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「あ、やべー、忘れモンした」
「なに?」
「銃」
「は!?」
まるで「あ宿題忘れた」的なノリで言ってくる兄貴に開いた口が塞がらない。なんかこの人どんどんアホになってね?
「どーすんだよ使うだろこれから」
「お前の貸してよ。もう帰るんだろ?」
「やだよ」
「ケチくせぇなぁ…あ、じゃあ取ってきてくんね?ウチから」
「ふっっざけんなよ、オレ完徹してくそ眠ィんだよもう帰るんだよ」
「帰るってウチのマンションだろ?ついでに12階寄って取ってきてよ。名前にバレねぇように」
「い、や、だ!面倒くせぇ!」
「仕方ねぇなーーじゃあ特別に名前と晩飯食っていいから。どーせアイツ自分の分だけでもとか言って今日も作ってるはずだから。忘れモンとってオレに届けてまたマンション戻って名前のメシ食う。どう?」
「そんなのに釣られるかよ」
「腹減ってねぇの?徹夜明けだろ?名前のメシは身に染みるぜー?」
腹は減ってる。確実に。適当に帰ってから出前でもとろうと思ってたけどこの調子だと出前が届く前に寝てしまいそうだ。それに兄貴の機嫌を損ねかねないからここ最近は名前と二人でメシなんて食ってなかった。……はぁ、まじクソすぎる展開だ。
「…わーったよ」
「さすがだな竜胆。ほらミンティアもやるよ」
「いらねー」
「名前いま家いるみたいだからマジでバレねぇように慎重にやれよ〜?」
「おー…って何それ」
兄貴はニヤニヤしながらスマホを覗いて喋っていたからついつい見てしまった。いや、この画面ってまさか…、
「え…まさか名前の携帯にGPSつけてんの?」
「うん」
「うっわー…過保護すぎだろ。それ名前は知ってんの?」
「知らねぇよ?」
「うっっわキモ…」
「キモいとか言うなよ。仕方ねぇだろ知られたら嫌われるかもしんねーじゃん」
嫌われるようなことしてるっつー自覚がまだ兄貴にあることに、どこかホッとした。いやでも…やりすぎだろ。子供じゃなくて嫁にGPSって、しかも内緒でって。心の中で名前に合掌してから車を走らせマンションに向かった。眠気がやばくて運転どころじゃなかってけど、幸いマンションまでさほど距離がないからなんとかなった。
名前が出掛けてしまう可能性も鑑みて念のため兄貴から鍵も預かっていた。一階のエントランスはとりあえずオレも元々鍵を持っているからそのまま入り、12階の兄貴と名前の住む部屋の前のインターホンだけ鳴らした。
「…あれ、いねぇのかな」
あのGPS曰く、数十分前までは家にいたようだがどこか出掛けたのか?まあいい。預かっている鍵で玄関を開けるとたしかに人の気配がしなかった。リビングも寝室も洗面所も見たが誰もいない。やっぱ出掛けたのか。
兄貴に言われたとおりクローゼットの奥に隠してある銃を取った後、そういや今日のメシなんだろうと気になりリビングに向かった。けどキッチンには調理途中の気配は全くない。すげぇ綺麗に片付いていた。そして次に目に入ってきたのは、キッチンカウンターに置いてあるピンク色のスマホ。
「これ、名前が使ってるやつ…」
間違いない、これは名前のスマホだ。出かける時忘れたのか?そうだったらいいのだが、何故か嫌な胸騒ぎがする。こういう世界にいるからその手の勘は優れている自信がある。薄暗いリビングの灯りをつけ、辺りを見回す。いつも通りに整理整頓されたリビングに違和感を覚えるのは何故か。
少し部屋を漁ってみた。とりあえず監視カメラとかついてねぇか調べたがなさそうだった。次に引き出しに入っていた名前の通帳が気になり開いてみたがそれも不審な点はなかった。他に怪しそうなものもないし、オレの思い過ごしか…と思いながら通帳と共に入っていた母子手帳をペラペラ捲る。つか母子手帳とか、初めて手にするな。
「…え?」
初めて手にしたけど、オレだってこの手帳の見方ぐらいある程度分かる。だからこそ驚いた。だって「妊娠中の経過」のページが真っ白だったからだ。
診察日、週数、血圧や体重やらを記録するこのページになんも書いてない。…あいつ、妊婦健診行ってねぇの?つかいま何週だ?まだ腹目立ってねぇよな?じゃあ妊婦健診ってそんな行かねえもんなのか?
分からないことだらけだった。ただ単に健診に行ってないだけなのか、行ったのに病院側が記載し忘れてるのか、それとも…
「妊娠、してねぇとか……?」
背中に嫌な冷や汗が走った瞬間、ガチャリと玄関の鍵が動く音がした。慌てて母子手帳を元の場所に戻し、リビングの扉の方に移動した。
「…蘭?」
「ちがう、オレ」
「あっ竜胆くん?どうしたの?」
「あー…兄貴の忘れもん取りに来てさ」
「そうだったの?言ってくれたら届けたのに」
「オレたまたま近くにいたから」
「そっか。泥棒かと思ってびっくりしたー」
いつもと変わらぬ控えめな笑顔と仕草。そんな名前のいつも通りの姿を見てさっき見た物は何かの間違いにちがいないと心を落ち着かせた。
「今日メシ作んねーの?」
名前が持つビニール袋の中には弁当や惣菜が入っていた。名前はそれをキッチンの上に置きながら「うん」と頷く。
「一人だとさ、作る気起きなくって。今日はもう買ってきた物でいいやーって」
「あー、まぁそうなるよなぁ」
「竜胆くんが前みたいに食べに来てくれたら、作るんだけどなぁ」
名前の口から吐かれる誘惑のような甘い言葉。…いや落ち着け、この女は兄貴の嫁だ。それにもしかしたら妊娠してねぇかもしれない…そう、兄貴やオレに嘘をついているかもしれない女なんだ。
その時、キッチンカウンターに置き去りにされていたピンク色のスマホが振動した。名前は何食わぬ顔でそれを手に取り操作する。
「蘭からだ。……えっうそ竜胆くんうちでご飯食べるつもりだったの!?」
「あー、いやいいよ別に」
「えっ、待ってなんか作るよ!えーっと、なんかあったかなぁ…」
バタバタと慌てて冷蔵庫の中を確認し始める名前。あいつ…スマホ家に忘れてても全然平気そうだったな。財布は忘れてもスマホは忘れない奴が世の中多いっつーのに。まあ近所の弁当屋行くぐらいならそんなもんか?
とりあえず一旦兄貴の忘れモンを届けに出なきゃいけない。ポケットの中にしまったそれを今一度スーツの上から確認してから名前に一声掛けようとしたとき、床に置きっぱなしにされていた名前の鞄に足がぶつかった。ほんの少し開いたままにされてるチャックの隙間から見えたのは、白いスマホ。母子手帳を見たときのような冷や汗が背中に走る。
え…2台持ち…!?いや、こいつまさか…いやそんなわけ……
「竜胆くん、ピラフぐらいなら作れそうだけど、どう?」
キッチンから覗いてくる屈託のない笑顔と高い声。それに騙されちゃいけねぇんだとオレの中で警鐘が鳴る。