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12階の部屋に帰るとソファに座ってぼーっとテレビを見ている名前の姿があった。いつもは必ず言う「ただいま」も言わずに靴を脱いでリビングに足を進め、ぷつんとテレビを消した。その時初めてオレが帰宅したことに気づいたのか、名前がこっちを見上げてきた。


「こっちにいたのかよ。最上階の部屋使っていーのに」
「いいよ…私はこっちの方が落ち着くから」
「ふーん、変わってんね」
「蘭とは感覚違うんで」

名前はそう言ってソファから立ちあがろうとするから、その肩を押してもう一度座らせる。そしてスマホをスーツのポケットから出して名前に一枚の写真を見せた。

「片しておいたからな〜名前の為に」
「……」
「サイトウ、全然顔変わってねぇよな。イキってる髪と服装はしてるけど」
「…殺したの?」
「ん?知りたい?」
「………」
「コイツ飲食店やっててさ、とりあえずそこはもう営業できねぇような形にはしといたから。あとは…名前が知りたいところまで話してやるよ?何が知りてぇ?」
「いいよ、知りたくない。この人の大事な大事なお店が潰されたってこと、知れただけでいい」
「そ?じゃあそーゆーことで。名前のリベンジ無事終了〜ってことでオッケー?」

名前の隣に腰掛け、肩を引き寄せて名前の頭を自分の顎下に収めた。ふわりと香るシャンプーの匂いだけでムラっとしちまう。あ〜無理。もう匂いだけで可愛いとかどうなってんのコイツ。


「蘭…」
「んー?」
「あり、がと」
「どーいたしまして。まァ可愛い嫁のためなら当然だけどな」

じっと名前の顔を見れば、珍しく名前から顔を近づけてくれて噛み付くような熱いキスをぶつけてくれた。なにこれ、名前なりの礼のつもり?…あ〜無理、なんだよ可愛すぎるんですけど。そのまま感情のままに名前の体をソファに倒した。気づけばオレの方から、噛み付くようなキスをしながら。

「や、やめて、蘭」
「はぁ?なんで」
「…いまはそういう気分じゃない」
「えぇ〜名前のために体張って来てやったのに?そんな旦那を労ってくれねぇの?」
「今は…ごめん」

そんな真剣な顔で言われると、流石のオレも無理やりできねぇ。仕方なく名前の上から体を退かせると名前はすぐにソファから立ち上がりキッチンに向かった。「ご飯もう作ってあるから温め直すね」と言いながら鍋に火を付けると、ちょうど炊飯器が鳴った。名前は炊き上がった白米を無表情のまま茶碗によそった。


「なかなかリアルな演技だったよなぁ」
「え?」
「なに?ツワリだと炊き上がった白米の匂いがダメなんだっけ?」
「…ネットやドラマで得た知識だよ」
「ふぅん、まんまと騙されたわ」

名前は温め直したおかずと味噌汁を食卓に運んだ。あれ、前より質素なラインナップだな。いつもは一汁三菜だったのになぁ。おかしいなよなぁ名前。お前あんなに嬉しそうにオレに飯作ってたのに。オレが普段食わないような家庭料理、すげぇ得意げに何品も出していたのに。


「お前さ」
「……」
「これ最後の晩餐にするつもり?」
「……」
「だったら質素すぎねぇ?最後は普通もっと豪華に行くだろ」

まぁそれでも食うけどな。いただきます、と手を合わせてから名前の手料理を食う。うん、いつもどおり美味い。オレもすっかり名前の味付けに慣れてしまっている。

「蘭…ずっと勘違いしててごめん。ずっとあなたのこと恨んで過ごしてた。本当にごめん」
「いーよ別に」
「あと私のためにアイツに復讐してくれたことも…ごめん、蘭の手を汚させて」
「別に元々汚れてるし。なんならいつももっと汚ねえことしてるし」
「そっか…でもごめん。あと本当にありがとう」
「それならさっき聞いたぞー」

名前は自分の食事に手をつけないまま話し続けた。オレは腹減ってるから食いながら聞いた。ずずっと味噌汁を啜っていると、名前は一枚の紙を出してきた。まぁ、その紙は見なくてもなんなのかもうオレには分かる。

「蘭…今までありがとう。でももう私たち一緒にいる意味ないよね。だからー……ってえ!?」
「あ、ゴッメーン手ぇ滑った」
「ちょっ……蘭!絶対わざとでしょ!」
「えー」
「こんな…お味噌汁溢すなんて…!食べ物は粗末にしちゃいけません!そんなことも知らないの?」

名前はキッチンから布巾を持ってきて慌ててテーブルを拭き出した。既に記入され判も押されていた離婚届は味噌汁でぐちゃぐちゃになっていた。ナメコも豆腐もネギも散らばりまくり、当たり前に役所で受理されない形になっていた。名前は怒りながらそれを片付けている。

「やっぱこれだよなぁ」
「なにが!?」
「食べ物は粗末にしちゃいけませんって叱ってくるのがお前っぽいよなぁって」
「いや…あのさぁ」
「そういうとこに惚れたんだよなぁって再確認させてもらったわ。さっすが名前。離婚届出しつつもオレのツボを押さえてくる」
「違うでしょ…あんたが溢したからそう言っただけで…」
「別にいいじゃん、今のままで」

おかずと白米を何食わぬ顔で再び食い出すオレに名前は「はあ!?」と言う。あ、なんかその言い方竜胆っぽいな。

「離婚する必要ねえだろ。お互い騙し合ってたとこあったわけだけど、もうチャラでいいじゃん。お互い様だったんだし」
「良くないでしょ…結婚って言うのは、お互い愛のある人達がするもので、」
「あるじゃん」
「ないよ」
「いーや、あるだろ絶対」
「ないです」
「本当にぃ〜?今までの結婚生活一から十までぜーんぶお前演技してたの?」
「……」
「オレはそう思ってねぇよ?」

味噌汁まみれになった布巾を握ったまま名前は悔しそうな顔をした。うわ…何その表情?初めて見るんだけど。少しオレを睨んでくるところも、下唇を噛み締めてるところも………うん、ただ可愛い。


「名前、オレから離れんなよ。お前いなくなったら蘭ちゃん寂しいんだけど」

名前の手をそっと握った。どうせすぐ弾かれると思ったけど、案外そのまま動かずオレに握られたままだ。

名前は下を向いたまま首を2回横に振った。そして「ごめん、蘭ちゃん」と言ってからオレの手を離した。ごめんて。何に対してのごめんだよ。

名前はそのままちょっと顔を洗いたいからとリビングを出て行った。味噌汁臭いテーブルを見ながら、さっき蘭ちゃんて久々に呼んでくれたなぁなんて思っていたら玄関の戸が開閉する音がした。そして気づいた。名前が出て行ってしまったことに。






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