パチンと鋏で最後の糸を切ると、自然とふぅーっと長めの息が口から漏れた。
「できた……」
小さめの声だったにも関わらず、周りにも聞こえたみたいでみんながワッと声を上げて寄ってきた。
「すごい!お疲れ様です部長!」 「あ、ありがと…」 「めっちゃ可愛いですね、これ」 「うん、そうかな…」
コンクール3日前。ようやく個人で出す予定のドレスが出来上がった。一応妹用にって名目で作っていたから、何度か彼女に試着してもらっては直して、デザインもあーだこーだ言われたから付け足したりしたので予定より時間がかかっちゃったけど。でもおかげで満足できる一着が出来上がった。
「ナマエちゃん!こっちも仕上がったよ!」 「わ、ほんと!?」
共同製作の衣服もほぼ同じタイミングで完成した。三ツ谷先生の前で泣いた日、あの後共同製作しているグループの二人が校門で待っていてくれて、私に任せきりになっていたことを謝罪してくれた。それからの数日は私の負担を軽減する為にとかなり積極的になってくれて、今も最後の仕上げはやってくれていたのだ。
「やばーい!これ理想通りの仕上がりじゃない?」 「うんうん!良かったよ間に合ってほんと…」 「早速三ツ谷先生に見てもらおうよ!」 「うん!…ってあれ、先生は?」 「あ、そうださっき職場からの電話だって言って出て行ってた」 「そっか…じゃあ戻ってくるまでに私ちょっとトイレ行ってくるね」
コンクールに出す予定の作品が二つ同時に完成した喜びと安堵と達成感で、私はいまとても満足していた。数日前泣いていたのが嘘の様だ。トイレで手を洗いながら、あんな目や鼻が真っ赤な泣き顔を先生に晒す必要なかったかなぁなんて思いながらハンカチで手を拭き女子トイレから出る。すると廊下の端っこに、丁度携帯をパチン閉じている三ツ谷先生がいた。
「みーつやせんせっ」 「わっ!?」
そろりと背後から声をかけると、三ツ谷先生は思った以上に驚いたのか手から携帯を落とした。カシャンと音を立てて床に落ちて少し滑っていく携帯電話。私は慌ててそれを拾い上げた。
「すすすみません!そんな驚くとは思わなくて…!」 「はは、大丈夫大丈夫」 「携帯傷ついてないですか?」 「元々傷あるし古いからいーよ気にしなくて」 「すみません、本当…。お仕事の電話はもう終わりました?」 「うん」 「じゃあ作品見てもらってもいいですか?さっき完成したんです!」
三ツ谷先生は「まじ!?」と言いながら顔をパっと明るくした。「まじです!」と誇らしげに答える私を嬉しそうに見てくれて、なんだかちょっと照れ臭い。
「しかも二つとも完成したんですよ、ほぼ同時に」 「すげー、やったじゃん!すぐ見るわ」 「はい。あっ、でも先に共同製作の方見てくださいね、あの二人も待ってるだろうし…。あと2年生の子も行き詰まってて先生のこと探してたんで、その子も先に見てあげて下さい」 「了解。ミョウジさん偉いな。そうやって自分じゃなく他の人を優先できて」
そりゃ一応部長ですから…と心の中で呟いた。全然無意識なんだけどな。体に染み付いた習慣なのか、自然と自分のことを後回しにしてしまう。今まで自分のそんな性格を損だと思っていたけど、三ツ谷先生にこう褒められると損じゃないかもって思える。
家庭科室までの短い廊下の道のり。こんな1分未満の時間でも三ツ谷先生と二人きりで話せるのが嬉しかった。家庭科室に着くと、先に入りなと言わんばかりに私の背中をポンと押してくれるところとか、本当ドキドキしてしまう。
その後も、部活終了時間まで三ツ谷先生は私との約束どおり他の子達の作品を見て回ってくれていた。とりあえず共同製作の方はバッチリ見てもらったので私もグループの子達も満足した。そうこうしているうちに最終下校時間になり、みんなで慌てて片付けをし、部長の私は今日も変わらず鍵を掛けるという最後の仕事をする。
「あー!ミョウジさん待って待って」
部室の扉の鍵を掛けようとしていると、ゴツゴツとした男性の手が私の手を覆った。振り返らずとも分かる、この大きな手の持ち主。
「えっ、先生…なんですか?」 「あっごめん。いや結局ミョウジさんの個人で出す方の見れてないから…」 「あぁ…まぁでも次回でも」 「次の活動日って明後日だろ?それってコンクールの締め切りの前日じゃん。まずいだろそれは」 「でも、もう最終下校時間だし」 「大丈夫、顧問の先生に頼んでおいた。オレがいるってことで15分だけ特別に引き延ばしてもらったからさ」
え…いつの間にそんなことを。というか三ツ谷先生が私のためにそこまでしてくれた事が純粋に嬉しすぎる。鍵を掛けようとしていた私の手に覆い被さったままだった三ツ谷先生の手は、そのままドアノブから鍵を引き抜いた。ゴツゴツして血管がよく見える筋張ったら手に目を奪われる。
あれ、私、さっきからずっと先生の手に触れられていたんだ。先生の手が離れて手に空気の冷たさを感じた時、初めてそう気づいた。
