突然、こめかみあたりに不愉快なものを感じたザンザスはバックシートに沈ませていた上身を起こした。

「―――どうしたぁ」

尽かさず助手席に座っているスクアーロがフロントミラー越しに睨みつけてくる。
答えず、ザンザスは組んでいた足を解いて視線だけを窓へと移す。
車はセルヴィ通りを抜けてサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場へ差し掛かろうとしているところだった。
薄暗い数本の街路灯が三方を柱廊(アーケード)で囲まれた夜更けの広場をぼんやりと浮かび上がらせている。

「う゛お゛ぃ!?」
「停めろ」

ドライバーは直ぐにハンドルを淀みなくまわして通りの脇へと車を寄せ、教会の手前で静かに停止させた。
ザンザスは車が停まると同時にドアを開け放って車外へと出る。

「待たなくていい」

そう言い捨てると靴先を正面にある建物へと向けた。
足元から湿り気のある音が微かに響く。
夕方に降った冬雨の名残だった。

「お゛い!」
「――――帰れ」

背後で車のエンジン音が響き、その後からスクアーロの濁声が追いかけてくる。

「いったい、なんだっていうんだ!」
「るせぇよ、カス」


裏通りに疎らな人影があるだけの静かな広場―――――――その中央に立つ騎馬像と噴水の間を横切る頃にはスクアーロも何かを感じたのだろうザンザスの後ろを黙々と歩く。
歩きながら教会の左側にあるルネサンス建築を一瞥してザンザスは舌打ちをする。
連続するアーチの柱の上壁面すべてに青い円形陶板(テラコッタ)が飾られ、陶板の中央には白い赤子の塑像(そぞう)がはめ込まれていた。
14世紀頃に建てられた福祉施設だったが18世紀には活動を停止して、現在は美術館となっている。
――――元は孤児が増えるのを憂えたフィレンツェ共和国によって造られた捨子養育院だった。

「なに考えてるんだ、んなところでよぉ。なぁ」

心底呆れたかのようにスクアーロが呟く。
ザンザスは石段をのぼり、柱廊にある中央入口の扉前で立ち止まった。
その傍らにある煤けた襤褸(ぼろ)の塊を見下ろし、ゆっくりと片足を持ち上げる。

「う゛ぉい゛!!」

持ち上げた片足の膝を慌てて掴んできたスクアーロを眇め見る。

「いや、そのよぉ………俺らみたいなのとは、違うんだからよぉ」

その手を払いのけるとザンザスは塊の下に靴先を潜らせて襤褸(ぼろ)の上掛け布を持ち上げた。
汚れたその端を掴み取り、一気に上方へと引き抜く。
襤褸布に包まれていた中身が勢いよく転がり出て壁にぶち当たった。

「う゛ぉぉい゛い゛、おまえ、やっぱり霧かぁ!?」

靴音を荒々しく響かせて壁にうずくまった、まるで浮浪児のような小柄な女へと近付いていく。
得体のしれない汚れで衣服も身体も黒ずみ、髪もコールタールように滑(ぬめ)らせている。
のろのろと頭を擡(もた)げると女は眠たげに目を瞬かせて、小さく何かを呟いた。
スクアーロは女の傍らに片膝をついて革手袋を取ると石畳の窪みに溜まった水に手を突っ込む。
そして女の顔の汚れを濡れた掌で拭い取っていく。
汚穢の下から異様なほど蒼白い病める皮膚の色がのぞいた。

「くっせーなぁ、お゛い! 何やったらそんなふうになるんだぁ、バカか、てめーはよぉぉ!!」

呆れたように、戸惑うように話しかけるスクアーロを女は寝惚け眼で見上げ――――――――また、首を傾げてザンザスを不思議そうに見てくる。
霧の守護者が行方をくらましたと耳にしたのは三週間ほど前だった。

“ぶらぶらしているだけだから”と暢気に笑っているだけのボンゴレ]世の態度に我慢ならない幹部連中がヴァリアーの屋敷にきて苦々しく口にしていたとルッスーリアが伝えてきた。


ザンザスは踵を返して二人に背を向ける。

「どぉすんだよ、こいつはぁ!」
「知るか! てめーの好きにしろ」

込み上げてくる胸糞悪さを吐き出すように言い捨てた。

瞼を蒼く染めて
 羊を抱いた儘


スクアーロがザンザスにも、背負っている女にも文句を言いながら追ってくる。

「うぜぇ………」

ボロ屑になってうずくまる女の呟いた言葉が、いつまでも耳に残るような気がした。
母親を求める声が―――――――。

end



2009.1.24
ザン髑になる一番初め……馴れ初めみたいなものです。
スクアーロさんの方が髑髏ちゃんの扱い優しい…。

title/SLUTS OF SALZBURG


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