待っているのは蜜じゃない


陽が傾きかける兆しを認めると、それまで粘っていた人々も急ぎ足で街路を歩きはじめる。
路端の商店も片付けをはじめ、あっという間に人気が疎らとなっていく。
フォルトゥナの街が夜の体(てい)を現すのは早い。
もう半時も経てば、外を出歩く者の姿などほとんど見かけなくなる。
夜遊びする者も、もちろん、夜遅くまで開いている店もない。
この街では当たり前の事だった。

ネロは傍らでゆっくりと暢気そうに歩いているキリエを一瞥して、ため息をついた。
聞こえないように小さく。

「ネロ、どうしたの?」

きょとんとした表情でネロを見てくる。

「なんでもない」

ネロはキリエの背中に腕をまわして、もう少しだけ早く歩くよう気取られないようゆっくり、ゆっくりと押して誘う。
もう少しで自宅に着く。
最近では滅多に中心街へ入り込む悪魔たちは減った。
そんなに気を張ることはないのかもしれないが―――――――。

そう思った矢先、ふと、目の端で塵のようなか細い影がひらめいたのを捉え、その方向へネロは視線を投げる。
古く趣のある舗装街路が傾きかけたか弱い陽光を受けて朱に染まっていた。
足元から伸びたネロとキリエの影法師も歩みに合わせて共に赤くゆらめいている。
街路のそこかしこに生じた夕日の当たらなくなった暗がりに小さな羽蟲がもぞもぞと動いていた。
煤のように脆く、薙ぎ払えば呆気なく消えてしまうだろう。
魔界に棲み、地獄から湧いて出たものだが、人や物陰を這い回るだけの力ない魔蟲だ。
けれど、それでも目障りこの上ない。
ネロはキリエの頭を引き寄せ、髪に頬を埋めた。

「なに? どうしたの?」

笑いながらキリエはネロの髪を優しく撫でてくる。

「……5分で終わらせてくるから」

キリエは少し表情を改めたが、すぐにふわりと微笑んで頷くと、またネロの髪を撫でる。
まだ閉店の看板をかけていない店にキリエを預けるとネロは街路から外れた裏通りへ向かう。

寂れた裏道を足早に歩きながら右腕から魔力を放った。
青白い閃光が裂け飛び、周囲の影という影を素早く打ち据えていく。
ノイズのような耳障りな震えが伝わってくる。
もっと手っ取り早くやりたい。
袋小路に辿りつくとネロは悪魔の腕を前方へ伸べ、手のひらを下へと向けた。
肉が裂ける音が響き、手首から血が迸る。
真赤な奔流は足元から飛び散り、ネロの影に沿ってひろがっていく。

ネロの影が赤黒く染まり煮え立つように蠢き始めると翅の音を鳴らせて魔蟲が物陰から次々と止まることなく這い出てきた。
血の匂いが立ち込める中心に佇み、黒い渦となった蟲の群れを見上げる。
渦は狂おしくのたうち飛びながら路面にひろがったネロの血溜まりへひたすら向かってくる。
やがて血溜まりは変じて蒼い炎を放つ。
その炎の中へ群れはためらいもなく飛び込んでいく―――――――鬼火は渦をつたって燃え広がり、一匹残らず、音もなく静かに燃え尽きた。

見届けるとネロは踵を返して袋小路を後にする。
始めはゆっくりと歩き出し、それから駆け出す。
もうすぐ約束の5分がくる―――――――。

end





2014.10.10
title/Kamuy


[戻る]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -