それは甘美な安住の床

「名前ちゃんおはよ。朝ご飯できてるよ」
「うん…ありがとう…」
「コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「えと…コーヒーで」

おっけーとキッチンから聞こえてくる声を背に、私はトイレに行く。バタンとドアを閉じてから便座に座り、頭を抱えた。

…いや、どうしてこうなった。こんなはずじゃなかったのに……。


三ツ谷くんが私の家をひっさびさに訪ねてきたのは一昨日のことだった。そして「暫く住ませてくれ」と頼まれたのも、その日だった。理由を聞けば、今住んでるところを更新のタイミングで退去する予定で新しい物件ももう契約していたハズだったのに、不動産会社の手違いで契約されていなかったと言う。今のところももう次に住む人が決まってるから出ていかなきゃならず、住む場所が決まるまで私の家に住まわせてくれと言うのだ。

…そんなこと、ある?どんな悪徳不動産屋だよそれ。三ツ谷くん曰く、友達の不動産屋らしいけどその友達が脳みそミジンコほどのアホらしいが……いやでもさぁ、そんなことある!?

でもそんな彼の嘘くさい話を聞いた上で承諾してしまったのは私だから仕方ない。溜息を吐きながらトイレを流し、洗面所で洗顔を済ませてリビングに戻った。そこには淹れたてのコーヒーと朝食。あ、今日は洋食だ。


「…いただきます」
「うん、どーぞ。大したもんじゃないけど」

普段朝なんて菓子パンとかヨーグルトしか食べない自分にとってはかなり豪華な朝食だ。目玉焼きなんて、食べるのいつぶりだろう。

「今日オレ午後からなんだ、仕事」
「えっ、あ、そうなの?なら寝てれば良かったのに」
「でも名前ちゃんに朝メシ作りたかったからさ」
「ありがとう…」
「当然だよ。居候なんだから」

三ツ谷くんは住ませてくれる間はご飯の用意はすると言ってくれた。夜ご飯だけでいいって言ったのに昨日も今日も朝ごはんも用意してくれた。部屋の隅には三ツ谷くんの着替えとか身の回り品が入った段ボールが二箱だけ積まれている。早二日であの段ボールも部屋に馴染んできてる気がする…。因みに家具や家電は一時的にレンタル倉庫に保管してあるらしい。


「じゃあ今日は帰り遅いんだ?」
「うん。夕飯は冷蔵庫に入れておくから温めて食べてね。あと先に寝てていいから」

そういえば前も寝ててもいいから…とか言われたけど、結局来なかったなと思い出す。この男の口から出る言葉はあまり信じていいものではない。住むところないってのも、同棲してる女に急に追い出されたんじゃないのって正直思っている。それなのに普段の寂しさからか彼を受け入れてしまっている自分が虚しい。


「名前ちゃん、オレ絶対帰ってくるから」
「え?」
「前はほんとごめんな。寝てていいとか言って結局行かなくて…でも今日は絶対帰るから。スマホ水没しても絶対帰るから」
「…うん」

虚しいけど、自分の欲しい言葉を欲しい時にくれる三ツ谷くんに、そばにいてほしくなってしまう。



「はい、これ」

朝の支度が終わり、玄関で靴を履こうとしている私に三ツ谷くんが渡してきたのは、

「…お弁当?」
「そっ。いつも外食かコンビニなんだろ?」
「えっうそ…お弁当まで作れるの!?」
「詰めるだけじゃん。毎日は無理だけど、今日は時間あったから特別な?」

何この人。どんだけ疲れた私の心を癒やしてくれるの。感激して涙が出そうになるのをグッと堪えてお礼を言いながらお弁当を受け取った。

「いってらっしゃい、名前ちゃん」

そう言ってキスしてくれるんだから、私は今日も一日頑張ろうと思えてしまう。うん、単純だ。




 

「えっ名前お弁当?どうしたの?」

昼休み、お弁当を広げる私を見て同期の仲良しが驚いて声をかけてきた。そういえば、三ツ谷くんにナンパされた日、彼女の子供が熱を急に出さなかったら三ツ谷くんに出会ってなかったのか…と不思議な気持ちになる。

「ちょっとたまには、ね」
「絶対それあんた作ってないでしょ」
「えっ」
「いや分かるよ。あんた料理しないじゃん。誰が作ったのー?まさか…彼氏できた?」

その言葉に冷や汗が垂れる。彼氏…ではない。じゃあ何かって聞かれたら分からないんだけど。セフレでもないと思う、少なくとも今は。なぜなら三ツ谷くんと再会してから一度もえっちはしていない。じゃあルームメイト?いやでも、いずれにせよ彼の存在を開けっぴろげに話したくはない。

「ちょっと今お母さんが来てて」
「あ〜なるほどねぇ」

適当に嘘を吐きながらお弁当をつつく。…え、彩りいいし美味しいしなにこれ!?どうなってるのあの男!?友人も「美味しそうだね」と言いながら自分のタッパーを開けながら食べ始めた。彼女のお弁当と比べると、三ツ谷くんの作ったお弁当はかなり華やかだ。


「もうさーそんなお弁当に力入れられなくなったよ、自分のも旦那のも」
「旦那さんにも作ってるんだ?」
「そ。毎日外食されちゃ敵わないしね。節約節約」
「やっぱ…お子さんいると節約節約な毎日?」
「うんそりゃあね。これからどんどんお金かかるし、あともう1〜2人子供欲しいし…となると、私もそのうち仕事辞める可能性もあるし…」

げっそりしながれ言う友人を見て私はやっぱりこういう生活はなぁ…と思ってしまった。周りの結婚ラッシュを見て私も結婚したい、どうして私だけ幸せになれないんだ、と虚しくなっていたけど、やっぱり自由気ままに自分の為だけに生活してる方が肌に合っているかも。でも彼氏は欲しいよなぁ。私を癒してくれて、優しくて、更に家事もしてくれたら尚よし。そしてえっち上手くて好きっていっぱい言ってくれるような……

「って、あれ…」

それ、三ツ谷隆じゃん。

いやいや…でもアイツはだめ。だめっしょ。いくら条件が合っていても他の女と掛け持ちされたらそれこそ虚しい。頭に浮かんだ彼の顔を振り払うかのように頭を左右に振る私を見て、友人は「どうしたの?」と質素な弁当を食べながら言った。



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