空耳か幻聴だったのではないかと疑いたくなる。だって三ツ谷先生が、付き合う?なんて、言ってくると思う?無謀な片思いをしていることぐらい、ちゃんと自覚していた。それでもいいから先生を好きでいたかった。勝手に好きでいることぐらいいいじゃんって、ずっとそんな気持ちだったから。


「…聞いてた?」

私の表情を確認するかのように先生が顔を覗いてきた。驚いて体が無駄に大きく反応してしまい、背もたれのないベンチだから後ろに転げ落ちそうになってしまった。

「あっっぶね…」
「…す、すいません……」

先生が私の腕を咄嗟に掴んでくれたおかげで、後ろに転げ落ちることにはならなかった。私何してるの…落ち着かなきゃ。いやもういっそのことここは転げ落ちて笑いを取った方が良かった気すらしてくる。

「先生…」
「ん?」
「私、さっき変な幻聴聞こえたんです」
「それ多分幻聴じゃねーよ」
「いやそんなバカな…」
「じゃあもう一度言おうか?」
「えっ!無理ですそんな二度も聞けません!」
「じゃあ言おっと。ミョウジさん、オレと付き合う?」

聞けないって言ってるのに…何この悪ふざけは。先生はニヤリと笑いながらまた幻聴にも聞こえそうなその言葉を言った。待って…無理、脳内で先生の言葉が処理できない。

「本気で言ってますか?」
「生憎、冗談でこういうこと言えるタイプじゃないんで」
「そうだとは思いますけど……。私が、先生の彼女になる、んですか?」
「うん。どお?」
「どお?って……私の気持ち、知ってるくせに」

私の顔は絶対いま赤い。そして強張っているに違いない。ずっと好きだった異性から放たれた夢のような言葉がどうしても信じられなくて、でも段々と現実味が帯びてきて心拍数が上がってきた。嘘でしょ?先生と私が恋人に?え、そりゃずっとそれを望んできたけど…でも、っえ!?

三ツ谷先生は一人であたふたしている私の様子を見て声を出して笑っていた。やっぱり先生は私よりいつも余裕があって、私はいつも余裕のない子どもなのだ。


「とりあえずもう遅いし帰ろ。家の前まで送るから」
「えっいーですよ、ほんとここから3分くらいなんで」
「ここまで来てんだからその3分くらい送るわ。ほら行くぞ」

私の背中をぽんっと優しく一撫でしてから先生は立ち上がった。私も慌てて立ち上がるが、バッグの中身がバサバサと落ちてきてしまいまたあたふたする。先生はまた笑いながら「落ち着けよ」と言った。落ち着けるなら、私だってすぐに落ち着きたいんだけどな。





「せん、せい」
「んー?」
「あの、ここです、うち」
「あ、ほんと。覚えとくわ。今後も送ることあるだろうし」

その言葉だけで心が締め付けられそうになる。私、本当に先生と付き合うんだ。

「あの、…改めてこれからも、よろしくお願いします」
「おー、こちらこそな」
「意味なく連絡とか、していいですか?」
「すぐ返せるかわかんねぇけどな」
「おはようとかおやすみとか、それだけでも連絡していいですか?」
「うん」
「仕事終わりとか休みの日とか…あ、会ってもらえますか」
「だから、そういうもんだろーが付き合うって」

先生は私の頭を撫でた。
うそ…うそだ。これほんっとに現実?先生と付き合えるなんて、宝くじが当たるより低い可能性だと思っていたのに。

「さすがに家の前だからこれ以上はしねぇけど…。ま、また連絡するから」
「はっはい!」
「んじゃおやすみ」
「おやすみなさい!」

片手を上げながら帰っていく三ツ谷先生の横顔が、いつもの何倍もかっこよく見えたのは気のせいじゃない気がする。ほんのさっきまでは叶わぬ想い人だった先生が、私の彼氏になった。だからかな、三ツ谷先生にいつもよりときめいてしまう。






翌朝、私はフラフラの状態で大学へ向かった。つまりはあれだ、ほぼ眠れなかったのだ。とりあえず先生に何かメッセージを送らなきゃ!と思うも何を送ればいいか分からず、文章を作っては消してを繰り返しているうちに深夜1時を過ぎ、とりあえず慌ててお風呂に入った。その後もまた文面を考えたり数時間前に起きたことの余韻に浸っていたら4時になっていた。因みに今日は一限からあるというのに…。


「ナマエちゃんおはよー」
「おはよ…」
「ねぇ昨日大丈夫だった?あのしつこそーなOBと最後までいたんでしょ?」
「気づいてたなら助けてよ…」
「ごめん、駅着いて後ろ振り向いたらナマエちゃんいなくてビックリしたよ。で、大丈夫だったの?」
「…うん、大丈夫」

三ツ谷先生のことで頭がいっぱいだったが、そういえばあの変態OBに触られてたんだった。初めて味わう恐怖感と気持ち悪さだったけど、でもそんな出来事を上書きしてしまう程嬉しいことがあったからすっかり忘れていた。先生、喧嘩めっちゃ強いんだろうなぁ。殴ってた姿もかっこ良かったし…

