Bitter than Black | ナノ





Bitter than black 4



それから数日経ったが、山崎さんはいつもと変わらぬ様子で出社し、仕事をこなしていた。あの日の彼は一体なんだったんだろう。あの話題もあれ以来してこない。私がわかる限りだと、尾行もされていないと思う。なのに怖くて高杉さんのマンションに行くことはできなかった。それに連絡しようと思っていたが、それもできていない。だって山崎さんのあの言い方からすると、高杉さんは危ない事をしている…それを本人に聞くことすら私は怯えていた。

なんだか一人で家にいるのも怖くなり、久しぶりにあの高杉さんと出会ったバーに行くことにした。別にそこに行けば会えるかもしれないなんて思っていない。私はあれ以来あのお店が気に入ってちょくちょく飲みに行っているが、高杉さんはあの後一度も行ってないらしい。現にお店で彼に遭遇したことはなかった。



「あれ、ナマエさん。2週間ぶりですね」
「よく覚えてるわね」
「週一で来てくれるって言ってたのに来てくれねェからですよ」
「ごめんごめん総くん。私も仕事とか色々あってね」

3ヶ月くらい前にここで働き始めたバーテンダーの総くんは、私がいつも一人で来店するからかよく話しかけてくれるようになり、今では総くんと話しにここに来ているといっても過言ではない。私より何歳か若いであろう彼はそのルックスも相まって女性客のハートをがっちりと掴んでいる。そのうちイケメンバーテンダーなんてタイトルで誌面に出てきそうな男の子だ。


「マルゲリータとスティックサラダ、あとタコのマリネとソーセージの盛り合わせちょうだい」
「すげぇがっつきますね」
「うん、もうお腹空いてしょうがなくって…あ、お酒は総くんが適当に合うもの作って」


総くんは奥にいるマスターに私が注文したフードメニューを伝え、そしてお酒を作り始めた。ボトルからリキュールを出すその姿は随分とサマになっている。可愛いなぁ総くんは。女の子が放っておかないのも分かる。高杉さんとは全く違うタイプの男の子だ。


「俺の顔、なんかついてますか?」
「えっ」
「じーっと見てるから」
「うん。可愛いなぁと思って」
「ナマエさん、男に可愛いはねぇですよ。かっこいいって言われた方が何倍も嬉しいもんですぜ」
「そっか…ごめん。でもなぁ年下の男の子だとどうしても可愛いって思っちゃって」

総くんが作ってくれたお酒を口に流すと、じわりと喉が熱くなり空腹の胃を刺激した。そして出された野菜のスティックサラダをぽりぽりと食べ始めた。仕事と、山崎さんのことと、高杉さんのことで頭が一日中グルグルしているせいか以前よりお腹が空きやすい。エネルギー消費してるんだろうなあ。家でもなんだか落ち着かない日々なので、ここで総くんと話しながら食事するのが今一番落ち着く方法かもしれない。

「悩んでますね」
「わかる?」
「はい。彼氏のことですか?」
「私彼氏いないって知ってるでしょ?」
「この2週間の間にできたのかなと」
「残念。そんなこと全くありませんでした」
「そりゃ安心しやした」

出た、総くんお得意の色恋営業。今までも何度かこういうこと言われたことあるが、彼が他の女の子にもこういう態度だということは知っている。最初はパパ活のために来店していたであろう女の子たちも、知らぬうちに総くん目的で来店するようになっている程だ。マスターは売り上げが上がったと喜んでいたけど。

「でも…いつだっけ、この間の土曜か日曜この辺りに男性といましたよね?パーティードレス着て」
「…見たの?」
「ちょうどここに出勤する時間帯だったんで」

ニヤリと笑いながら総くんは熱々のマルゲリータを出してきた。トロリととろけ落ちるチーズが食欲をそそった。


「あの人は彼氏とは違ェんですか?」
「違うなぁ」
「へーじゃあ何だ、友達?って感じもしなかったしなぁ。あ、もしかしてパトロン?」
「そんな人いるわけないでしょ」
「だってこのバー、パトロン探しの女の子がよく来るところなんでしょ?」
「そうなの?やだ、じゃあ私毎回一人で来ててそれ目当てだと思われてた?」

