんな話漏らすわけないし」

そういう事もあるんだよきっと、と彼は笑った。やばい、この人本当に危ない人かも。高杉さんの協力者ではなさそうだけど、ライバル社の人か、警察の人間か、それかもしかして堅気の人間ではない…?

急に鳥肌が立ち、失礼しますと言って公園を後にした。


* * *


「あれ?ナマエちゃん?ナマエちゃんじゃない!?」


山崎さんから逃げるように公園から逃げ出し、そのまま早足で歩いていると懐かしい声に呼び止められた。

「え…?坂田さん?」
「おー覚えててくれたか」
「そちらこそ」
「当たり前じゃーん、ナマエちゃんのこと忘れるなんてありえねぇよ」

元気してる?相変わらず綺麗にしてんじゃんと顔を覗かれた。辺りを見渡せば見覚えのある場所。この辺りは雑誌に載ってた頃撮影でよく使われたスタジオがあった。気づかぬうちにこんなところまで歩いて来ちゃったようだ。

「撮影ですか?」
「そーそー。あ、でもさぁ今はメンズ誌担当なのよ。なにが楽しくて着飾った野郎撮らなきゃならねーんだよ。前みたいに可愛い女の子たち撮りてえわ」

でも一番撮りたいのはグラドルだけどね、とヘラっと笑うこの人はカメラマンで、私も何度かお世話になったことがある。ヘラヘラしてる印象だが、カメラを構えると急に真剣な顔になる。しかも撮る写真もなかなか良い。更に親しみやすい性格でもあるからモデルの若い女の子たちから結構人気だった。

「急に読書モデル辞めちゃったって聞いてさ、びっくりしたよ。いまは?他の出版社の雑誌に載ってたり?」
「いいえ。もう会社員一本です」
「ふーん、その割には相変わらずキラキラ女子してんじゃん」
「気のせいですよ、坂田さんが男性ばっかり撮ってるからそう見えるだけ」
「あー…それはあるかも。もう野郎は腹一杯だわ…。あ、そういやメシ食った?そこに新しくできたラーメン屋美味いんだけどさ、どう?」

坂田さんが指差したお店はたしかに私は見たことないラーメン屋だった。美味しそうな魚介類の出汁の香りがする。


「あ、そっか。キラキラ女子はラーメンじゃないか。…あーっと、ちょっと行ったとこにガレット屋あったよね、そこにする?」

明らかにガレットなんて食べたくないって顔に書いてあるもんだから、思わず吹き出してしまった。そういえばよく女の子たちと、あそこのガレット屋さんは料理もお店の雰囲気もオシャレで映えるとか言ってよく通ってたっけ。ラーメンがいいです、と言えばさすが分かってるねと言い、坂田さんは笑った。





「ナマエちゃんなんか前より顔渋くなったよね」
「渋っ…!?そりゃあ誌面に載らなくなれば気も緩んでおっさん化してきますよ」
「そうじゃなくってさ、なんか眉間にしわ寄せて迫力があるっつーか」

それは、ついさっきまでとんでもない話を聞いたり山崎さんのこと怖くなったからだ。なんて何も知らないこの人に話せるわけない。

「なに?男関連?」
「もー…すぐ皆そういう事言う…」
「え?当たりなの?彼氏できちゃった?」
「話、聞いてくれます?」

自分とさほど親しくない人間だからこそ、話しやすいもんだったりする。坂田さんはラーメンを啜りながら聞く聞く、と言ってくれた。そこで私は好きな人がいるんです、と割り箸を割りながら切り出した。


「私、パパ活しててその相手が好きなんです」
「ぶっ!!えっ!?ナマエちゃんそんなことする子だとは思わなかったよ!?えっパパって、え!?いや他の読モの子達はそういうのしてたけど…え!?」
「やっぱり驚きますよね。私も読モ仲間に誘われたのがきっかけだったんですけど…私らしくないですよね」
「お、オジサンが相手なの…?」
「いえ、私より少し年上の経営者の方です。案外オジサンばかりじゃないんですよ、こういうのって」
「若手実業家系ね。まぁ確かに多いって聞く」

久しぶりに食べるラーメンはとてつもなく美味しく感じ食欲を刺激した。ズルズルと麺をすする私を見ながら坂田さんはいい食べっぷりだと言ってくれた。

「で?そいつの恋人になりたくなっちゃったと?」
「はい。でも自分で言うのもなんですがいい雰囲気だと思ってたんですけど…なんていうか、好きになっちゃいけない人だったというか」
「あ、わかった。妻子持ちだったんでしょ!」
「そうではなく…大声で言えないけどなんか、ちょっと裏でいけない事してる、的な…」
「……それはやめとけ」
「ですよねぇ」
「法に触れるような事してるって意味だろ?」
「おそらく…」
「あーやめやめ!それはやめな!そいつが警察に捕まるようなことあればナマエちゃんも疑われたりすんだよ?危なすぎんだろそんなの」

急に説教するかのような口調になった坂田さんに、返す言葉もなかった。山崎さんも坂田さんも、尤もなことを言ってる。私はだってそれが正しいことだって分かってる。でもどうしても高杉さんから離れたくないという気持ちが心の中で疼いている。だってあんなに惹かれる人、もう二度と会えない。

「もう会えないと思うと辛い?」
「…はい」
「寂しいことあるならいくらでも俺が慰めてやるよ?」

俺の番号まだ消してないよね?と言いながら肩を抱いてくる坂田さん。この人は、本当に…。軽蔑した目で肩の手を払い除けた。

「やめてください坂田さん」
「つれないなぁ。銀ちゃんて呼んでくれよ」
「嫌です。色んな読モの女の子に手出したこと私でも知ってるんですからね」
「それはわりと向こうから寄ってくることが多かったけどねー」

またヘラっと笑った。本当だらしない人だと思う。でも今日久々に話してみて、彼が話しやすい人間だと再認識した。女は結局親しみやすい優しい男が好きだからなぁと思いながらラーメンのスープを飲んだ。


「まぁでもほんと、なんか困ったことあったら言ってよ。助けられることは助けるよ」


そういえば先日総くんにも同じようなこと言われたなと思い出す。彼はもっと強引な言い方だったけど。渡された電話番号のメモも実は捨てられず鞄の内ポケットに入れっぱなしだ。でも実際何かあった時は坂田さんと総くん、どちらに助けを求めるのが賢明なんだろう…。とりあえず坂田さんにありがとうございますとお礼を言い、その日はお開きとなった。



×