夢の向こうの現実


「名前ちゃんおかえりー」
「あ、ただいま…帰ってたんだ」
「うん。ご飯温め直すね」

三ツ谷隆がまた私の家に居候という形で生活し始めて1か月が経った。相変わらず朝晩のご飯の準備はしてくれたが、洗濯や掃除は私が頼んだ時だけになったこと、そして家賃光熱費についても相変わらずスルーされている感が気になるが……まぁ目を瞑っておこう。

三ツ谷くんが作ってくれた牛丼とお味噌汁。簡単なもんでごめんなって言われたけど、労働後の疲れた体はがっつりと肉を求めてたし、お味噌汁は体の芯の疲れをほぐしてくれるから最高だった。連日猛暑日ばっかだった夏も終わり、少しだけ肌寒い夜も増えてきた今日この頃、三ツ谷くんの作るお味噌汁は体に沁みた。

「ねぇ今度さぁ、どこか出掛けない?」
「はっ?」
「え?オレなんか変なこと言った?」
「い、言ってない…」
「オレが名前ちゃんと違って土日も仕事の時あるからなかなか出掛けられてないじゃん」
「うん、そうだね」
「今週の土曜は?予定ある?」
「ないよ」
「じゃあ出掛けるか」

これは…デート?だよ、ね?三ツ谷くんと出掛けるのなんて、近所の中華料理店に食べに行ったあの日以来だ。しかもちゃんと約束して出掛けるなんて…どこ行くんだろう。ここ行きたい!とか私がリクエストするべきなのかな。それともここは男である三ツ谷くんに任せた方がいいのかな。…あれ、なんでデート一つで私こんな色々考え込んじゃってるの?中学生かよ。

「ごちそーさま」

一足先に食べ終えた三ツ谷くんは食べ終えた食器をシンクに置いた。おい、洗わないのかよ、せめて自分の分くらい洗えよクズ男。と思いながらもデートのお誘いを受けたことでニヤけそうな口元を隠すように、残りの味噌汁を啜った。



食器を洗い終え、お風呂も洗ってお湯を溜めた。「あと10分くらいでお風呂沸くからねー」と彼に声をかけるが、真剣な顔をしてスマホに向かい合っていて返事は返ってこない。

「三ツ谷くん、聞こえてた?」
「ん?あ、なに?」
「お風呂、もうすぐ沸くからね」
「あぁサンキュ」
「真剣な顔してたけど、仕事の連絡かなんか?」
「ううん、女の子に」
「……はい?」
「あれだよ?もう切った女の子。連絡来たけどもう会えねえからって返事してたの」
「そんな…真剣な顔で…?」
「だって神経逆撫でないようにしっかり文章考えなきゃじゃん?」

真顔で言ってくるこのクズ男に、なんて反応すればいいのやら…。もう会わないって連絡してくれているのは嬉しいが、なんていうか、こういうことを開けっ広げに話してくるところが……

「あ、そーだこれ、名前ちゃんにあげる」

そう言って鞄から彼が出してきたのは、簡単にラッピングされたハンドクリームだった。

「え…?」
「名前ちゃん、最近洗い物とか風呂掃除とか頑張ってくれてるから、手荒れてきてない?ちょっと乾燥する季節にもなってきたし」
「あ、そうなの。ちょっと指先とかカサカサして来てて」
「だろ?だから使って。これすげぇいい匂いだったから」

恐る恐るラッピングのリボンを解いて、ハンドクリームの蓋を外してほんの少し手の甲に取ってみた。ふわりと漂う優しいジャスミンの香り。あ、こういう香り、結構好きなやつだ。

「いい匂い…」
「だろ?なんか名前ちゃんぽいなーって思って」
「え、ほんとに?」
「ほんとほんと。ねぇ貸して。オレが塗ってあげる」

ハンドクリームを私の手から奪った三ツ谷くんは、私の手の甲にクリームを出し、手の甲から指先までゆっくり塗り伸ばしてくれた。特にカサついていた指先は念入りに、何度も何度も指先に優しく触れながら塗ってくれた。またケチってシンプルなヌードベージュのワンカラーにしたのネイルも「相変わらず指が綺麗に見える色にしてるね」と言いながら、爪先にも丁寧にクリームを伸ばしてくれた。

「名前ちゃんの手が綺麗なままでいますように。たくさん使ってね」
「うん…ありがとう三ツ谷くん」
「どういたしまして」

こんな風に優しくキスされると、水仕事手伝ってよって言いたかった口も簡単に自由を奪われてしまう。こんな風にちょっとした物でもプレゼントされると、単純な私の心は簡単にコロッといってしまう。とんだ大馬鹿野郎だ私は。早くこの地獄から脱却したいのに、できないんだから。