山崎さんのおかげなのかここ数日でシラを切るのがだいぶ上手くなった気がする。マルゲリータを口にしているとオーダーした残りの料理も私の前に出してくれた。


「かっこいい大人な雰囲気の男性でしたよね。ナマエさんはあんな感じの人が好みで?」
「私特段好みとかはないよ。好きになった人が好み」
「じゃあ俺も頑張れば可能性あるって思っちゃいますよ?」
「…総くんさぁ、そうやって女の子に思わせぶりなこと言うのやめなよ。お客さん増やしたいだけなのかもしれないけど、後々恨まれたりしないか心配。女って怖いのよ?」
「何勘違いしてるのか知りませんが、俺が口説く女はナマエさんだけですぜ」
「呆れた…本当に色恋営業のプロね。バーテンよりホストの方が向いてるんじゃない?」

第一今更私にそんなことしなくたって、とっくにこのお店の常連なのに。本当に総くんが考えていることは分からない。他の女の子が話しかけに来たらキラースマイルと呼ばれるような爽やかな笑顔を振りまいて接客している。


「総くん、お会計お願い」
「え?もう帰るんで?食いに来ただけじゃねーですか」
「そうだよ」
「もう一杯飲んでってくださいよ。あと一時間で俺上がるんで送りますから」
「そんな待ってられないわ」


財布を持って、早く早くと会計を促すと彼は納得しない顔でレジスターに向かった。言い渡された金額を払い、ご馳走さまと告げてお店を出ようとすると総くんに腕を掴まれ小さなメモ用紙を手に握らされた。


「 ナマエさん、これ。俺の番号」
「え…?」
「なんか悩んでるんでしょう?困ったことがあったらいつでも電話してください」
「…お気持ちだけありがとう」
「つれないなァ ナマエさん」

グイッと強く腕を引っ張られ自分の顔が総くんの顔に近づいたことに気づいた。

「頼ってくださいよ。いつでもどこにでも…駆けつけますんで」

耳元で囁かれた彼の声はいつもバーカウンター越しに聞く声より低いものだった。いつもと違う雰囲気の彼に背中がぞくりとし、慌てて離れた。


「そんな気遣ってもらわなくても大丈夫よ」



* * *



土曜日。一週間の疲れをとるために思いっきり朝寝坊をした。今週は疲れた…仕事も勿論だけど、月曜から山崎さんにあんなこと言われ、心の安寧のために訪れた行きつけのバーでは総くんにあんな態度とられ…もう当分お店に行きにくい。

でも何でこんな悩まされてるのか、その原因は分かっている。悩みの種の本人に直接聞けば心のモヤモヤはなくなる。この悩みを相談できる相手は他でもない張本人だけだ。よしっと気合を入れて、スマホを手にする。


『どうした、珍しいな』

珍しいもなにも、自分から高杉さんに電話するのは初めてだった。出てくれるか不安だったが、2コール目で出てくれたことに安心した。


「おはようございます。いまお仕事中ですか?」
『あぁ、でも一人だから大丈夫だ』
「あの、ちょっと…会って話したいことが」
『じゃああのマンションで待ってろ。昼過ぎには行ける』
「わかりました。では、また後ほど」

用件だけの通話は想像以上に短くあっさりと終わった。お昼まではまだ時間があるが、高杉さんと会うならしっかりと身支度したい。顔を洗い今日は朝からパックしちゃおう。彼にあのことを聞くドキドキと、純粋に彼に会えるドキドキが入り混じりながら、私は準備を始めた。







「悪い、遅くなった」
「いえ。お仕事お疲れ様です」


昼過ぎ、と言われたが高杉さんが現れたのは2時過ぎだった。土曜日だからなのかノーネクタイだ。白地に紺のストライプが入ったワイシャツのボタンを緩めながらソファに腰掛ける彼の姿は、見惚れてしまうほど様になっている。


「お昼食べました?パン買ってきたんですが、良かったらどうぞ」
「おぉ、腹減ってたとこだ。もらう」
「お皿出しますね」

キッチンには少しだけお皿やカトラリーが置かれているのはチェック済みだ。シンプルな真っ白なお皿を二枚とコンビニで買ってきたアイスティーを冷蔵庫から出して彼の元に戻る。高杉さんは本当にお腹が空いていたのか早速サンドウィッチに食らいついていた。

「いつも土曜も働いているんですか?」
「必要に応じてな」
「いま、お仕事忙しい時期とか?」
「一時期ほどじゃねェけどな」
「お仕事って、いまどんなことを…」
「ナマエ、話したいことってなんだ」

どう切り出せばいいか分からず回りくどく仕事のことを聞いてみたが、無駄だったようだ。高杉さんが回りくどいのを嫌うのは分かっていたのに、私ったら…。膝の上で拳を作り覚悟を決め、今日の本題に移った。


「月曜日に高杉さんとのことを聞かれました。山崎さんて方なんですが…お知り合いなんですよね?」
「山崎…しらねぇな」
「えっ?でもあちらは高杉さんのことご存知のようでしたけど」
「どこの山崎だ」
「どこって言われても…私の職場にいる方です。下の名前は……あれ、なんだったっけな」

なるほどな、と高杉さんは呟きながら二つ目のサンドウィッチに手をかけた。何がなるほどなんだろう。山崎さんと知り合いじゃないとなると、一方的に知られてるってこと?たしかに高杉さんは経営者だから、外から知られてることもあるだろうけど。


「その山崎さんに、高杉さんとこれ以上一緒にいては危険だと言われました。私はなんのことかさっぱり分かりません。でも…ろくに話したことない職場の人がわざわざそう言ってくるんだから何か意味はあるんだと思っています。…高杉さん、教えていただけますか?」

高杉さんは鋭い目つきで私を睨むように見てきた。その目に私は一瞬怯んでしまいそうになるがぐっと堪えて彼の目を見続けた。


「もう俺たちは会わない方がいいかもな」
「どうしてですか…?」
「そいつの言うことを聞いた方が賢明だからだ。それ以上言うことはない」
「何をしているのか教えてはくれないのですか?」
「なんもしてねェよ。ただ、俺みたいな男から金貰って会ってるのは良くねぇだろ。そいつが言ったこともそういう意味だ」
「本当ですか…?」
「ああ」

なんだかいまいち腑に落ちない。けど、これ以上踏み込んで聞くのも怖かった。それにもう会えないの?せっかく部屋の鍵を貰えるほどの関係になれたのに、これでお終いだなんて。今週だってずっと会いたくて会いたくて仕方なかったのに。


「念のため俺の番号は携帯から消しておけ」

それは私を拒絶する言葉に聞こえた。本当にもう会えなくなる、関係ない人になってしまう。そう思うと自然と涙が頬を伝った。私の涙を見た高杉さんはギョッとしたのか、慌てて私の隣に座ってきた。


「ナマエ、おまえ」
「もう、私は要らない女ですか…?」
「違ェだろ、そんなこと言ってない。お前のためを思って言っているだけだ」
「私のためを思うなら今までどおり会ってください」
「…今までのようにはいかねェ。でもこの部屋の鍵は返さなくていい。必要な時使え。時を見計らって俺も会いに来る。けど俺の番号は消しておけ。そのかわり暗記して連絡は取れるようにしておいてくれ」
「そんなこと言われたら…困った時は連絡しちゃいますからね」
「大いに結構だ」

突き放されたと思ったけど、そんなことないらしい。電話番号なんてすぐに暗記してみせる。なんなら下四桁はもう自然と暗記しちゃっている。まだ涙を見せる私を高杉さんは優しく腕の中に収めてくれる。これ以上ない幸せだ。





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