[どうした?]
[大丈夫か?]
[おい電話でろ]
[無視すんな]

あの後友達に事情を全部話し、慰めてもらってから家にまっすぐ帰りそのまま布団の中に蹲っていた。スマホの通知音も全部切って、何時間も布団の中にいた。気づけば寝ちゃったみたいで起きたら家族も夕飯を食べ終わっているような時間だった。そしてスマホに届いていたのはタカちゃんからのメッセージと、何件かの不在着信だった。

「はぁ……ほんと自分が嫌んなる」

最初は大丈夫か?って心配してくれてようだけど、最後に届いた無視すんな、の一言は絶対怒っていると思うんだよね…。怒らせてしまった、あの優しいタカちゃんを。いや当たり前だよね。街中で偶然会ったのに、友達に自分は彼氏だと名乗ろうとしたのに遮られて挙げ句の果てにまた先生呼びされて走り去られるなんて…タカちゃん、どれだけ気分害されただろう。

とりあえずリビングに行き、冷め切った夕飯を食べてお風呂に入ったが、気分は全然改善しなかった。どうしよう…電話、するべきかなぁ。それとも最初に文字で「ごめんなさい」と送っておくべきか…と悩んでいるとスマホが振動し、一通のLINEが届いた。

[いまお前んちの近くの公園にいる]

送り主なんて見なくても分かった。なんで…なんで来てくれたの。目に溢れそうになる涙を堪えながらアウターを掴んで家を飛び出した。家から公園までのわずかな距離を、私は全速力で走った。


「タカちゃん…!」

街灯の下のベンチに座り、煙草を吸う彼の姿を見つけ
すぐに声をかけた。タカちゃんはゆっくり振り向きながらフーッと煙を吐いた。

「ちげぇだろ、三ツ谷先生だろ」
「いやあの…」
「LINEしたの3分前なのにすぐ来たな。偉い偉い。さすがオレの自慢の教え子」

ああ…完全に怒ってらっしゃる。とりあえず座れば?と言われたから言われた通り隣に座った。でも私たちの間に流れるのは重たい空気と彼が時々吐き出す煙草の煙の匂いだけだった。タカちゃんと居てこんなにも気まずいのは、初めてだった。

「つーかお前もう風呂入ったの?それパジャマ?」
「パジャマというか部屋着というか…ってやだ!私こんな顔と格好で来ちゃった…!」
「別にいいじゃん。お前のすっぴんなんて去年から見てるし」

言われてみればそうだ。高校生の頃はろくに化粧もせず学校に行っていたし、それにこの間お泊まりしたときに完全なるすっぴんも寝巻き姿も披露済みだった。そうだよ…タカちゃんは、私のそんな姿をもう見てるんだ。ありのままの私を、見てくれていたんだ。

「ごめんなさい…」
「なにが?」
「今日の昼のこと…と、LINEや着信も無視してたことも…」
「…お前さぁ、怒るとすぐ先生っつーのやめろよいい加減」
「申し訳ありません…」
「まぁ機嫌悪くなったサインとして分かりやすいから助かるけど」

そう言ってタカちゃんは煙草を灰皿に押しつけてから、私の方に体を向けた。そしてわざとらしく、大きなため息を吐いた。呆れられてる…よね。でもこれ以上何を言っていいか、私もわからなかった。

「まあさ…大体お前が機嫌悪くなった理由も分かってっけど」
「え?」
「アレだろ?今日一緒にいたアイツのことが気になったんだろ?」

アイツ、という言い方にまた私の醜い心がうごめいた。あの人、とかじゃなくて「アイツ」。それは親しい間柄の時に使う言葉だ。

「アイツな、柚葉っつーんだけど…まぁ今は仕事でも関わることあるけど昔からの友達なんだ。アイツの弟がオレの弟分って感じでさ。ほら、オレ中坊のときチーム入ってたって言ったじゃん。その時のー…」
「聞きたくない」

また、タカちゃんの言葉を遮ってしまった。なんてことをしてるんだ私…。せっかくタカちゃんが私を安心させるためにその人のこと話してくれているのに。単なる友達だって説明してくれているのに。なんで、私はこうなんだ。

「…お前が柚葉のこと気になってると思うから話してんだけど。」
「分かってる…でも、ごめん。もう聞きたくない」

また溜め息吐かれるかな。それとも、もう私みたいな女の相手なんて懲り懲りだとか言われるかな。柚葉さんの話は聞きたくなかった。でも今タカちゃんと他の話をするのも怖かった。我儘で自分勝手で独占欲の強い自分の気持ちが、本当に本当に嫌だった。

「ナマエ…何が嫌だったか言ってよ」
「言って…いいの?」
「それ聞くために仕事帰りにここまで来たんだけど」
「言ったら…嫌いにならない?」

涙が溢れるのを耐えながらタカちゃんの顔を見上げた。怒ってるかな、呆れてるかなって怖くて会ってからずっと顔を真正面から見れていなかった。けどタカちゃんはいつものタカちゃんだった。ちょっと困ったように笑ってから私の頭を自分の胸に押し込み、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「嫌いになれたら苦労しねぇよ」

その一言に私の気持ちはこれでもかってほど安心した。堪えていた涙もぽろりと溢れ、タカちゃんのコートを濡らしてしまった。けどね、もうそんなことも気にならないくらい、私はタカちゃんに大切にされてるんだって安心できていた。

それから私は自分の思いを赤裸々に話した。タカちゃんと柚葉さんが二人でカフェから出てきたのを見て悲しくなったこと、柚葉さんが転びそうになったとき彼女の体に触っていたタカちゃんを見て傷ついたこと、自分以外の女の人に笑いかけていることが嫌だという醜い感情が生まれたこと。一から十まで全部正直に話した。


「…まぁ、そんなとこだろうとは思ってたけど」
「え!?」
「あーまぁでもそっか…アイツが転びそうになったとこも見られてたとは…」
「アイツって呼ばないでよ」
「じゃあ…柚葉が、」
「それも嫌〜!」
「えぇ…じゃあ柴さん?」
「名字柴さんって言うんだ…」
「いやもうさ、呼び方とかなんでも良くね?だめ?」

良いに決まってる、呼び方なんて。むしろ柚葉さんは私とタカちゃんが出会う遥か前から知り合いみたいだし、私が呼び方一つに文句言える筋合いなどないのだ。なのにどうして…他の女を呼び捨てで呼ばないでほしいなんて、私本当にどうかしている。

「今度紹介するよ、柚葉のこと」
「え?」
「実際会ってみたら分かるよ。オレとアイツ、お前が心配するような雰囲気じゃないって」

こんな私に対してでも、タカちゃんは優しいし私を安心させようとしてくれている。嬉しい。本当に嬉しい。なのになんで私だけこうも大人になれないんだ。

「本当は…、」
「ん?」
「本当は、仕事の人でも昔からの友達でも、タカちゃんが女の子と仲良くしているのは嫌…」
「うん」
「私以外の女の子と交流持たないでって言うのは無理だって分かってる。私だって学校やバイトで男の子と喋ったりしてる。でも…もしそうやって喋ったりしてるうちに相手の女の子がタカちゃんのこと好きになったらどうしようって考えちゃうの。それに…タカちゃんがもし私以外の人のこと、いいなって思っちゃったらって想像すると、」
「うん、もういいからナマエ」

あ…やばい。変なこと喋りすぎた。自分の身勝手すぎる黒い感情を、馬鹿正直に話しすぎた。嫌われた?見放された?どうしよう…私のバカ。

「タカちゃん、あの…」
「うん。お前がどんだけオレのこと好きか分かったよ」
「え…、引いた、よね?重いし…困るよねこんなこと言われて」
「まぁ…女と一切話すなっつーのは無理だけどさ、ナマエの嫌がることはしたくないから、なるべく気をつけるよ」
「いやいや…いいの、ごめん!私勝手なこと言いすぎた!」
「お前さ、結構独占欲強いのな」
「…タカちゃんにだけはね」
「なにそれ、めっちゃ嬉しいわ」

私の肩に手を置いて、わざとらしくリップ音をたてるようにキスしてくれた。その短い一つのキスが、どれだけ私を安心させてくれたことか。こんな重い女、普通嫌がるだろうに…嬉しいって、本当に思ってくれたのかな。

「タカちゃん…もう一回」
「…だめ」
「なんで?」
「止まらなくなりそうだから」
「…止まらなくていいのに」

クリスマスの日に言われた、私の学年が一つ上がるまでは手を出さないとの誓い。そんなのさっさと破ってくれて結構なのに。タカちゃんは変なところお堅いなと思う。

「つか寒ぃし、お前湯冷めするだろ。帰ろう」
「…はーい」
「拗ねんなよ」
「拗ねてないです」
「あ、敬語になってる」
「……」
「お前さ、どんだけオレとヤりたいの?」

悪戯に笑いながら、ストレートにそんなことを言ってくるタカちゃんがムカついて思わずバシンと叩いてしまった。だって…そんな言い方、男女逆転してるみたいじゃん。私が盛ってるみたいじゃん。

「いてっ、冗談だって」
「…私のこと女として見てないでしょ」
「見てるに決まってんだろ。必死に我慢してんだよこっちは」
「そうかな。いつも余裕に見える。私ばっか必死になってばかり」
「まぁオレ大人だからな」

冷え切った手を繋ぎながら、公園から家までの僅かな道のりを歩いた。大人だから、の一言で片付けられたらどうしようもない。私たちの歳の差は、天地がひっくり返っても縮まることはないんだから。私はずっとタカちゃんに子供扱いされ続けるんだろうか。

「…4月の最初の土日でさ、泊まりに来てよ」
「え?」
「2年生になったらすぐさ、来てよ。そんくらいオレも我慢できねーってこと」
「…うん」
「全然お前だけが必死になってるわけじゃないからな」

うん。分かっている。本当は分かっているんだ。世の中体目当てで付き合ってくるダメな男が多い中、タカちゃんはこれでもかってほど私を大切にしてくれている。本当は全部、分かっているんだ。

「タカちゃん、好き」
「うん、オレも」
「…でも4月になったらもっと好きになっちゃう気がする」

そう言うとタカちゃんは「お前頭ん中そればっかかよ」って笑った。本当に自分でも恥ずかしくなるけど、早くタカちゃんとそうなりたいんだもん。お願い、早く私を、あなたのような大人にさせて。




どうしようもない距離


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