「よぉ、ミョウジさん」

大学での講義、友達とのご飯や買い物、サークルでの飲み会。そんな毎日を過ごしているとあっという間に6月になっていた。その間、三ツ谷先生には会っていない。正確に言うと、やはり大学と職場が近いから駅などで見かけたことはあった。でも声は掛けず先生の姿をなるべく視界に入れないようにして立ち去った。先生への気持ちが断ち切れていないのに、先生の中に私が入り込む隙間がないと分かった以上、無闇に接したくなかったからだ。きっと先生もいい加減私に会うのは気まずいと思ってるだろう。

だから今こうしてコンビニの前の喫煙所で何もなかったかのように声を掛けられるなんて、想像だにしなかった。


「久しぶりじゃん」
「はい…え、三ツ谷先生煙草吸うんですか?」
「あー時々な?なんかこう吸いたくなる時があんだよ」
「へぇ…」
「お前は吸うなよ?大学生になってどーせ酒は飲んでんだろうけど煙草はやめとけ、煙草は」
「吸いませんよ。髪とか匂いつくの嫌だし」

あ、これは喫煙所の前で言っちゃいけない言葉だったかも。三ツ谷先生の他にも煙草吸ってる人いるのに。やはり気まずくなったのか、煙草を吸っていた人はまだ短くなっていない煙草を灰皿に押し付けて去っていった。

「やっば…失礼なこと言っちゃったかな私」
「ははっ、まぁ気にすんなよ赤の他人なんだし」

先生は私に気を遣ってから横を向いて煙を吐いた。そうしたって喫煙者の目の前に立っていたら匂いなんて付くもんだと思うけど、まぁそのちょっとした気遣いの気持ちは有難い。


「大学近いのに全然会わねえな」
「時間が合わないんですかね」
「まーオレも時間不規則なことあるし大学生なんて曜日によってバラバラっしょ?」
「ですね。私今日は午前で終わりだし」
「いいなー、遊んで帰んの?」
「遊ぶって言うか買い物でもしてこうかなって。ピアス買いたくて」
「あ、そっか、ファーストピアス外れたんだな」

さらりと私の耳元の髪を掻き上げて耳を見てきた三ツ谷先生。びっくりして体が固まった。髪、触られるなんて…今までだって私の体のどのパーツにも触ってきたことなかったくせに。なんで今になって…。

「あ、わり気安く触って」
「っ、いえ…。せっ先生はいつもそのピアスですね!お気に入りなんですか?」
「これ?そうだね、ずっと付けてるなー中坊ん時から」
「えっ?飽きないんですか?」
「本当に気に入ったものって何年経っても飽きねぇもんだよ?」
「そっか…いいですね、なんかそーゆーの」
「だろ?オレもそんな服作りたいんだよなぁ」

そう言えばまだ三ツ谷先生が作った服って一度も見たことない。デザイナーと言っても普段どんな仕事をしているのかよく知らない。ていうか、私先生のこと大して何も知らなくない?初めの頃に部室でプロフィール教えてもらった時以来、先生の個人的な話って聞いたことないかも…。


「あ、お疲れ様です」

コンビニに入ろうとしている30代くらいの男性に、三ツ谷先生が挨拶をした。おそらく職場の人なのだろう。

「あ、三ツ谷。6月の合同誕生日会、今週の金曜に決定したぞ。大丈夫か?」
「マジっすか。空いてます。ありがとうございます」

三ツ谷先生は職場の先輩だと思われるその人に頭を下げながらお礼を言っていた。すごい、社会人でも会社で誕生日会とかあるんだ。いいな楽しそう。あれ、そういえば三ツ谷先生の誕生日って…と、いつしか聞いたプロフィールを頭の中で思い浮かべると自然と「あっ」と声が漏れた。

「先生双子座でしたよね?もしかして今月誕生日?」
「すげ、よく双子座とか覚えてたね」
「あっまぁそりゃ…」
「ありがと、覚えててくれて」
「6月何日なんですか?」
「今日だよ」
「へー…って、うそ!?」
「嘘じゃないと思うけど。今日って12日だよな?」

先生は自分のスマホのロック画面を見て「うんやっぱ今日だわ」と言った。

「えーー!おめでとうございます」
「おー、そんなめでたくねぇけどサンキュー」
「23歳ですか?」
「そうだな」
「はぁ…やっぱ大人だなぁ三ツ谷先生」
「そう?おっさんの間違いじゃなくて?」
「先生そのおっさんネタ好きですよね。おっさんじゃないですよーって言われたくて言ってるでしょ」
「…そうかもしれない」

苦笑いしながら先生は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。そっか、今日誕生日なんだ。誕生日当日ってことはきっと彼女さんとデートでもするんだろうなぁ。こんなお洒落でかっこいい先生に彼女さんは何をプレゼントするんだろう。私だったら考えつかないな。でも先生だったらきっと、自分の好きな人がプレゼントしてくれた物だったらどんな物でも喜んで受け取るだろう。

「んじゃ、そろそろ仕事戻るか」
「先生、ちょっと待っててください。1分!」
「え?」

私はコンビニの中に小走りで入っていき、飲料品コーナーで自分の好きな銘柄のチルドカップコーヒーを掴んだ。でも前一緒にスタバに行った時甘いの飲みきれないと言っていたのを思い出し、いつも自分が買うものより甘さ控えめの物を選び直してレジに持って行った。そして鞄から油性ペンを出し、コンビニの外で待っている三ツ谷先生に見えないように急いでペンを走らせた。


「先生、お待たせしました。お誕生日おめでとうございます」

先生はキョトンとした顔で差し出されたコーヒーを見ていた。そしてカップに書かれている“Happy Birthday!タカちゃん先生” の文字をまじまじと見て笑った。私の好きな、目尻の下がった優しい笑顔で。
 
「ありがとう、ミョウジさん」

カップを渡す時、先生の指先が私の指先に一瞬触れた。今日先生と接触するのは2回目だって、心の中で喜んでしまった。

「今一瞬で書いたのにすげぇ可愛く絵も描かれててすごいね」
「いや、リボンとキラキラのみですけど…」
「すげぇ女子っぽい」
「女子ですから」
「あ、しかもちゃんと甘さ控えめの選んでんじゃん」
「前スタバで言ってたから」
「ミョウジさん色々覚えててくれんなー。嬉しいよ、ほんと」

私も嬉しいですよ、先生。先生が些細なことでも褒めてくれると心がギュッとなって嬉しさとあと…好きって気持ちが強く湧き出てくるんです。たとえ届かない想いでも、まだ心の中にこの想いは残しておきたいんです。

「ありがとう、本当」
「いえいえ」
「コーヒーも嬉しいけど、このちょっと書いてくれたメッセージが嬉しいよ。もうさ…タカちゃん先生って呼んでくれないと思ってたし」
「え…」
「このカップ捨てられねぇなぁー」

先生はもう一度カップに書かれた文字を見ながら笑っていた。先生の言う通り、タカちゃん先生って呼ぶ勇気はもうなかった。呼べないから、だからせめて文字で書いたんだ。タカちゃん先生って呼べる特別感が好きだった。でも先生の特別な人は他にいた。その人はなんて呼んでいるのかな。隆、とか呼んだりしてるのかな。それともタカちゃんって呼んでるのかな…

嫌だ、嫌だよ、タカちゃん先生。やっぱり私先生の特別になりたい。タカちゃんって呼ぶ女は私だけであってほしい。他の女の人には呼ばせないでほしい。

「…ごめん、変なこと言ったなオレ」
「ちがい、ます…、目にゴミ入っただけなんです…」

目が充血した感覚があるのは気のせいじゃなかったみたいだ。先生が私の目を見て「泣くなよ」って訴えてきているのが分かる。泣きたくて泣いてるわけじゃない。私を泣かせてるのはいつもあなたなんだよ、先生。




呼べない名前


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