タカちゃんがお風呂に入っている間、私の緊張しまくった体は少し力が抜けた。適当につけさせてもらったテレビのバラエティー番組から流れる芸人の笑い声が、私の肩の力を抜かせてくれているのかも。…はぁ、どうしよう。とは言えタカちゃんがお風呂上がったら、もうその後は……。だめだめ、考えないでおこう。リビングに隣接している推定四畳半程の洋室にベッドが置いてあるが、なるべくそれは目に入れないようにする。
「あ…あれって…」
ふと目の端に映ったのはベッドの側に置いてあるハンガーラック。無造作にかけてある衣服はどう見てもレディース物で、一瞬でタカちゃんが作った服だと分かった。
「ナマエ、なんか飲む?」 「……」 「ナマエ?」 「あっ、タカちゃん。お風呂上がったの?」 「うん。ああ、それ見てたの?」 「これ作った服なんだよね?」 「そう」 「すごい…ねぇこれとかどうやってるの?このステッチの部分」 「ん?これはね…」
やっぱり自分も服飾を学んでいる身だから、人が作った服にはすごく興味がある。タカちゃんが作った服は初めてちゃんと見たけど、どれもこれも独創的で、でも流行も抑えているようなデザインで見ていて感心するばかり。作り方を聞けば丁寧に解説してくれて、なんだかその様子が手芸部の講師だったころの三ツ谷先生のことを思い出して懐かしくなった。
「難しそう…。こういうのって全部自分でデザイン画から描いてるんですよね?」 「まぁここにあるのは全部そうだね。仕事だとどうしてもこういう風に作らなきゃってのがあるけど、自分で作る分には本当好きなようにやってるだけ」 「へぇ〜。あ、私このワンピースとかすごく好き。裾がアシンメトリーになってるのが可愛い」 「お、わかる?オレもそこ気に入ってんの」 「色も可愛い。くすんだラベンダーって感じが」 「この生地もさぁ、なかなか理想の色の見つからなくてやっと見つけたやつでさぁ」 「そうなんだ…タカちゃんの拘りが詰まった一着なんですね」 「うん。あ、お前ちょっとこれ着てみてよ」 「え!?なんで!?」 「似合いそうじゃん」
そのワンピースをハンガーラックから取り出して、私の体に合わせながらタカちゃんはそう言った。そして「うん、イケるな」って微笑む。
「既製品のMサイズぐらいで作ってるから、入るだろ?」 「入る、けど…」 「着てみてよ。ここの服、作っただけで誰にも袖通してもらってないから」 「え?そうなんですか?」 「うん」
それって…きっとこの部屋に来たこともあるであろう元彼女も?なんか意外で驚いてしまうけど、タカちゃんがそんな所で嘘つくとも思えない。じゃあ…と私が控えめに言うと、タカちゃんは嬉しそうにワンピースをハンガーから外した。
「はい」 「ありがとうございます」 「うん」 「……あの」 「ん?」 「着替えたいんで…ちょっと後ろ向いてて」 「あぁ…だめ?」 「え?」 「このままじゃだめ?」 「…えっ、あの」 「何かインナー1枚くらい着てんだろ」
いや、確かに着てますけど…!そんな私の言葉を遮ってタカちゃんは私が着ていた部屋着を脱がせた。キャミソール姿になった私の上半身は、ぶるりと一瞬震えた。タカちゃんは何故かすごく楽しそうな顔をしていて、ばさっとワンピースを私の頭から被せた。
「ズボンも脱いで」 「は、はい」 「あー…やっぱいいね、すげぇ似合う。丈もちょうどいい」 「このくらいの丈、いま流行りですもんね」 「だな。色味もナマエに似合う」 「本当?」 「ほら、見てみ」
側にあった姿見の前に連れて行かれ、自分の姿を見た。わ…本当だ、自分で言うのもアレだけど似合うかも。思わず頬が緩むと、タカちゃんが後ろから抱き締めてきた。その様子も鏡に映って見えてしまうから、やっと落ち着いていた心臓がまたどくんと鳴る。
「あげる、ナマエに」 「え!?うそっ頂けませんよ!」 「いいの、似合ってるから。メリークリスマス」
ぎゅっとさっきより強く抱き締められた。どうしよう…作った服を貰えるなんて思ってもいなかったから嬉しすぎる。首を横に向けるとすぐそこにタカちゃんの顔があって、我慢できず私から唇をぶつけてしまった。
「ありがとう…大切にするね」 「うん」
もう一度、そしてもう一度唇を重ね合う。溶けてしまいそうな甘いキスに涙が出そうだった。タカちゃん、だいすき。だいすきだよって言葉に出したくても口が塞がれているからもどかしい。そのままゆっくりとベッドの方に押しやられていき、膝の裏がベッドに触れた反動で私はベッドに腰掛けた。
「…ナマエ」 「はっはい」 「……」 「……」 「一応聞くけど、前の彼氏とはそーゆーことしたの?」 「えっ、と…最後まではしてません…」 「それってどこまで?」 「あの、服も脱いでベッドに入って一通りしたんですが…その、最後にこう、彼が挿れるとこはちょっと泣いて拒んじゃって…」 「え、そこまでして?」 「だって私…初めてするならこの人じゃヤダって思っちゃって……タカちゃんの顔が頭にチラついて、もう無理ってなっちゃって…」 「……」 「ごめんなさい、引きますよね…付き合ってもないのに、フラれてたのに、そんなこと思って…」 「引かない。引くわけねぇだろ」
タカちゃんは私の隣に腰掛けて、またぎゅっと抱きしめてくれた。今度は私もちゃんと彼の背中に手を回して、私たちの間の距離が0になるぐらいぐっと体をくっつけた。
「なんか…そこまで行って最後拒まれた彼氏がまじ気の毒だわ」 「ははは…それもあってフラれたのかな」 「お前が他の男と付き合ってたって知った時さ…オレすっっげぇ驚いたし悔しかったんだよね」 「え?…あ、あの公園で煙草落としたとき?」 「そう。だってお前オレのこと好きって言ってたのに、なんでだよって。オレ以外で良かったのかよって。自分だって彼女いたくせにそんな事言う資格ないけどさ」 「うん…」 「でもさ、そう考えるとオレもナマエのこと気にしてたんだよな、ずっと」 「そんなん…嬉しすぎるよ…」
心臓がぎゅっと苦しくなる。そんなふうに思ってくれてたなんて知ったら私の「すき」の気持ちがますます止まらなくなる。タカちゃん、私すごく幸せだよ。諦めなくて本当によかった。今日こうやって一緒にいられて本当に嬉しい。
「んー…でもさ、やっぱやめよう今日は」 「え?」 「いや…この間お前が手出してくれないって泣いたの見てすげぇ心揺らいだけどさ、今日はやめよう」 「なんで!?」 「未成年の彼女が親に嘘ついて社会人の彼氏の家に泊まりに来てるっつーのがどうしても、こう…」 「そんなのみんなしてるよ!」 「かもしれねぇけどさぁ…」 「自分だってしてたでしょ絶対!」 「……いやでも相手が社会人だったことはない」 「でも泊まってるんじゃん!」 「いやなんかさぁ、お前の親ことを思うとだな…」 「…タカちゃん、やっぱ先生じゃん。私の彼氏じゃない」
抱きしめてくれていたタカちゃんの胸を押してから離れ、背中を向けてしまうあたり私はほんとーーにお子ちゃまだと思う。ナマエ、と背中に呼びかけられるその声から、タカちゃんが眉を八の字にして困った顔をしてるのが想像つく。でも…こんなのあんまりじゃん。私今日をすっごく楽しみにしてたし覚悟だってしてきたのに。
「ナマエ、オレすげぇ我慢してんだからな?」 「…知らない」 「ナマエ〜、拗ねんなって」 「拗ねてません。三ツ谷先生に失望してるだけです。」 「あっまたこういう時先生って言う」 「だって先生じゃないですか…いつまで、経っても」
そして私はいつまで経っても先生を困らせる生徒だ。自覚はあるけど、自分の感情が追いつかないんだから仕方ないじゃない。
「ナマエ」 「……」 「ナマエ。ナマエちゃん。おーい、可愛い可愛いナマエちゃーん」 「なにその呼びかけ…ペットみたいじゃん」 「ははっ、そっか。ごめんな」
タカちゃんは笑いながら私の背中に抱きついてからベッドに寝転がらせた。一緒にボスンと替えたてのシーツの上に転がる。そしてタカちゃんはこれでもかって程私を背後から強く抱きしめてくれた。
「本当はさーお前が成人するまでって思ってたけど、やっぱそこまで我慢できねぇわ」 「…え?」 「お前が二年生になったらもっかい泊まりに来てよ」 「なんで…あと三ヶ月くらい待たなきゃいけないんですか…」 「んー。オレなりのケジメかな。あとオレらまだ付き合って1ヶ月くらいじゃん。もう少し落ち着いてからさ、ナマエとはそうなりたい」 「……」 「ダメ?」 「ダメ、じゃない…」 「そっか。良かった」
体の向きを変えて、自分からタカちゃんの胸に抱きついた。タカちゃんは「やっとこっち向いてくれた」と微笑んだ。本当は分かっているんだ。どれだけ私のこと大切に思ってくれているか、手芸部の時から分かっているんだ。元暴走族だろうが何だろうが、タカちゃんは教え子思いで世話焼きな人だってことも、だからこそ私との付き合いは慎重になっていることも。好きだから、ずっとタカちゃんのこと見ていたから知っているんだ。
「ごめんなさい…また拗ねちゃって」 「んーん、オレもごめんな、不安にさせて」 「タカちゃん、大好き」
唇を合わせているだけでも感じる、最高の幸福感。きっとこの人以外では感じられないような、愛おしい気持ち。私、タカちゃんに出会えて本当に幸せだ。
「オレも大好きだよ、ナマエ」
夜のほとぼり
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