涙底


この街の雨は降りやまない。
ときおり、まるでやんだかのように弱まることはあっても、目を凝らすと水の筋が空気の中に途切れず滲んでいるのが見えた。
長く、とても長く降り続けている。

はるか昔にあった文明が巨大な地下世界を建設し、外の世界と変わらぬよう大空を、気象まで造りだしたそうだ。
けれど文明の衰退とともに気象システムはコントロールを失い、地下の風景は徐々に異変をきたしていった。
地中システムの中にはまだ正常に動いているものもあり、今だ地下世界は保ち続けている。
地下に置き去りにされた住人たちを蝕んでいきながらも。

ニルは教会正面の大きな扉の横にしゃがみこみ、朽ちかけた構造物群の隙間からのぞく雨空を見上げていた。
陰雲が渦巻く覆蓋(ふがい)の溟いから大きな雨滴が地に向けて一気に駆け下りてくる。
雨は地をたたき轟くような音を街中に響かせていた。
太い雨筋は水煙となり、景色のなにもかもを覆ってしまっている。
教会前に横たわる路地には誰もいない。
午前中に教会へ訪れていた信者たちは、疾うのむかしに、激しく降りだした雨の中へと帰っていった。

雨音のほかに聞こえてくるものは特にない。
轟くばかりの音は、けれど、喧騒に満ちているはずの暮街をひっそりと静もらせていく。
数メートル先にある通りを歩く疎らな人影が灰色に滲んでいた。
どの人影も雨をふせぐものを持たずに彷徨っている。
路地の上をすべる黒水が漣をたてながら側溝へと流れ込んでいく。
建造物のコンクリートや木片が溶け込んだ水の匂いが鼻腔をかすめた。

からん、と傍にたてかけた傘が倒れる。
足元へと転がったそれを取って、しばらくの間、傘のカナリア色を見つめるとニルは両腕でもって胸もとへと抱きこむ。

雨の音が響(どよ)む。
目蓋を閉じて耳を澄ます。
水の音が響く。
身の内側から呼応するかのように鳴り響き、すでに指先まで満ち溢れるほどになっていた。

ニルは伏せていた顔を上げて眼前を凝っと見つめる。
雨幕がかった通りから教会へと到る路地に流れてきた一つの人影―――――――ニルは立ち上がりながら走り出した。
振り続ける雨の中にぽつんと滲んだ人影に向かって。
途端、轟く降音にニルは包み込まれた。
地を叩きつける雨の音が痛いほど全身へと降りそそいでくる。
声の出ない咽喉をふるわせて名前を呼んだ。
胸もとに抱えた傘を握り締めて、もう片方の手で冷たく打ちつけてくる雨を払いながら、あらん限りに前へと、その人影へと向かって差し出す。
雨の中から響いていた微かな音が、近付くにつれ少しずつ、はっきりとした声となり、灰色に滲んでいた影が、思いを寄せる少年の姿へと輪郭を結んでいく。
ニルは爪先立って胸もとに抱えていたカナリア色を少年の頭上へとひろげた。
銀をまぶした髪、青白い額、削いだ頬から包帯の撒かれた首筋を、身に纏った深い海色のコートから黒革でしつらえたブーツの爪先まで――――傘をさしてはみたものの、少年の身から垂れる大粒の雨滴はとまらない。
長い間、溟い水の中に浸かり続けていたように。
そして、これからもそうであるかのように――――。

呆気にとられてニルを見下ろしていた少年が、不意に苦笑した。

「おまえなぁ、傘さしてから、外、出てこいよ」

ニルは少年の笑顔を凝っと見つめてから、そろりと視線を下げて自分を見下ろす。
雨を大量に浴びたため、肌に髪や服が張り付いてしまっている。

「あーあ、すっげ、びしょぬれ」

呟くような少年の言葉にニルは再び顔を上げた。
少年は色の失せた薄い唇の端を僅かに上げて微笑んでくる。
痛みに堪えているかのように、なにかを悼んでいるように、静かに。

見下ろしてくる瞳のガーネットに雨滴が染みこんだかと思うと、すぐに目の縁に溜まり、こぼれ、頬をつたって流れていく。
ニルは腕をのばして少年の凍えた頬に手のひらをあてて、ゆっくりと撫でながら雨涙を拭う。

「………大丈夫だから」

困ったように笑うと少年は濡れた手を振りながら持ち上げ、ニルの頭にのせて、くしゃりと揺らしてくる。

「帰ろう」

そう言ってニルが持っている傘を取って、促すように背中を軽く叩く。
教会の方角へと向けた少年の横顔を見上げたまま、ニルは大きく頷いた。


この街の雨は降りやまない。
長く、とても長く降り続けている。
いつから降っているのか、いつまで降り続けるのか――――街が雨水に沈んでしまうまで。
沈んで水に浸されたなかで雨音を響かせ続けるのだろうか。
この街の雨は降りやまない。
やむことはない。

ニルの胸奥で奏ではじめた少年への調べも――――。






ニル→ハイネ
勝手に地下街の設定変えちゃいました;;
つくりものの空とか気象とか。
誤字脱字色々間違いすみません。
2009.7.29
※御題配布元 SLUTS OF SALZBURG



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