ある朝の話



0622ワンライ
お題「オズファミリー」


 フーカは頭の痛みに目を覚ました。
 またあの嫌な夢を見たのだ。得体の知れない何かに追いかけられ、殺されたくない死にたくない、と繰り返す夢。
 こんな朝はぼんやりとして気分が良くない。頭の中がもやもやと霞み、忘れてしまったこと、どこにも見つからない記憶に身動きを縛られる。加えて、記憶の始まりのあの日すら遠く離れていくように感じる。
「カラミアさん、キリエさん、アクセルさん……」
 はっとして三人の名前を確認する。大丈夫、ちゃんと覚えている。今の自分を繋ぎ止める大事な記憶、それを失うことへの不安を吐き出すように大きく深呼吸をする。不意にお腹がきゅうっとへこんだ。こんな気分の時でさえお腹が空いたと主張するのか。フーカはマイペースな身体に従うことにした。

 フーカの心は痛んだ。
「これも、用意してもらったものなんだよね」
 冷たい水で顔を洗い、着替えようとやわらかいパジャマに手をかける。住む場所も着るものも食べるものも全て提供されていながら、フーカが彼らに貢献できることは少ない。自分にどんな能力が備わっているのかさえわからず、生活の中で自分の役割をどう見つけたら良いのかフーカにはわからない。全然見合ってないよね、ぼそぼそと言葉にしてみるとますます心が痛んだ。

 フーカにはまだ勇気が足りなかった。
 鏡の中の自分を見つめながら、ふわりとした髪を整える。この人は、私は誰なんだろうと目を合わせていると、また頭痛の気配がする。記憶の始まりはあの路地の冷たい空気。あそこで目を開ける瞬間まで、私は何者だったんだろう。
 いつもここで苦しくなってその先に進めない。とても嫌なことがあったかもしれない、思い出す必要のないことかもしれない。何より、思い出してしまった記憶によって、今の自分や自分を受け入れてくれた人たちとの関係が変わってしまうかもしれない。見えない真実が怖くて、自分が何者なのか、今のフーカには知る勇気がなかった。

 それでも、フーカの身体は屋敷へ向かう。
 赤い靴を履けば、そこへ連れて行ってくれるかのように足が動く。庭を抜け、扉をいくつか通り抜けた廊下の先。聞き慣れた声とコーヒーの香りをたどりながらキッチンへ入ると、すでに幹部の三人が朝食をとっていた。
「おっ、お嬢さん! 今日はのんびりだな……って、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「朝からカラミアを見たせいですよ、かわいそうに」
「…………僕はキリエを見る方が嫌だ」
 ひとりでいると憂鬱な朝、それでも三人の顔を見れば一気に晴れていく。彼らといることで生まれる感情が、身体の内側に充満した不安を塗り替えてくれる喜び。彼らと一秒一秒重ねていく時間が、新しい記憶として、経験として、フーカという自分を形作っていく実感がある。
 いつの間にか頭の痛みは消えていた。胸に手を当てて目を閉じると、心からじわじわ温かさが広がる。今日を今日として始める勇気に背筋が伸びる。
 キッチンの入り口に立ったまま何も喋らないフーカ。テーブルの三人が不思議そうに目を向ける。胸の手をぎゅっと握り、フーカは顔を上げた。
「カラミアさん、キリエさん、アクセルさん、おはようございます!」
 晴れた朝、生まれたての虹のような笑顔だった。


おわり








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -