三ツ谷先生がいなくなってから1週間が経った今日、私たち三年生の部活の引退式兼パーティーが開かれた。例年この催しは後輩たちが部室を可愛く飾ってくれて色紙や花束をくれて、みんなでお菓子やジュースで三年生の引退をささやかにお祝いする。石田先生が入院中なので今年は生徒だけで行うことになったが、それなら三ツ谷先生を招待しても良かったかなと思った。でもこの会を開いてくれるのは後輩達であり私じゃないから、そんなことは言えなかったけど。
「そう言えばさ、三ツ谷先生に何もお礼できてないよね」
待っていましたと言わんばかりの言葉に私はハッと顔を上げて「それ、私も思ってた!」とちょっと食い込み気味に反応してしまった。
「コンクールに必死で何もお礼準備できなかったもんね」 「そうだね、臨時だったとは言えかなり手伝ってもらっちゃったのにね」 「なんか先生にプレゼントする?」 「あ、それなら色紙余ってますよ」
後輩がサッと鞄から一枚の色紙を出した。どうやら三年生用にと買った色紙が一枚余っているらしい。じゃあ今みんな揃ってるし書いちゃおう!という流れになり、みんな各々ペンを取り出して色紙を囲んだ。女子がこれだけ集まれば色紙を可愛くデコるのもお手の物。男の人にあげるにはちょっと可愛すぎたかなと思うほどカラフルで華やかな色紙が出来上がった。それからみんなで200円ずつ出し合って菓子折りも買ってプレゼントすることになった。
「で、渡すものは決まったけどどうやって渡すの?」 「確かに…石田先生か顧問のじいさん先生に連絡してもらってまた学校に来てもらう?」 「わざわざ来てもらうの?仕事抜け出すことになるんじゃない?」 「じゃあ渡しに行くー?でも職場ってどこに…」 「あ、私、前聞いたから知ってる」
スッと手を上げてそう言うと「さすが部長」とみんな言った。…職場知ってるなんて嘘だけど。でも私はみんなと違って三ツ谷先生の連絡先を知っている。職場を聞き出すなんて容易いことだ。
「部長だし、私が代表して渡しに行ってくるよ」
その晩、三ツ谷先生にメッセージアプリで連絡をした。連絡するのはあの連絡先を交換した日以来だから、実質初めて先生にメッセージを送るようなもの。ドキドキしながら友達一覧の中から三ツ谷隆と書かれたアイコンを見つけてタップした。そして渡したいものがあるから会いにいきたいと伝えると、職場の住所と日時が記されて返ってきた。すぐに返信してもらえたことに安堵し、ベッドにそのまま倒れ込んだ。外で三ツ谷先生に会うなんて初めてだ。どうしようもなく緊張してきた。
翌日の放課後、部員全員で書いた色紙と菓子折りが入った紙袋を握って地下鉄に乗った。青山一丁目なんて降りたことのない大人な駅で降りたけど、昨夜綿密に先生の勤め先までの道順を調べたので迷うことなくスムーズに辿り着けた。このビルの3階に、先生が働くデザイン事務所が入っているらしい。
ちょっと約束の時間には早いけど、ドキドキしながら先生に『着きました』と送った。こんな青山の一等地のビル街に制服を着た女子高生がいるなんて、とんでもなく場違いで浮いている気がする。先生、早く来てくれないかな。
「ミョウジさーん」
さっき着いたと連絡したばかりなのに、三ツ谷先生はすぐに来てくれた。一週間ぶりに見る三ツ谷先生。変わらずかっこよくて、笑顔が優しくて、やっぱり好きだなぁと感じた。
「ごめんね、こんなとこまで来てもらっちゃって。迷わなかった?」 「はい、全然」 「さすがだね。ちょっと歩こうか」
外で三ツ谷先生の隣を歩く。それだけで私の心臓はドキドキした。私がいま制服姿じゃなかったら恋人同士に見えるかな…それとも私服でも先生の隣に立つにはガキっぽすぎるかな。そんなことを考えながら足を進めた。
「んで?渡したいものって?」
近くの公園のベンチに座ると、三ツ谷先生が聞いてきた。持っていた紙袋を渡すと先生は中身を見て目を見開いた。
「えっこれって…」 「色紙とお菓子です。三ツ谷先生へのお礼として部員全員で用意しました」 「まじ!?うっそ…すげぇ嬉しい」
先生は本当に嬉しそうな顔をしながら早速色紙を読み始めた。みんな当たり障りのない言葉を並べているけど、やっぱりこういうのって貰うと嬉しいよね。先生の顔を見てると渡して良かったなって心の底から思う。
「すげー…色紙もめっちゃ女子って感じで可愛いし」 「女子があれだけ集まればデコるのも簡単ですよ」 「すげぇなぁ…女子高生から色紙貰うとか絶対ェ最初で最後だよ。本当嬉しい。みんなにもお礼言っておいて」
予想以上の反応をしてくれたから私の心もホクホクとした。先生に一人で会いに来れたし、二人きりで外で過ごせているし、喜んだ顔見れたし、今日は最高すぎる。
「あ。そうだ先生。親に進路のこと話したんです。そしたら大学であるなら服飾科も受けてみていいって」 「マジ?良かったじゃん!」 「はい。やりたいことやってみなさいって親が言ってくれて、すごく嬉しかったです。今まで我慢しててそういうこと言えなかったから…。言ってみるもんですね。これも全部三ツ谷先生のおかげです」 「ミョウジさんの役に立てたなら良かったよ」
先生はベンチから立ち上がり背中を伸ばしながら「青春だなぁほんと」なんて呟いていた。青春青春って…そんなに高校生っていうだけで違うのかなぁ。4歳しか違わないのに、やっぱりそこに壁を感じてしまう。
「…タカちゃん先生」
つい呼びたくなってしまうその名前。私だけが許されているその呼び名。他の誰にも絶対に絶対に呼ばせたくない。自分だけが先生の特別なんだって思い込みたい。
「また、会いに来てもいいですか?」
背中を伸ばしていた先生の動きが止まった。こっちに背を向けているからどんな顔をしているのか分からないが、きっと困った顔か驚いた顔をしてるに違いない。困らせること言ってごめんなさい、先生。でもどうしても、先生との繋がりを遠ざけたくないんです。
「会ってどうしたいの?」
体はそのままで、首だけを捻ってこっちを見てきた先生。ああ、やっぱりそう簡単にもう「いいよ」とは言ってくれないんですね。
「また話聞いてもらいたいんです」 「電話とかじゃダメなの?」 「会いに来たらやっぱり迷惑ですか?」 「迷惑じゃないけど、オレはもう手芸部の臨時指導者じゃないし、ミョウジさんだって部活を引退した。わざわざ会うのに…理由あるかなって」
分かってはいた、自分と先生を繋ぐのは部活動だけだと。でも私は先生にいっぱい話を聞いてもらった。連絡先も交換してもらった。だからどこか自分だけは特別なんじゃないかって思っていた。冷静に考えればそんなことないのに…やっぱり私どこか浮かれていたのかな。自惚れていたのかな。
「…じゃあ、部活に関することなら、いいですよね?」 「ん?」 「コンクールの結果出たら連絡するって言いましたけど…タカちゃん先生に会って直接報告したいです。一番に報告したいです。それもダメですか…?」
一瞬私たちの間に沈黙が走ったけど、先生は目尻を下げて目元を緩ませながら、ゆっくりと首を横に振った。その仕草を見て私はどれだけ安堵したことか。
「ダメじゃないよ。そういうことなら、オレも喜んで会うよ」 「本当ですか…?」 「うん、本当。結果出るのってまだ結構先だろ?それまでは受験勉強に専念しな。いまミョウジさんが1番頑張るべきことをしっかりやって。折角進路のこと親御さんに認めてもらえたんだから」
タカちゃん先生は、学校の先生じゃないのに時々本当の先生みたいなことを言ってくる。これが大人と子供の人生経験の差なのかな。悔しいけど、先生が今言ったことは正しいことだって私にも分かる。だから素直に「わかりました」と言った。先生も「うん、よろしい」と言った。本当にこういう時だけ教師みたいだ。
「またミョウジさんが会いに来てくれるの楽しみに待ってるから」 「…はい」 「これ、届けに来てくれてありがとな」
髪をくしゃりと撫でられて、涙が出そうになった。 だってコンクールの結果が出るまでの約2ヶ月間、タカちゃん先生とは会えないとハッキリ言われたようなもんなのだから。
心は靄まみれ
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