部室の窓からは下校していく生徒たちの姿が見える中、二人きりでここにいることが不思議でたまらなかった。なんだかすごーくいけない事しているような、そんな気持ち。三ツ谷先生は私の完成したドレスを見てまず「すげー可愛いじゃん」って褒めてくれて、その後細部までチェックしてくれた。
「うん。すごく良くできてると思う」 「本当ですか?」 「よくここまで一人で出来たね。オレあんまミョウジさんのは見てやれてなかったのに」 「えへへ、褒めてもらえて嬉しいです」 「でも一点だけ。ここのスパンコールの縫い付けだけどさ…」
唯一直した方がいいと言われた箇所。私はしっかりとその説明を聞いてメモしようとしたが、先生が「メモなんてしないでもうここで治しちゃいな」と言うので先生の目の前で直接の教えてもらいながら縫っていく。三ツ谷先生の顔がいつもより近いことや時々指先が触れてしまうことに集中力が持っていかれそうだ。でもまた「聞いてたかよ?」って言われたら困るし、必死に自分を律した。
「うん、これでいいね」 「他は大丈夫でしょうか?」 「うん、大丈夫だと思うよ。まあオレ的には、だけど。前も言ったけどデザイナーっつってもまだぺーぺーだからな」 「ぺーぺーだったとしても、デザイナーさんに大丈夫って言ってもらえたらもう私安心です。ありがとうございます…タカちゃん先生」 「お、いま特別感あったんだな?」 「だって私だけ部活後に先生を独り占めできてるから」 「なるほど」
そうやって笑ってくれるってことは、私だけ特別扱いされてるって自惚れてもいいってことなのかな。部活中は正直ほとんど先生と絡みはない。他の部員に先生は譲ってあげている。だってそうすればこうやって部活後に先生と二人きりの時間が生まれるから。だったら部活中に先生と話せないことなんて、いくらでも我慢できるんだ。
「コンクールへの提出終わったら三年は引退だろ?ミョウジさんは進路どうすんの?」 「普通の大学です」 「普通って?」 「文学部とか社会学部とか…そっち系進もうかと」 「ふーん…服飾系には進まないんだ?」 「えっ?」 「いや、こんな上手く作れるのになぁって思って」 「……」 「あ、ごめん余計なお世話だったかな。文学部とか興味あるならそっち行くべきだよ。裁縫なんて趣味でいくらでも出来るしな」
興味がないわけではなかった、服飾への道も。服作りも小物作りも昔から好きだった。上手くはないけど作るのは好きだった。でも石田先生も丁寧だって褒めてくれていたし、三ツ谷先生もそう言ってくれて、正直ちょっと心は揺れていた。
「親が…大学じゃなきゃお金出さないって」 「専門じゃなくても服飾系の大学って結構あるよ?」 「…ですよね」 「興味あんの?」 「ちょっと迷ってた時期もあるんですけど…でも将来的なこと考えると普通の学部の方が潰しが効くよなぁって思って…」 「そりゃ間違いねぇな」 「そうですよねぇ」 「でも例えばさ、オレみたいにデザイナーとかならなくてもアパレル企業に務めればバイヤーとか企画とかそういう職もあるし。あと石田先生みたいに服飾系の大学出ても教師になるとかも出来るし」 「そっか…そんなガッツリ服作りに関わる仕事だけじゃないんだ…」 「そうそう」
デザイナーになりたいと子供の頃夢見たことがあった。でも私には出来っこないってその頃からどこか諦めていたところもあって。裁縫は私の一番の趣味であり好きなこと。文学とか社会学なんてものより興味が持てるもの。だったら少し自分の気持ちに正直になってみてもいいのかな。
「…今からでも遅くないかな」 「遅くなんかねぇだろ、まだ願書だって始まってない時期っしょ?若いんだしさ、やりたいことやってみんのもアリじゃん」
三ツ谷先生は部室の鍵をクルクル回しながら言った。そっか、そうだよね。我慢ばかりしないで、たまにはやりたいこと自分の口に出してみてもいいんだ。
「親に話してみます」 「うん、そーしな」 「ありがとうございます、タカちゃん先生」 「お、本日2回目の“タカちゃん先生”頂きましたー」
部室を出て鍵を閉めると、先生は当たり前のように職員室まで鍵の返却に付き添ってくれた。先生は来客用のスリッパだから職員用玄関の前でさようならだけど、少し欲張りになった私はもっと一緒にいたいなって言葉に出してしまいたくなる。勿論、グッと我慢したけど。
「先生、また進路の相談乗ってくれますか?」 「いいけと…オレ大学出たわけじゃないしあんま分かんねぇよ?」 「はい。でも服飾系の道に進んだ先輩として、話聞いてもらいたいんです」 「そのくらいならいいけど」 「ありがとうございます!」
どーいたしまして、と言いながら先生はスリッパを脱いで自分の靴を出した。なんだか頼りっぱなしになっちゃってるけど、でも一つでも多く先生との関わりを増やしたい。だって、そうでもしないと、
「じゃあ明後日オレ最後だけど、ラスト一日よろしくね、ミョウジさん」 「…はい」
コンクールが終わったら、三ツ谷先生はもうここには来なくなってしまうから。
せめて今だけは独り占め
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