ネーナとミハエルは互いの顔を見返して笑みを浮かべた。
今にも大きな声で笑い出してしまうかのようにミハエルが身体をふるわせる。
そんなミハエルを軽く睨みつけて唇の前に人差指をたてた。

“音をたてたら、後で、ひどいからねっ!”

そんな気持ちを込めて視線を送る。
ミハエルは唇に慌てて両の手のひらで覆い、二、三度、ネーナへと頷く。

改めてネーナは息を詰めて前へと向き直る。
足音を忍ばせてコントロールルームの強大なモニター前にあるシートへと近付いていく。
そこにはヨハンがすわっている。

そろり、そろりと足を運んでいく。

爪先立って背もたれからヨハンを見下ろして確認すると、シートの前へと回り込む。
そして、瞼をおろして眠っている顔をのぞきこんだ。

ネーナは目を瞬かせると長兄の顔を凝っと見つめた。
背もたれに身体を預けて、頬を肩先に寄せて眠っている。
瞼を落としていても端正な顔立ちに常とある生真面目さは少しも払拭されていない。
ミハエルやネーナと違い、ヨハンは感情を表情に出すことは滅多になかった。

だが――――。

わずかに顔を下向かせて眠っているヨハンの表情に、微かな苦悶がある。
眉根を寄せて、漆黒の髪が降りかかる褐色の額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
聞きとれないほど小さな呻きが唇から零れる。

「――――兄貴?」

ネーナの頭の上から同じように覗き込んでいたミハエルの呟きが落ちてきた。
その声にハッとしてネーナは唇を引き結ぶ。

「ヨハンにぃっ」

息を大きく吸って、ネーナは両腕を左右にひろげた。

「ネーナぁ、兄貴に無茶すんなよぉ」

ミハエルが弱々しい制止をかけてくる。

「いーの」
「でもよぉ……」
「うっさい、ミハにぃ! 起きてよっ、ヨハンにぃ!」

一蹴してネーナは大きな声を上げた。
身動ぎをしてヨハンが瞼を開き、俯かせていた顔を上げていく。
その両の頬へネーナは手のひらを思いっきり叩きつけた。

バチンっと皮膚と皮膚が弾かれた音が響き渡る。

「ネーナ? ミハエル?」

顔の横でネーナの手首を掴み取ったまま、ヨハンは何度も目を瞬かせた。
表情にわずかながらの驚きが窺える。
眠っていた時のことを覚えていないようだった。

「何をしている、お前たちは」

すぐに表情を改めると咎めとも、呆れともいうような響きを声に滲ませて眇め見てくる。

「ミハエル?」

ヨハンが視線を上げてネーナの後ろにいるミハエルを睨む。

「え、いや、その、寝てるみたいだから、驚かそーかなぁって。そーしたらよー……兄貴がさぁ」
「ヨハンにぃの寝てる顔、すっごく変っ!」

歯切れの悪いミハエルの言葉をぶった切ってネーナはヨハンの膝に座り込んだ。

「目、半分、開いてて、口、開きっぱなしだし」

顔を近付かせて笑いながら言い攻める。

「おまけに、涎、だら〜って垂らしちゃって」
「………それは、ミハエルの方じゃないか?」

一瞬だけ表情を硬まらせた後、ヨハンは憮然として言った。

「ひ、ひっでぇ、兄貴〜!」

ネーナを挟み込んでミハエルがヨハンに飛びつく。

「ミハにぃってばっ、ふふ、あはははは――――!!」

二人に挟まれてネーナは笑い転げるように身体を揺らす。

「今の、嘘だからな! 兄貴のでまかせだからな。オレ、そんなんじゃねーから」
「ん〜? だってぇ、ヨハンにぃが言うことだしな〜」
「ネーナ、信じるなよぉ」
「わかったってば〜」
「ネーナぁ」
「はいはい、わかった、わかった」

背中に縋ってくるミハエルを笑いながら軽く睨みつけるとネーナはヨハンへと向き直る。

「ふふ、だいじょーぶ。さっきのは嘘だからね、ヨハンにぃ」

どこか上の空な表情を浮かべたヨハンの額へ指をのばす。

「ヨハンにぃは、眠ってる顔も素敵よ」

答えるかわりに苦笑したヨハンの前髪をかきわけて、額に唇をおしあてた。
わずかに汗ばんだ、その湿りを舌で舐めとる。

「………ネーナ」
「あ、ずりぃ。オレも、ネーナ、オレにもっ」
「もぉ、ミハにぃってば、小さい子どもみたい」

“世界が終わるまで、手を繋いでいようね”



2009.3.24

title 影

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