「それじゃあ、結果を発表します」
季節は移ろい、冬になった。コンクールの作品に取り掛かっていた頃はシャツの上にセーターを着ていただけなのに、今はそこにブレザーをプラスしないと寒いほどの季節になった。
部活を引退してから久々に来た部室。久々に引退した三年生も含め全員で集まった。今日はコンクールの結果が学校に通知される日。ドキドキしながらみんなで結果を聞きに来た。石田先生は結局産むまで入院となったので、臨時顧問の先生が私たちの前に立ち、ゆっくりと紙を開き口を開いた。
『もしもし』
スマホから聞こえてくる大好きなその声に、私の体は震えた。それと同時にハッとする。…あれ、私なに電話しちゃってるんだこんな時間に…。まだ仕事中かもしれないのに、電話しちゃうなんて迷惑だったんじゃ…
「みつや、先生」 『ははっ、久々に先生とか呼ばれたわ』 「…タカちゃん、先生」 『んー?どうしたぁ?』
耳の中に広がっていくその優しげな声に涙が出そうだった。最後に会った日から何日経っただろう。何日間先生の声を聞けなかっただろう。勉強をして気を紛らわしていたつもりだけど、先生のことを考えない日はなかった。
やっぱりどうしようもなく、すき。声を聞くだけで、すきって気持ちが溢れ出そう。
「ごめんなさい、仕事中に…」 『大丈夫だよ』 「先生、元気でしたか?」 『元気元気。ミョウジさんは?勉強捗ってる?』 「はい…模試の結果もいい感じです」 『そりゃ良かった』
こんなたわいもない会話ですらも愛おしかった。三ツ谷先生が部活に来てくれていた頃は週に3回もこんな風に会話できていたなんて、すごく贅沢なことだったんだな。戻りたくなる、あの頃に。三ツ谷先生がいてくれた、あの日々に。
『ミョウジさん、何か伝えたいことあるんじゃないの?』 「はい、あります。…でも前言ったとおり、タカちゃん先生の顔を見て直接報告したいです」 『ん。分かってる。じゃあ急だけど今日大丈夫?仕事で原宿らへんに出てるんだけど、18時頃には終わるから時間作れるよ』 「本当ですか?行きます、原宿駅に行けばいいですか!?」
こんなにすぐ会えるとは思っていなかったから焦ったけど、会えるなら1秒でも早く会いたかった。18時までまだまだ時間はある。早いけどトイレの鏡で髪を直したり、制服をいつもより着崩してみたり、なんとか今の自分にできる精一杯の可愛さを演出した。とりあえず受験本番も近いし、時間まで図書室で勉強だ。でもソワソワして集中力が持たない。コンクールの結果と三ツ谷先生に久々に会える興奮で、心が落ち着かない。
「先生、お久しぶりです」
待ち合わせ場所は原宿駅の表参道口。たくさんの人でごった返していたけど、私はすぐにスマホを見て立っている三ツ谷先生の姿を見つけられた。
「すみません、待たせちゃいました?」 「いや、オレが早く着いちゃって」 「先生スマホ弄る姿がサマになってましたよ。スマホ慣れました?」 「おいバカにすんな。スマホぐらいすぐに慣れてたわ」
やっぱお前オレのことおっさんだと思ってるな?って先生は悪戯に笑ってきた。あ、いま「お前」って私のこと言った。先生にお前って言われるとなんだか距離が近くなった気がして口元がニヤケそうになる。
「で?報告したいことは?」
待っていたその言葉。私は鞄から四つ折りに畳んだ紙を出して三ツ谷先生に渡した。かさりと音を立てながら先生はゆっくりとその紙を開く。
「優秀賞ミョウジナマエ……えっ、まじ!?」 「まじです」 「はっ!?優秀賞ってだって3人くらいしから選ばれないやつだろ?」 「そうですそうです!」 「やっっっば…!すげぇじゃん!」 「先生のおかげです」 「いやオレミョウジさんのには本当少ししか手加えてないのに…、おめでとうミョウジさん!ほんっとよかった」
全国で一人しか選ばれない最優秀賞は逃したけど、その下の優秀賞に選ばれた。こんな嬉しいことはない。うちの部創立以来はじめての快挙だとも聞いて、嬉しくて涙が出た。まさか高校生活の最後にこんな喜ばしい出来事が起こるなんて夢にも見ていなかった。
それに何より、三ツ谷先生が喜んでくれている。私も、先生に見てもらった作品が入賞したことで先生と最高の思い出が作れたような気分になった。
「なんかさ、オレ教師でもなんでもねぇけどさ、自分の教え子がこうやって成功するってすげぇ嬉しいことなんだなって初めて感じたわ」 「今から教師に転職します?」 「それはねぇな。…でもいいな、“先生”って職業。それを教えてくれたのはミョウジさんを始めとする手芸部のみんなだよ。ほんと、ありがとう」 「こちらこそ、ご指導いただきありがとうございました、タカちゃん先生」
二人で満面の笑みを見せ合って笑った。先生、私幸せです。本当に本当にいまそう思っています。でも私欲張りだから、もっともっと幸せになりたいって思っちゃうんです。
「よしっ、じゃあ頑張ったご褒美にタカちゃん先生が奢ってやろう」 「えっなにを?」 「んー、スタバとかどう?好きなのなんでも頼んでいーよ」 「えっ!嬉しいです!」
真冬の18時ともなれば空はもう暗くなっていて、なんだか先生と夜の街をデートしているような錯覚に陥った。スタバに入り、列に並んでいると店員さんが「お並びの間にご覧ください」ってメニューを渡してくれた。一つのメニューを二人で並んで見るだけでドキドキする。やっぱり今日はこれ、すごくデートっぽいよね?
