08 +
泣いているミレーナにどうすればいいのか、何も出来ずにイアンは部屋の入り口で立ち尽くしていた。
ばつが悪いことにイアンの忘れた物はミレーナが座り込んでいるソファの傍らにあるサイドテーブルの上だ。
ミハイには頼んで待ってもらっている。
そこまでして忘れた物を取りに戻ったのだから、そのまま回れ右をするには申し訳ない。
それとも嘘をつけばいいんだろうか。
何を忘れたのか詮索するような事はしない。
けれど、そんな事をミハイだけにはしたくない。
この家に預けられてから二週間しか経っていないのに、強くそう思うようになっていた。

ようやく掴んだままだったドアノブから手を離して恐る恐る室内に入る。

「どうして、いるの?」

ミレーナはぼんやりとした表情でイアンを見て呟くように言ってきた。
ひどく傷ついて途方に暮れているようで、イアンはひどく困惑してしまう。

「………出かけたはずよ」

そう言われた途端、どうしてかイアンは腹が立ち、無視して部屋へと強く踏み込んだ。
サイドテーブルに駆け寄り、傍らにいるミレーナを必死に自分に言い聞かせながら見ないようにする。
目的の物を取ろうとすると優美な手がイアンの腕へ伸びてきた。
躊躇うように袖を摘んで引っ張ってくる。
その暖かい感触に狼狽して、イアンは思わず弾かれたようにミレーナを見下ろす。
目は薄っすらと赤くなり、すべらかな頬は流れた涙で濡れていた。

「――――――――……」

その言葉に取り乱してイアンはミレーナの細く白い手を振り払った。
ゆるやかに染みてくるミレーナの甘い香りが鼻腔を満たす。
涙声に混じって聞こえてきた言葉――――――――涙を流しながら微笑むとミレーナは淡く吐息した。
閉じた目蓋から雫がゆっくりとこぼれ落ちる。

イアンはミレーナが触れてきた自分の手首を痛いほど握り締めた。
体中が熱い。
鼓動が煩い。
体が心臓の塊と化したようだった。

ミハイは表通りに停めた車で待っている。
早く戻らないとここへ来てしまうだろう。

「呼んでくるから…」

ミレーナは自嘲するような笑みを淡く浮かべて頭を軽く振る。

「……いいの。戻って」
「でも……」
「ミハイと行って」

しなやかな身体を飾る深紅のシルクドレスが傷むのも構わずミレーナは体を丸めてソファへと静かに横たわる。

「――――――…内緒よ」

白い腕に顔を埋めながらミレーナは秘めやかに呟く。

「それから、忘れて…」

滑らかに引き寄せられていくような感覚にイアンは後ずさった。


泣き虫


“行かないで。そばにいて”
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