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目を覚まし、隣に寝ていたはずの最愛の女がいなくて飛び起きる。名前…?どこ行った…!?焦ってベッドから飛び出して部屋を出ると、キッチンの方から物音がし、ホッと胸を撫で下ろす。包丁の音と鍋が煮える音。いつからかオレの心はその音たちに安心感を覚えるようになっていた。


「あ、おはよう蘭」
「おはよ、名前」

キッチンに立ちエプロンをつけて料理をするオレの新妻。そう、世界一可愛くて愛おしい新妻だ。

「マスクしてどーした?咳でも出んの?」
「違くてね、ちょっとご飯の匂いで気持ち悪くなっちゃうの」
「え?ツワリ?匂いで?」
「うん、というか悪阻ってほぼ匂いでウッと来るものなの。特に白米の炊き上がる匂いがね…」

炊飯器からもう少しで炊き上がりそうな白米のいい匂いがする。オレにとっちゃ食欲をそそる匂いでしかないけど、名前には苦痛な匂いらしい。

「なぁ、そんな無理してまで朝からメシ作んなくていーよ?」
「でも蘭帰り遅いし、朝くらい一緒にご飯食べたいじゃん」

そう言って笑う名前の笑顔に、ガラにもなく胸がキュっとした。マスクのせいであの可愛いエクボは見えないけど、でも目元だけでも可愛い女は可愛いんだなって再認識した。ピーっと炊飯器が鳴り名前はしゃもじを取り出しながら、部屋中に香る白米の匂いに顔を顰めていた。

「名前、オレがメシよそうから」
「ありがとう蘭ちゃん。優しいなぁ」
「名前にだけはね」

しゃもじと色違いの二つの茶碗を渡してくる名前にマスク越しのキスをした。よーし、今日も全力で可愛いオーライ!




「名前、これなに?このサラダに乗ってる赤いの」
「カニカマ」
「へー朝から蟹なんて豪華だな」
「蘭ちゃんカニカマは蟹じゃないから…食べたことない?」
「ねぇな」
「竜胆くんもそう言ってたけど、カニカマ知らずに育つってどゆこと?」

その言葉にカニカマとやらを箸で掴む手が止まった。理由はもちろん、思いがけないところで弟の名前が出たからだ。

「竜胆…?」
「うん、2回くらいね、蘭が仕事で夜いないとき一緒にご飯食べてもらったの」 
「あ?聞いてねぇぞそれ」
「そうだったっけ?竜胆くんも何も言ってなかった?」
「…言ってねぇな」
「あれれ、そうなの。そういえば蘭、今日も帰り深夜なんだよね?竜胆くんも一緒なの?」
「…なんで?」
「もし帰り早いようならまた一緒に夕飯でもと思っ」
「おい」

今まで名前にこんな低い声を出したことはあっただろうか。いや絶対ェないわな。あるわけねぇな。でもさ、今は自然とこんな声が出てしまう。竜胆とメシ?オレ抜きで?オレに報告なしで?ふざけんじゃねぇぞ。


「名前〜なに旦那の弟とコソコソ会ってんだよ?」
「え?」
「会うなら旦那の許可取ってからだろ?あ?」
「だってそれは蘭が、」
「だってじゃねぇだろ!」

ガタンと席を立ち名前に詰め寄る。この間は食事中だから行儀悪いだのなんだの注意してきた名前だが、今日はそんな言葉も出てこないらしい。

「なんで黙ってたんだぁ?名前」
「…蘭が、オレが不在の時何かあっなら竜胆に連絡しろって…竜胆くんの連絡先くれてたくらいだから、竜胆くんと会うのに許可は要らないって思って……」
「それは何かあった時だろ。なんかあったのかよ」
「…何も、ないです」
「だろぉ?じゃあいけねぇよなぁ名前?悪いことした意識、ある?」
「…ごめんなさい蘭」

涙を溜めた潤んだ目で見上げられて、不覚にもドキっとした。…えっ、いやこれ…犯罪級だろこの可愛さ!どうする気だ!?このオレを殺す気か!?

「泣くなよ…」
「だって、初めてこんな怖い蘭を見たから…。ごめんね、そんな怒られると思わなかった。いつも夜ご飯一人で寂しかったから、友達勝手に家に呼ぶよりは身内の竜胆くんがいいのかなと思って……」

蘭ちゃんごめんね。と言いながらオレの手をやわやわと撫でてくる名前を見て、さっきまでオレの中にあった沸々とした怒りがスーッの浄化されていった。…なにこれ、アロマセラピーか?

「いや…オレも悪かったよ、いつも夜一人にして」
「ううん…蘭いっつも遅くまでお仕事してて大変なのに私ばっか家にいてごめんね」
「それはいーんだって。つか働きに出んな。名前はオレのために尽くしてればいいんだって。な?」
「うん…」

抱きしめるとオレの腕の中でぎゅっと小さくなる名前。そんな彼女の姿を見て優越感に浸る。名前にはオレが必要なんだというある種の支配欲のようなその黒い感情。そう、それでいいんだ。名前を独占したい。どこにも出したくない。だからこうやって結婚したんだ。名前の涙も笑顔も全部全部、オレのもんだ。







「兄貴、どこいくんだよ。まだもう一件残ってる」

一つ仕事を終え、帰ろうとするオレの背中にそう声をかけてきたのは竜胆だった。

「帰る。あとテキトーに頼むわ」
「は?帰るってなんだよ?」
「次も拷問だろ?オレいなくても得意な奴いんじゃんそこに」

一人目の拷問を終え、嬉々としてそいつをスクラップにしようとしてるヤク中野郎を顎で指す。九井がそいつは殺さずに捕獲しておきたいからと必死に説得してやがるが…さて、どうなることやら。


「アイツの次にこういうの得意としてんのはアンタだろ」
「でも今日は日付変わる前に帰るって名前と約束しちゃったし〜」
「…なぁ本当にさ、名前のことそんなに大事ならこんな世界で生きてくべきじゃねぇんじゃねーの?」
「なぁーに言ってんだよ竜胆。オレらみたいな人間がいまさら堅気の世界で生きてけると思ってんのか?」
「思っちゃいねぇけどさー」
「それとも名前と二人きりでメシ食って気がおかしくなったか〜?」

竜胆の目が一瞬泳いだのを見逃さなかった。オレに言わず名前とメシ食ったこと、少なからず悪いとは思っているようだ。

「おい竜胆…ひとつだけ言っとくけどなぁ」
「え…な、なに?」
「名前は渡さねーからな!」
「…は?」
「オレに言わず二人きりで過ごしたとかなぁ、正直お前だとしても顔の原型わかんなくなるぐらい殴りてぇよ?けどな…名前にお前の連絡先渡したり夜一人にしたりしたオレの責任もあるから今回は目ぇ瞑ってやる。けどな!?名前に惚れるとか手ぇ出すとかはマジで許さねぇぞマジでスクラップにすっからな!?」
「…いや、何の心配だよ……そんなことあるわけねーだろ…」

竜胆のセリフにやたら「…」が多いのが気になったが、まぁいい。兄ちゃん心広いからな。それにオレはわかっている、名前という女がいかに魅力的かを。最初会った時は名前の魅力が分からなかった竜胆でも、2回も一緒にメシ食ったら名前に魅了されていてもおかしくない。ていうか名前と出会った男はほぼ名前に惚れちまってもおかしくないとわりと本気で思っている。だから竜胆の心が揺れていたとしても、その気持ちはしょうがねぇモンだと思う。でも絶対絶対絶対絶対譲らねえけどな。


「兄貴の思うようなことはねぇけどさ…ただ名前には真っ当な幸せを掴んで欲しいと思っただけで」

プツン。自分の中で何かが切れる音がした。そしてそのまま無意識的に竜胆の胸倉を掴んでいた。

「おいおい、なに?それ。オレじゃあ名前に真っ当な幸せ与えらんねぇってことか?」
「逆に日本最大の犯罪組織のメンバーの嫁が真っ当な幸せ得られると思ってんの?」
「思ってるよ、名前にはオレが必要でオレにも名前が必要で、それだけで十分幸せじゃん」
「いやだからさぁ、そういうことじゃなくって」
「なあ、お前らの喧嘩とか興味ねぇしうるせぇし面倒くせぇから外でやれよ」

割って入ってきたのは九井だった。さすが金になるもの以外興味のない男。本気で面倒臭そうな表情してやがる。チッと舌打ちしてからとりあえず竜胆の胸倉を離す。しわの寄ったシャツの襟元とネクタイを直しながら竜胆は溜息を吐いていた。うわウッザ。


「つーわけでオレ帰るからあと頼むなー」
「は?帰るってなんだよ?」
「愛する嫁が待ってるんで」
「は?嫁?お前結婚してたの?は?嘘?」

困惑する九井の声を背に聞きながらスタスタと歩いていくと「兄貴!」と弟に呼び止められた。仕方なく足を止め振り返るといつになく真剣な表情をしていた。

「今日だけは見逃してやるけどもうこんなこと二度とすんなよ。それから仕事おざなりになるくらいなら真面目に名前と別れろよ」

竜胆はバカで真面目なところが昔からあるけど、やっぱりそうだなと思う。仕事に大穴を開けるほどのことはオレだってしない。ボスに絞められるようなヘマやミスだってしない。今日はオレがいなくてもどうとでもなる事案だから、帰るだけだっつーの。


「竜胆〜そう言ってオレから名前を掻っ攫う気なら甘ぇよ?」
「……バカに塗る薬はないって本当だったんだな」







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