『マドンナ・リリーのゆくえ』


あの日の出来事は忘れられない。
ネロが孤児院に捨てられてから、どれ程の年月が経っていたのか。
あの日は見慣れない大人たちが院に出入りしていた。
後で知ったが、フォルトゥナの有力者夫人たちと、養子を迎えようとしている家族たちだったそうだ。
交流会として、その金持ち連中の子供たちも共に来ていた。
難しい話をするために広間から大人たちが出て行くと、金持ち連中の子供たちが牙を剥いてきた―――――――全部ではないが。
勿論、孤児院の皆も負けてはいない。
テリトリーを巡って対立しあう境遇の違う子供たちを尻目にネロはテラスから庭へと出て行った。
どちらにも興味が持てなかったし、ひどく退屈だった。
養子がどうのこうのもネロに関わるとは思えない。

ネロはしばらく黙って歩いていたが、どうにも落ち着かない。
振り返るとネロの後ろを付いて歩いていた同じ年頃だろう少女が嬉しそうに表情を輝かせた。
淡褐色(ヘイゼル)の艶やかな髪と琥珀色の大きな瞳―――――――影や不純物といった負のイメージが見当たらない笑顔。
胸を突かれたような痛みを感じて、思わずみっともなく此処から逃げ出したくなる。
そんな気持ちをなんとか抑えようと拳を握り締めた。
広間で初めて顔を見合わせた時から、胸のあたりが騒がしく気に障って仕方がなかった。

綺麗な身なりだとかではなく―――――――ネロとは段違いに境遇の違う少女だった。
金持ち連中の子供たちがやたらと気に掛けていた覚えがある。
面倒くさいことになりそうな予感がした。

「あっちに行け」

精一杯に睨みつけて言い捨てたが、少女は柔い見かけによらず一歩も退かない。表情を曇らせるわけでもなく、ただにっこりと微笑む。
とても嬉しそうに。これまで、そんなふうにネロを見てくれる人間に出会ったことがない。
なにか、とても酷いことが起きそうな予感がしてネロは思いつく汚い言葉をぶつけてみる。
それでも怖れない様子に頭が足りないのかもしれないと思い始めた頃に煩い子供たちが追いかけてきた。

「キリエ、そんな捨て子にかまうな」

声が一番煩かったひょろ長い少年のあからさまな言い草にネロは唇を引き結ぶ。

「どこの馬の骨ともわからないってママが言ってたー」
「おまえ、誰が親かわからないんだろ?」
「名前すらつけてもらえなかったんだろ? ネロ(黒)って、ネコかよ!」

追従するように他の子供たちが好き勝手に言い出す。
ネロの傍らに立つ少女は状況が把握できないのか、不思議そうな表情をして少年たちを見つめていた。
どいつもこいつもバカばかりだと自分に言い聞かせてネロは此処から離れようと背を向ける。
相手にする価値もない。

「嫌われ者のお前を欲しがる大人なんていないよな!」
「ママになってくれる人いないよね〜」

笑い声がどっと上がったかと思うと、子供の一人がぶつかるように近づいてきてネロの髪を掴んできた。

「この髪、絶対に銀じゃないよな! ただの白だ〜!」

相手にしたら、このバカたちと同じレベルになると言い聞かせることに夢中で咄嗟に阻止することができなかった。
突然、他人に触れられたことに吐き気を覚えて、また、嫌悪感のあまり体中が硬直して動けない。
触った人間を引き千切りたい凶暴な衝動に駆られネロは喉の奥から唸り声を出す。
ネロは抑えられず自分の髪を掴んで頭を揺らす少年に腕を伸ばした。

「わたしが、なる」

はやしたてる雑音の中を少女のかぎりなく澄んだ声が響いた。

「わたしが、この子の母親になります」

キリエ―――――――そう呼ばれた少女は満面の笑みを湛えて周囲を見渡して朗らかに毅然として宣言する。

子供たちはみんな呆気にとられ、どう答えていのか考えあぐねるように互い互いに顔を見合わせるばかりだった。
ネロも同じように呆然としながらも―――――――髪を掴む少年の手を、ただ振りほどいただけだった―――――――この世のものではない驚異の言葉を耳にして、さきほどまでネロを支配しかけていた衝動が微塵もない。
にっこりとただ笑っていただけの少女が全身でもってネロを庇うようにして前に立つ。
ネロは自分と大して変わらない年頃の少女のか細く、それでも凛とした背中と僅かに見える横顔を見つめた。

やがて少女―――――――キリエはネロの手をしっかりと握って悠々と歩き出す。
少女に引っ張られるままネロも後を付いていく。とても柔らかで、小さくて、あたたかい手をネロは恐る恐る握り返した。
応えるようにネロの手を優しく握り返してくる。
いつまでも触れていたい、そんなあたたかさだった。
子供たちは、まだ呆気にとられたまま、キリエに道を譲っていく。
ひそひそと虫が鳴くような内緒話をしている者もいたが、面と向かって口を開くものはただの一人もいなかった。

正直、何が起こったのか、どうしてなのか、なにもわからない。まともに考えられない。
笑い出したくなるような、泣き出したくなるような―――――――キリエが言った言葉がネロの全身を巡っていた。


end



2014.10.12


★この後、クレドお兄ちゃんが事態を知って、みんなに説教して、どこかへ行ってしまったキリエとネロを探しにいくんだと思います。

「あの時は、頭の中身が宇宙の果てにふっ飛んだよなぁ。いや、それは無理だろーが! なに言ってるんだ、この子は!?って思った、けど……キリエは本気だったんだよなぁ」っていう数年後のネロの言葉。
at 10/14 20:28
●title 休憩

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