「ミョウジさん決めた?」 「これ、期間限定のフラペチーノ、ホイップ多めで!」 「いいけどさ、寒くね?」 「寒くても飲むんです!」 「風邪引くなよー受験前に」 「先生は?」 「えーっとじゃあオレは…」
メニューを決めると三ツ谷先生がカウンターで注文してくれた。思えばこうやって男の人にお店で奢ってもらうのって初めてだ。コンビニや自販機で気まぐれでクラスの男子にガムやジュース奢ってもらったことはあるけど。あの時の男子達には悪いけど、今日先生に奢ってもらっている瞬間の方が何倍も心に残りそうだ。
「どぉ?飲んでると寒いっしょそんなん」 「えー店内だし平気ですよ」 「美味い?」 「美味しいですよー、これネットで見てから絶対飲みたい!って思ってたんです」 「そっか。オレそーゆー甘いの飽きて飲み切れねぇからあんま気持ち分かんないんだけど、女子って好きだよねそーゆーの」 「じゃあ一口だけ飲んでみます?」 「おーサンキュー……っていや、ダメっしょ」
私のフラペチーノのカップを受け取ろうとしたが、直前で先生はそれを押し返した。…ダメか、やっぱり。ノリと流れで一口貰ってくれたらって思ったんだけど。こういうの変に計算するもんじゃないな、やっぱり。
「全然飲んでいいのに」 「だめだめ。女子高生と間接キスとか逮捕されちまう」 「されませんよそのくらいで!」 「いや分かってるけどさ…ダメっしょ。ね」
先生は苦笑いしながら「全部自分で飲みな」と言った。分かってはいたけど先生へ近づく壁は厚い。とてつもなく厚い。先生はやたら私のことを女子高生と言うのが以前から気になっていた。私が卒業して制服を身に纏わなくなったら、なにか変化が起きるのだろうか。分からないけど、そうだったらいいのにな。
飲み物を飲み終わったら、先生は「帰ろっか」と言った。ああ、この夢のような時間が終わるのかと私は落胆した。
「ねぇせんせー」 「ん?」 「私今日めっちゃ楽しいです。久々に先生に会えて、いい報告できて、先生も喜んでくれて、スタバもご馳走してもらって」 「うん、なら良かったよ。オレも楽しいわ」 「えっ本当ですか?」 「嘘だと思うか?楽しいし、何より嬉しかった」
三ツ谷先生が笑ってくれている。煌びやかな表参道の歩道を歩きながら、私を見てくれている。大好きな先生のその笑顔と優しい声をずっと見ていたいし聞いていたい。自分だけのものしたい。私だけを見ていて欲しい。好きだから。絶対私が誰よりも先生を好きだから。だからたとえ勝算がなかったとしても伝えたい。コンクールでいい結果が出たらそうするって前から決めていたから。
「タカちゃん先生。コンクールの結果以外にもう一つ、伝えたいことあるんです」 「お、何々?」 「聞きたいですか?」 「おー、そりゃ勿論」
隣を歩く私に、先生はちょっと目線を下げながら顔を傾けてくれた。先生は大人で、私はまだ子供だけど、この気持ちだけは本物だからね。
「すきです、タカちゃん先生」
先生の足の歩みがぴたりと止まり、その数秒後、哀しげな笑顔を私に向けてきた。初めて見たタカちゃん先生のそんな笑顔、私はきっと一生忘れられないだろう。
震えた唇を引き結ぶ
|