研究員たちの目を掠めて訓練室から逃げ出し、適当な部屋に飛び込むとミハエルは隠れられそうな場所を探すために周囲を見渡す。
灯は点されていないが、天井近くの壁につけられた細長い窓から外界の光が入り込んでいるので室内の様子が見て取れた。
部屋には用途のわからない医療機材らしきものが奥から順に置かれてある。
もう使われていないらしく、埃が刷いたように積もっていた。

ミハエルはクスクスと笑い続けるネーナへと振り返り、唇に人差し指をあてる。
ネーナは瞳を瞬かせると、ミハエルに倣ってピンク色の唇に指をあてて小首を傾げて微笑む。
その微笑に笑い返し、小さな淡色の手をぎゅっと握り締めてミハエルは機材の並ぶ部屋の奥へ歩いていく。
中腰になったり、背伸びをしたり、しゃがみこんだりしながら、二人が隠れられる隙間を注意深く探す。
射しこむ陽光が空中で秘かに舞っている塵を浮かび上がらせ、室内の輪郭をぼんやりと霞ませている。
扉の外とは違い、顧みられぬものが詰まっているこの場所には穏やかな時が流れているように思えた。

隠れられそうな所を見つけるとミハエルはネーナを抱き上げて機材と機材の間にある小さな灰色の空間へと潜り込む。

「ねぇ、ねぇ、おもしろいね、ミはにぃ! かくれんぼ! ミはにぃとかくれんぼ」

ミハエルの膝の上に座ったネーナは、この上ない無邪気な笑顔を浮かべて笑い声を奏でる。

「大きな声、出すと、あいつらに直ぐ見つかるぜ、ネーナ」

ネーナの唇を手のひらで軽く押さえるとミハエルは顔を近付かせて囁く。
指の上にある金と緑の斑目が悪戯っぽく輝いた。

「ずっと、だったら、どうなるの?」

少し自重したようにネーナはミハエルの耳に唇を寄せて話しかけてくる。

「ずっとだったら、って、見つからなかったらってことか?」

こくんと頷いてネーナは笑う。

「あの人たち、わたしたちのこと、わすれちゃって、ミはにぃと、ネーなは、ずっと、み捨てられちゃうんだよ」

ミハエルは天井の方を見上げて肩を竦めた。

「――――兄貴が探しにくるから、そうはならない。絶対見つかっちまう」
「また、おこられるね、ヨはんにぃに」

ミハエルの首にしがみついて、目をのぞきこむようにしてネーナが微笑んだ。

「怒られるだろーなぁ」

あまり表情を動かさず延々と説教をしてくるだろう長兄のことを思ってミハエルがため息をつく。
それに比べたら研究員の咎めなどミハエルにとっては空気みたいなものだ。

ネーナが僅かに背を仰け反らせてはしゃぎだした。

「ネーなねぇ、ヨはんにぃに、メっ、されるの、だぁいすきなの!」
「可笑しなネーナ。オレは兄貴に怒られるのコエーよ。あの始終無表情が、すっげ、こえー」

怖いにもかかわらず、ミハエルはネーナの言うことを聞いてしまう。
考えるよりも先に身体が動いてしまう。
どのようなめにあおうともミハエルが動く理由はいつもネーナが鍵だった。
勿論、長兄も――――。
そのことに苦笑するとネーナが唇を寄せてミハエルの頬にキスをしてくる。

「ミはにぃ、だぁいすき」

ミハエルの頬に自分の頬をすり寄せてネーナが言った。
キスされた途端、目や口元が胸が緩んで溶けていくような感覚に襲われてミハエルは嬉しさに忙しく身動ぎする。
身体中の熱と血がキスされたところへ昇っていく。

「オレのこと、大好き?」
「ふふ……」

ネーナは何も答えずに唇をほころばせると心騒ぐような秘かな微笑みを浮かべた。
そのままミハエルを見つめて沈黙する。
ミハエルが何度尋ねてもネーナは可笑しそうな表情で見返してくるばかりだった。
いつもの意地悪だと思いながらも不安を覚えた頃、ミハエルの唇にネーナがキスをしてきた。
柔らかくついばむような甘酸っぱいキスを――――。

「ネーなは、ミはにぃを愛してるんだよ!」

ミハエルはのぼせて赤くなった顔をうつむかせ、誇るように笑むネーナを上目遣いに見た。

「あ、あ、あ愛しているって、どーゆことなんだ?」
「もー、ミはにぃってば、“愛”もしらないのぉ?」

呆れたような表情と声にミハエルは泣きたくなり、堪えるために顔を顰める。

「愛してるってね、息をするときも息がとまるときも、ずぅーといっしょってことよ」

朗らかに笑って答えると、もう一度、ミハエルの唇を優しくついばむ。
ネーナの輝く小さな身体を抱きしめてミハエルは目を閉じた。
赤い髪に顔を埋めて甘い匂いを思いっきり吸い込み、息をとめる。
細い腕が慈しむようにミハエルの背中や頭を撫で擦る。
息をするとき――――生きているときも。
息をとめるとき――――死ぬときも。

「それでね、それでねぇ、ヨはんにぃも、ネーなは愛しているの」
「うん。知ってる」

ミハエルはネーナを抱きしめ、目を閉じたまま笑い声をあげる。

「オレ、ネーナを愛してるんだ」
「うん」
「初めて会ったときに、すぐ愛したんだよ。オレたち、三人とも!」
「うん!」
“ネーナはねぇ、もしもねぇ、にぃにぃたちがいなくなっちゃったりしたら、きっと死んじゃうんだよ。にぃにぃたちもネーナがいなくなったら死んじゃうんだよ。愛してるっていえるひとがいるのって、とってもすごくって、でも、ずっといなくなったら、みんな死んじゃうんだよ。だから、ね、だからねぇ――――――――”

“戯れながら囁く、でもそれはほんとうの”



2008.4.18
あ、でも、聞きたがるというのは特定の言葉じゃなく、ミハエルがネーナのそういった夢のような大げさな言葉をなんでも聞きたがるってことで……;

title 疾走宣言


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