「…ナマエちゃん?本当に大丈夫だったんだよね?」
「ん?えっ!もちろん!」
「そう…?ならいいんだけど。あのOB、なんか結構女に手出すタイプの人だったみたいでさ。何もなかったなら良かったよ」

いやまさに手出すタイプだったけどさ。とは言えずにいると、教授が教室に現れたので慌てて空いてる席に着いた。一限から座学の授業。これはかなり眠気との戦いだ。




午前の講義が終わり、友達と別れて駅に向かう。今日はこれから夜までバイト。授業が午前のみの日はこうして午後はがっつりバイトを入れているのだが、今日ばかりは後悔している。だってもう、眠気で倒れそう。ミント系のガムでも噛んで目を覚そうかなとコンビニに入ろうとした時、ポケットの中でスマホが振動した。そしてディスプレイを確認して私はすぐさまそれを耳に当てた。


「もっもしもし!」
『帰んの?』
「へっ?」
『今日授業終わり?』
「あ、はい…えってかどこにいます?」
『後ろ、振り返ってごらん』

驚いて後ろを向くと、20メートルくらい後ろに三ツ谷先生が歩いていた。昼時だからたくさんのサラリーマンが歩いている中だけど、不思議とその姿はすぐに見つけられる。


「こ、こんにちは…」
「こんにちは」
「先生…お昼休みですか?」
「そー。んでミョウジさんの姿見たから走ってそこの信号渡ってきた」

信じられない。何もかもが。先生が私を見つけて走ってきてくれた?え?うそ?なんなのこれ?

「時間ある?」
「あっはい…えっと、14時からバイトなんでそれまでは」
「んじゃ昼一緒に食おうぜ」
「え!?嘘!?」
「は?何が嘘?」
「だだだだって、先生とご飯とか…!」
「おいおい慣れろよ、これからいちいちそんな反応するわけ?」
「慣れろってそんな…まだ、1日目なのに…!」

先生はからからと笑いながら「何食う?」と聞いてきた。正直寝不足で食欲があまりないんだけど…でも三ツ谷先生と食べられるならなんでも胃に入りそうな気がしてきた。



「昨夜、連絡くれなかったじゃん」

先生の行きつけだと言う定食屋さんに連れてきてもらい、各々好きな定食を注文した後、先生はニヤニヤしながら私を揶揄うように言ってきた。


「すみません…なんて送ろうか考えすぎて送れませんでした」
「なんだそれ。どんなLINE来るかなーって待ってたのによー」
「え!?うそっ、ごめんなさい!」
「いいよ別に」
「もう私…ほんと昨夜のことが夢なんじゃないかってまだ信じられなくて…、だって先生が私と付き合うなんて」
「なぁそのさ、先生ってのもうやめてよ。周りが聞いたらイケナイ関係に見られそうじゃん」
「はっ…!そうか…。えっと、じゃあ…」
「じゃあ?」
「…じゃあ……」
「じゃあ〜?」
「……えっ、もう無理です!」

私はなんて情けないんだろう。先生からのジリジリとした視線と先生を下の名前で呼ぶことに耐えられなくなり、両手で顔を覆った。先生はそんな私の姿を見て、肩を震わせて笑っていた。もう、ひどすぎないか、色々。

「虐めないで下さいよ…」
「ははっ、いや、ほんっと…虐めるつもりなんて1ミリもねぇんだけど、気づいたら虐めたくなってる」
「えぇ…勘弁して下さい」
「なんかミョウジさん高校生の時の方がしっかりしてたんじゃね?」
「そうですか…?私退化してるのかな…」
「退化させてんのはもしかしてオレ?」
「ですね、絶対」

先生はまた笑いながら「やべぇじゃんオレ」と言った。よく笑うなぁ先生は。部活見に来てくれてたときより絶対よく笑っている。それはやっぱりもう実質「先生」じゃ無くなったからなのかな?あの頃は私や他の部員たちの「先生」だったからか、今より何倍も大人に見えていた気がする。でも今は「先生」じゃなくって「彼氏」だから…?だからこんなに素を出してくれている……?


「なに百面相してんの?」
「え!?あ、何でもないです!」
「面白いなー。見てて飽きないな、ナマエは」

いま、確実に時が止まった。止まっていなかったら、また幻聴が聞こえたのかもしれない。だっていま、ナマエって私の名前読んだ。ミョウジさんって呼んでいたはずなのに、いきなりナマエって呼んだ。


「もぉ〜…ズルすぎです」
「んー?何がぁ?」
「…タカちゃんは、ズルいです」

さっきまで声を出して笑っていた先生…いや、タカちゃんが、声を出さずににこりと微笑んでくれた。その瞳には今は私しか映っていないんだと思うと、私の心はこれでもかと言うほど温まっていくのた。






恋が愛になった瞬間


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