「ナマエちゃーんもう帰るの?」 「うん、もう今日の授業全部終わったから」
季節はまた移ろい、春になった。髪を染め化粧をしファーストピアスをつけた自分の隣に歩み寄ってきたのは、出会ってまだ数週間の友達。学部学科が一緒で、仲良くなった子の一人だ。
「え、直帰?」 「うん」 「まじー!じゃあ私あと一コマあるんだけどさ、待っててくれない?」 「いいよ。ご飯でも食べに行く?」 「違くてさ、この間言ってたインカレの新歓!一緒に行こうよぉ」
しんどさの塊だった受験期間を経て、私は無事服飾学部のある女子大に進学した。女子大だから当たり前に周りに男子はおらず、私はそんな生活も心地良いのだが一般的な女子はそうでもないらしい。花の大学生、キャンパスライフ、と来たらやっぱり異性との出会いも欲しいものだと出会って間もない友人達は口を揃えて言う。
「えーっと…それ、私じゃなきゃだめ?他の子とか…」 「でもみんな入るサークル決まったって言ってたじゃん!まだどこも入ってないのナマエちゃんだけだよ」 「あーそっか…」 「この間は行ってもいいって言ってたじゃん〜」 「そうだったね。うん、行くよじゃあ」
友達はやったー!と声を出して跳ね上がった。そんなに喜んでもらえるなら行くしかないね、うん。とりあえず友達が次の講義が終わるまで適当に時間を潰そう。そうだ本屋に行きたかったんだ。駅前に大きい本屋さんあったからそこに行こう。
4月は気候も良くて好きな季節だ。受験シーズンはシャツにカーディガンに厚手のコートにマフラーにってたくさん防寒していたが、今は春物ニットに薄手のトレンチという身軽な格好で出掛けられる。また一つ、季節が移ろいだ。三ツ谷先生に出会って好きになって告白して…なんてしているうちに季節が二つも進んだのだ。
三ツ谷先生にはあの日以来会っていない。ダメ元での告白。結果なんて分かりきっていた。受験前に何してんだよって自分でも思ったけど、あの日伝えるって前から決めていたからそうしただけだ。あの日はコンクールで優秀賞を受賞したという喜ばしい結果と、先生にフラれたという悲しい結果が同時に押し寄せてなんだかジェットコースターみたいな1日だったな。
先生のことは忘れられたわけではない。でももう3ヶ月も会わず連絡も取らずだと、自然と気持ちは薄らいでいった。あの日の先生の哀しい笑顔だけは脳裏に焼き付いて離れないけど。
「ありがとうござーしたー」
通りかかったコンビニの前で、店員の気怠そうな声が聞こえてきた。あ、そうだコンビニ、寄ろうと思ってたんだ。顔を上げてコンビニの入り口に足を向けた時、ふと懐かしい匂いとすれ違った。心臓がどくんと鳴る。だって振り返るとそこには、忘れられそうで忘れられないあなたの後ろ姿が。
「…三ツ谷先生!?」
思わず走って、その人の腕を掴んだ。そしてびっくりした表情で振り返ったその人は、やっぱりその人だった。
「……え、ミョウジさん?」 「はい…」 「えっ!うわー全然分かんなかった!私服だし髪染めたりして…雰囲気変わったなぁ」 「そうですか…?」 「うん、どこのネーちゃんかと思った」
それは少し大人っぽくなったという意味でいいのかな。ちょっと照れ臭くなってそれを誤魔化すかのように髪を耳にかけた。
「お、ピアスも開けたんだ」 「あ、はい」 「いいねぇ。校則なくなると楽しいよな」 「先生は…校則あった頃も自由にやってそうなイメージですけど」 「バレたか」
ニシシと歯を見せて笑う先生。あれ、こんな久しぶりなのに、告白して以来なのに、私達普通に会話できてない?そして思うのだ、やっぱり三ツ谷先生とするこの他愛もない会話がとてつもなく心地良いと。
「先生ここで何してるんです?」 「あ、オレの職場ね移転したんだ。あの向かいのビル」 「えっ、うそ。私近くの大学通ってるんです。そこの交差点左に曲がって行ったところの…」 「あー、あの女子大?もしかして服飾学部?」 「そうです、受かったんです!」 「マジで!良かったなぁー!」
コンクールの結果を報告した時並みに先生は笑って喜んでくれた。いつだってそうだ、三ツ谷先生は私のことを応援してくれていた。でもそれはあくまでも“先生”としてであって、それ以上のものではない。それでも嬉しいんだ。先生が私のことで喜んでくれることが。
「じゃあこれからはバッタリこの辺りで会うかもしれないですね」 「だな」 「…すみません」 「何が?」 「いや…偶然とは言えこうやって学校と職場が近くなって会うことになっちゃって…」 「ミョウジさん…オレはそんなこと全然嫌だとか思ってないから。むしろミョウジさんが嫌じゃないか心配だよ」 「嫌なわけないじゃないですか」 「うん、オレもだよ。あの日も言ったけど…本当にミョウジさんの気持ちは嬉しかったよ。嫌だとか迷惑だなんて1ミリも思ってない。ミョウジさんが嫌じゃなかったら、これからもこうやって話しかけてよ」 「…先生がいいんなら、めっちゃ話しかけちゃいますよ?」 「おーそうしてよ」
やめてください先生。そんな言い方ズルいです。忘れかけていたのに、こうやってまた会うようになったら絶対また好きになっちゃう。一度フラれているのにしつこい女だって思われちゃう。…でもやっぱり、こうやって話してると好きだなぁって思う。先生の笑顔も優しさも独り占めしたくなる。
その時三ツ谷先生のスマホが鳴った。先生はごめんと一言私に言ってから画面を見ている。そのときの表情に違和感を覚えたのは、たぶん気のせいじゃない。ずっと先生のことを見ていた私だからわかる直感だ。
「三ツ谷先生…」 「ん?」 「彼女さんですか?」
タイミングよく吹いてきた春風が、私と先生の間を吹き抜けた。まるで私たちを隔てるかのようにわざと吹き抜けてきたような気がするのは、自分の思い違いであってほしい。
「あー…うん、そう」
少し照れ臭そうに三ツ谷先生は答えた。いつもどこか余裕のある大人な態度でいかにも歳上ですって態度で接してきていた先生の、こんな顔は初めて見る。そうだよね、先生だってまだ20代前半。少年ではないけどオジサンではない、普通の若い男の子なんだから。
「ひとつだけ、聞いてもいいですか?」 「…うん」 「わたしが先生に気持ちを伝えた日…あの日にはもうその人と付き合ってたんですか」 「ううん、付き合ってなかったよ。…でも割とその直後だったかな、付き合い始めたの」 「そう、でしたか…」
私が先生に告白した日、きっと先生の心の中にはその彼女さんがいたんだ。もしかしたら先生から告白したのかもしれない。付き合いそうで付き合ってないドキドキする距離感の時期だったのかもしれない。私の知らないところで、三ツ谷先生は知らない女性のことを考えている時間がきっといっぱいあったのだろう。心をナイフで切り裂かれた気分だ。そんな事実知りたくなかった。
「…私、友達との約束あるので失礼します」 「あっ、…うん」
先生は私を引き留めることも追いかけることもしなかった。当たり前だ。冷静になって自分が先生の立場だったらって考えてみれば、そんなことするわけないじゃない。それでも寂しくて辛かった。私はいつまで三ツ谷先生の優しさに期待してしまっているんだろう。
悲劇のヒロインごっこ
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