心奥さやぐ密やかな絹擦れの音を捉え、心地よい眠りにゆだねていた意識を僅かに揺り起こす。
傍らへ伸べていた腕にあった重みは束の間に消え、ぬくもりだけが残っている。
すぐさま微睡にとろけてしまう目蓋をようよう開け、うつ伏せのまま室内へ視線をさ迷わせた。
夜深くはあったが窓から降り注ぐ月明かりで部屋の様子は十分に見て取れる。
部屋にあるのは簡素な寝台だけで、あとは片隅に旅に必要な少しの荷物のみ。
求めた人影は薄衣を羽織っただけの打ち解け姿で月桂の青くはかない光が射し込む窓辺に腰掛けていた。
唇が心持ち笑みを象っている穏やかなその横顔をサスケは褥に横たわったまま見つめる。
名にふさわしい花のかんばせは、うつむき加減のせいか、春愁の月光を浴びているせいなのだろうか―――――――とらえどころがないその風情に不安を覚えて抱き寄せたい衝動に駆られる。
けれど、手を伸ばすことも、声を掛けることも出来ない。

眠りについた静かな夜には閉じ込めていた想いが溢れ出てくる。

サクラが微かに吐息する。
そして窓枠にもたれ、胸もとへ膝を抱き寄せようと身動ぎをした。
薄衣がまろい肩から滑り落ちて裸身があらわになる。
萌しつつある胸の膨らみ、細い腰のくびれ、白くなめらかな腹部―――――――少し驚いた表情をして、もう一度、膝へ落ちた薄衣を引き上げて身を包む。
サクラの左わき腹には刀傷があった。
正面から背中へと貫かれた傷はそれほどはっきりとした跡をしていない。
肌に顔を寄せ、指先を這わせて、ようやく探りあてることができるものだった。
いつ、どこで、誰に付けられたものなのか。
もしかしたら自分が付けたものかもしれない。
復讐の暗闇にとり憑かれていたあの頃の自分が―――――――。
その傷はどうしたのかとサクラに尋ねたかった。
身体にある見知らぬ幾つかの傷跡。
サスケが里を抜けてからの空白の月日、その間に起こった戦いの中で付けられたものだろう。
いつ、どこで、誰に付けられたものなのか―――――――あのまま二人の傍に、皆のところに留まってさえいたら、木ノ葉の里に残ってさえいたら。
里を出たあの夜、暗い道に佇んでサスケを待っていたサクラが声を限りに言い放った言葉に耳を傾けていたら。
どんなに愚かだと言われても兄を信じ、真実を真直ぐに追い求めてさえいたら。
どうしようもないことを繰り返し繰り返し、繰り返し思う。



サクラが窓を覗き込むようにして外に広がる月白の闇へと顔を向ける。
蒼白い衣に包まれた細い背にさらりと桜色の髪が揺れた。
その背中からサスケは視線を逸らして眼を閉じる。



身の内にある憎悪を吐き出し、他者からの憎悪という憎悪までも喰らいつくして全てを失いたかった。
力だけを求めつづけ、どれだけ力を手に入れても、絶えず無力感と痛みがつきまとう。
そんなはずはないと拒絶し、どうにかして、それらを消そうと躍起になっていた。
まだ足りないからだ。悲鳴が、苦痛が、血が。
五影会談の襲撃と一族の敵一人を倒した後、里を抜けて仲間になると言って姿を現したサクラを殺そうとした。
好都合だった。木の葉の全てを殺したかった。
サクラを殺せば、甘いことを言っているナルトたちも思い知るだろうと。
サクラの身体を千鳥で貫くつもりだった。
唯、どうしてもサクラの顔を、あの翡翠の瞳を、命が消えていくのを見たくはなかった。
だから背後から襲った。
なにも見ないように。
躊躇えば、また耐えられない苦痛に襲われるからだ。
再び、サクラが襲撃してきた時には、すでに眼は須佐能乎の使いすぎで見えなくなっていた。
背後に降り立ったのはわかっていた。
だが一瞬だけ無防備となった背中に構えられた凶器を感じたが、それは突き立てられることはなく、泣き声だけが微かに聞こえてきただけ―――――――。
サスケは振り向きざまサクラの首を掴み上げ、クナイを奪い取った。
僅かに桜花の色だけを捉えることができたが輪郭はことごとく景色と交わっていて何も見えなかった。
その淡い色もすぐに灰闇の中へ埋没する。
自分の手によって死んでいくサクラを見なくてすむと安堵した。
すべてを憎むと呪詛を言い放ちながら―――――――無様だった。
そして、必ずナルトとカカシがサクラを助けることもわかっていた。
いつも、いつだって―――――――。



不意に奇妙な声か音のようなものが室内に響く。
ふにゃん、ぴひゃん、ふ―――――――故無く耳にした音を言葉で表そうと考えあぐねサスケは身体を仰向かせる。

「今のは………くしゃみか?」
「サスケくん! ご、ごめんね。起こしちゃった?」

サクラが鼻と口もとを手で覆いながら慌てて振り向き、また顔をうつむかせてくしゃみをする。
今度はごく普通のくしゃみだった。
なぜだか可笑しくなってサスケは笑う。

「なんでー! 今のは、ふつーだったでしょ?」

窓枠から立ち上がって寝台へと駆け寄ってきたサクラの腕を引っ張り、胸もとへ抱き寄せた。
重ね合わせた身体から新たなぬくもりが生まれてくる。
肌を透して感じることができるサクラのひたむきな鼓動が愛おしい。

「そんな格好でいるからだ」

サクラは小さな笑い声をこぼして上身を少しだけ起こしてサスケの顔を覗き込んでくる。
腕を伸ばしてサクラのすべらかな頬に手のひらを宛がう。
撫ぜるとサクラはくすぐったそうに笑う。
遠い記憶の中にある少女と同じ笑顔だった。

「なにを見ていた?」

そう聞くと嬉しそうな表情をして天井を指差す。

「あのね、流星群。今、この上に流星群があるんだよ」
「……確か、その流星群はここから見えないんじゃないのか? 月明かりもあるし、眼視観測の条件がよくないだろ?」
「そうなんだけど、好きなの。見えないけど」

サクラは身体を横たえるとサスケの顔のすぐそばへ顔を寄せて視線を合わせてくる。

「暗い夜の空で、なんにも見えなくて、そこには何もないって、そんなふうなのに、でも、ちゃんとあるんだよ。動いてるんだなぁって、流れてるんだなぁって」

サスケはサクラの頭を引き寄せながら、翡翠の瞳を見つめた。
そして耳を傾ける。
サクラの、その声に、その言葉に―――――――。


-終-



原作完結後のお話。
小夜すがら→千夜すがら


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