[もうすぐ仕事終わる]
[じゃあいつものコンビニの前で待ってます]

先生と付き合い始めて一週間。なんとかナチュラルにLINEのやり取りをすることはできるようになってきた。今日は私が最終コマまで授業があったから、そのあと少し教室に残って課題をこなしてから仕事終わりの先生と落ち合ってご飯を食べて帰る予定。そう、授業後のデート、なのだ。ニヤケそうになる口元を押さえながら机上に広げていた課題を片付け始める。そうだ、この課題、提出前に先生に見てもらおうかな。裁縫を見てもらうなんて部活の時以来で、なんだか懐かしくてそれはそれでいいなぁ。

教室を出てキャンパス内を歩いていると「今から会社出る」と連絡が来た。わ、思ってたより先生早いな。急いで待ち合わせ場所のコンビニに向かわなくちゃ。小走りで正門を出るとナマエちゃん、と誰かに呼ばれた。


「……あっ、えっ…」
「よぉ〜一週間ぶりだな」

私を呼び止めたのはあの日のOBの男。え…なんでここにいるの…。ニコニコと笑いながら近づいてきたその男の頬には大きめの絆創膏が貼られている。あの日、私に触ってきたとき、三ツ谷先生が殴った痕だということがはっきりと分かった。


「先日はどうもな」
「……」
「そう警戒すんなって。悪かったって。殴られて目覚めたよ俺も」

警戒するななんて難しすぎる話だ。あんなことしてくる男に警戒しない方が頭おかしい。肩にかけてるバッグの肩紐をギュッと握ってから一度会釈し、男の横を通り去って帰ろうとする。

「ねぇ、謝ってんだから待てよ」
「え…あの、謝罪は聞きましたから。もういいでしょ」
「この間の暴力男はなんなの?きみの彼氏ってわけでもなさそうだったけどさ。人にこんな怪我させてさ、これって傷害罪だよね?」

え、傷害罪?なにそれ、じゃあ訴えられたりしたら先生ヤバいってこと?
私の顔色が変わったのを見てか、男は私の腕を掴んできた。ぞわりと鳥肌が立ちあの日の恐怖が蘇る。

「は、離して…!」
「じゃあこれからちょっと付き合ってよ。そしたらアイツに殴られたこと黙っておいてやるから」
「……そんな」
「困るだろ?アイツに迷惑かかったら」

そりゃ困るに決まってるけど…でもだからと言ってこの人について行くのだって危ないに決まっている。友達が言ってた「あのOB結構女に手出すタイプだから」という言葉は本当だったみたいだ。

どうしよう。どうやってこの場から逃げよう。腕掴まれてるし振り切れる気はしないし。それにこの人の「ちょっと付き合ってよ」はその辺でお酒一杯、なんてものでは終わらないのが明白だ。絶対に絶対にそれ以上のことを望んでいる。しかも傷害罪だとかなんだとか言って脅しながら。どうしよう…一旦先生に連絡する?いやでも…巻き込みたくはないし。

なんて悶々と考えていると「おい!」と乱暴な声が響いた。ビックリして顔を上げると先生が猛ダッシュしてこっちに向かってきている。え…うそ、先生…。また助けに来てくれた…?

息を切らした先生は私の隣に立つとすぐさまその男から私の腕を解放してくれた。そして私を背後に隠すように私の前に立ち憚った。


「お前…この間の奴だな?なんでまたコイツんとこ来てんだよ」
「うわ、また出たよこの暴力男…」
「また殴られたくなかったら消え失せろ」
「なんなのおたく?邪魔しないでくれる?」
「邪魔するに決まってんだろ!」
「はあ?」
「コイツはオレのだ。てめぇみてーな奴に触らせるかよ」

心臓が煩いくらいにドキドキと鳴った。先生…これはなんのご褒美ですか。こんなこと言ってもらえるなんて思いもしなかったから、私の心臓はもう締め付けられそうなんですけど。先生の顔を見上げると額から一筋の汗が垂れ流れていた。こうやって本気で走ってきてくれたことも、困るくらい嬉しかった。

大学の正門の前で言い争っていたから、警備員のおじさんが「どうしました?」と出てきてしまった。するとOBの男は舌打ちをしてその場を去ろうとする。

「おい、二度とナマエに近づくんじゃねぇぞ」
「彼氏と別れたばっかなのにすぐまた男作ってるような女、こっちこそご免だよ」

ちくりと胸が痛くなるような言葉を吐かれたけど、とりあえずもう私に会いにくることはなさそうだし一旦胸を撫で下ろす。先生はまだ怖い顔をしたまま向こうを睨んでいたけど、私が服の裾を引っ張るとハッとしてこっちに振り向いた。

「…大丈夫だった?」
「はい。あの…どうしてここに…?」
「コンビニ着いたのにまだいねぇから大学まで迎えに行くかーと思って歩いてたら絡まれてるの見えて…あーまじ焦った」
「私も…焦りました。まさか待ち伏せされるなんて」
「は?アイツ待ち伏せてたの?まじ危ねぇ奴だな」
「でも…先生助けに来てくれたから」
「おいおいオレだってたまたま助けに入れただけだからな。ったく…心配だなこれからも」
「え?」
「アイツ、またナマエ狙って待ち伏せとかしてきそうじゃん」

心配してくれたことも、私を守ろうとしてくれたことも、ナマエって私の名前を呼んでくれることも、全部が全部嬉しすぎた。怖かったけど、あのOBが来たことでちょっといいこともあったかも、なんて思ってしまうほど。

先生は私の頭にポンっと手を置いて「なんかあったら必ず連絡しろよ」と言った。…どうしよう。心配かけてるって迷惑かけてるって分かってるのに口元が緩みそうになる。


「おい…何笑ってんの」
「いやだって…先生が私を守ろうとしてくれてるって思うとニヤニヤしちゃいそうで…」
「もうすでにニヤニヤしてっから。あと先生ってやめてよほんと」
「あっ…すみませんつい癖で」
「慣れない?タカちゃん呼びは」
「…うん。なんかまだちょっと緊張しちゃう」
「まじで?オレはとっくに緊張しなくなったけどなー」

敵わないなぁ先生には。タカちゃんって呼べるようになったことだけで大歓喜な私とは大違いだ。目が合うと「いい加減慣れろよ」っておでこを突かれる。これ、よくやってくるけど、正直ちょっと痛いんだけど、これやられるの好きなんだよなぁ。


「ご飯食べに行きましょう。タカちゃん」
「ん。何食いたい?」
「焼き鳥!」
「おっさんみてぇ」
「え?タカちゃんの方がリアルおっさんでしょ?」
「おー言うようになったな」
「言うようになったんじゃなくて、言えるようになったんです」

タカちゃんは目を一度大きく見開いたけど、すぐさま軽く笑ってくれた。そして私の手を取って歩き出した。付き合うようになって一週間経ったけど、手を繋ぐのはこれが初めてだ。初めて握るタカちゃんの手は、大きくって思っていたよりゴツゴツしていて、いかにも男の人の手って感じだった。優しく包み込まれた彼の手にゆっくりと自分の指を絡めると、応えるようにタカちゃんも私の指を絡め取ってくれた。

ちょっとずつ、ちょっとずつだけど私たちの距離が縮んでいく。先生として出会った大好きな人が、私だけの特別な人になっていく。その過程がとてつもなく温かく、心地良かった。


「あ、焼き鳥屋連れてってやるけと酒は飲むなよ」
「へっ?なんでですか?」
「なんでってお前未成年じゃん」
「えぇっ!?私が友達と飲み会した話はふつーに聞いてるのに!?」
「それとこれは別」
「えっ!やだ、飲みます!焼き鳥なのに飲まないとかないです!」
「未成年のくせに生意気言ってんなよー」
「やだ、飲む」
「だーめ」
「ケチ!」
「お前…先生に向かってケチはねぇだろ」

ちょうど信号が赤になって足を止め、タカちゃんは目を細めながらそう言った。ケチはケチじゃん。せっかく初めて一緒に夜ご飯食べるのに。一緒にお酒飲むの楽しみにしてたのに。

「てゆーか先生って呼ぶのやめろって言ったくせに、都合のいい時だけ自分のこと先生って言うんですかー」
「それ自分でも言った後思ったわ」
「ね、おかしいですよねそれ」
「だな。まぁ先生って言われんの、そう嫌いじゃないけど」
「えぇ?先生って呼ぶのやめろって言ったくせに?」
「んーあれはまぁなんつーか…ナマエにはちゃんと名前で呼ばれたかったってだけ」

少し照れ臭そうにそう言ったタカちゃんは、信号が青になったからと言ってすこし足早に横断歩道を渡り始めた。

心がムズムズする。タカちゃんから私に対する「すき」が感じられたから。やばい、こんなふうに気持ちがふわふわするの、初めてかも。お酒を飲むのをダメだと言われてちょっとムカついたけど、大人と子供の線引きをされてちょっと悔しかったけど、そんな気持ちも吹っ飛ぶくらいタカちゃんを愛しいと思えた。





きみに溺れた


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