「名前ちゃん、準備できた?」
「うん!」
「じゃあ行こうか」

土曜日。普段会社に着て行かないお気に入りのワンピースにカーディガンを羽織って、三ツ谷くんとのデートに出掛けた。普段よりメイクも入念にしたし、髪の毛の巻き方もちょっと変えてみた。三ツ谷くん、気づいてくれるかな。

「今日いつもより可愛くしてるね」
「えっ!」
「カラコンもいつもと違う?」
「そっそうなの!会社行く時よりちょっと明るめの色のつけてるの」
「あーやっぱり?いつもより色素薄い感じに見える。髪も巻き方変えてるね?」
「うん!あのね、いつも32ミリで巻いてるんだけど今日は26ミリでいつもより細めのカールで…」

って何私必死に説明しているんだ。なんか自己アピール激しくないか?急に恥ずかしくなって「ごめん」と謝ると、三ツ谷くんは驚いた顔して「なにが?」と言った。

「名前ちゃんがオレの為に頑張ってお洒落してくれた話とか、聞いてて嬉しいに決まってんじゃん」

そう言って私の手を握って、駅に向かって歩き始めた。私が車道側を歩いていると気づくとすぐに「あ、だめ名前ちゃんはこっち」って三ツ谷くんが車道側になってくれた。あぁもうだめ、好き。こういうところも、お洒落したことにも気づいてくれるところも全部、好き。



「隆!!」

改札を潜ろうとした時、背後から結構なボリュームで叫ぶ女性の声がした。たかし…?ふと三ツ谷くんを見上げると「げ」と言いながらその女性を見ていた。

「え、何でここいんの?」
「隆が最近この駅うろついてるの、知ってるんだからね!」
「なんで?つけてた?」
「どうしてもう会わないとか言うの!」
「待って待って、今やめてよ」
「その女が原因!?」

ビシっと音が鳴りそうなほど鋭く私を指さしてきた女性は、表情も顔つきも声も…何もかも私より強めな人だった。……いや、ていうかこれアレだよね、もしかして、いやもしかしなくても昨日三ツ谷くんがLINEしてた相手じゃ。まぁこの手の女の子何人も抱えてるんだろうから、昨日の人とは違う人かもだけど…

「待てよちょっと落ち着けって」
「落ち着けるわけないでしょ!?結婚したいくらい好きって言ってたじゃん!仕事忙しいから暫く職場で寝泊まりするって出て行ったのに…ここ職場の駅じゃないよね!?」

泣き出しそうな声で三ツ谷くんに詰め寄るその様子を、私はただ呆然と見ることしかできなかった。

…ふぅんなるほどね。きっとアレでしょ、私が三ツ谷くんを追い出してた間の一週間はこの子の家に寝泊まりしてたのね。結婚したいほど好きだとか言って。ふーんふーん、なるほどね。

チラリと三ツ谷くんと目線が合う。……あぁ分かりましたよ、その子と話すなら邪魔者は消えますね。改札に向かっていた足をくるっと180度回して、自宅方面へ足を向かわせる。


「待って名前ちゃん!」

しかし三ツ谷くんは私の腕をガシッと掴んできた。驚いた顔をする私、ともう一人の女の子。そんな私たちに挟まれ焦った顔をしている三ツ谷くん。これ…周りの人が見たらどういう関係に見えるんだろうか?

「なによ…なんなのよその女!」

家族連れも、学生も、お年寄りも大勢のいるこの駅前という空間で、彼女の甲高い声は嫌でも注目される。今にでも噛み付いてきそうなその勢いに私は少したじろいでしまったが、三ツ谷くんはそんな私の手を握りながら口を開いた。

「彼女」
「…え?」
「この子、オレの彼女。だからごめん、昨日もLINEで言ったけどもう会えねぇから。ごめん」

呆然と立ち尽くす彼女を置いて、三ツ谷くんは私の手を引っ張って駅構内に足を進めた。そしてホームのベンチに私を座らせてから「マジごめん!」と頭を下げてきた。

「あーもう…せっかくのデートの前なのに嫌な思いさせちゃったよな…ほんっっとごめん」
「いいよ別に…。ねぇ、それより私、三ツ谷くんの彼女だったの?」
「は?当たり前だろ」

彼女と言われても喜べなかった。だって一緒に住んでたってエッチしたって、この男にとってはそれが彼女なのかどうか分からないじゃない。さっきのあの子だって、私と同じように三ツ谷くんと過ごしていたはずなのにああやってバッサリ切られた。今あの子はあそこで立ったまま泣いているのかも、と思うと心が痛んだ。だってあれは、未来の自分の姿かもしれないんだから。



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