夢降り




「チョコレートはもういいかな。あーあ、何を作ったらフーカは喜んでくれるんだろう」
 新しい季節に向けてカフェのメニューを考えていたソウもフーカの顔ばかり浮かんで止められなくなった頃。キッチンの窓から夕陽が差し込み、そろそろ帰ってくるかなと思った矢先にノックも無くギイと扉が開いた。
 座ったまま顔を向け、シーザーさんお帰りなさい、と返事をする。
「魚、釣れましたか?」
「夕飯は肉にしろ」
 空の両手をなんでもないように振りながらシーザーはどっかりとソファに座り込む。
「えっと……その様子だと今晩も干し肉と野菜になりますけど。あと、手は洗って下さい」
「構わん、その分お前に譲ってやる」
 面倒くさそうに手洗いへ立つ背中に野菜も食べて下さいよとたしなめたものの、食事の席ではやはり向こうの皿から勝手にニンジンやピーマンが引っ越してくる。毎度のことに愚痴をこぼす気にもなれなかったが食材の困窮も毎度のこと、少しは自覚してもらおうとソウは切り出す。
「朝から出て行ったのに、何も釣れなかったんですか?」
「いや……俺の岩場に行ったらおかしな男が座っていた。そこをどけと言ったが、メダカを釣るんだと言って動きもしなかった」
「メ、メダカ?」
「ふん、知らないのか? 透明で小さくて、よく群れになって止まっているやつだ」
 あれは流れに逆らって全力で泳いでいるんだろうに、止まっていると言われてしまうメダカにソウは同情する。そもそもあの川でメダカなんて見たことが無いし、おかしな男とは街の住人なのだろうか。聞きたい事はあれこれあるが、噛み合わずに終わりそうな話のどこから手を付けようかと迷う。
「その釣り人は妙な歌を歌っていた。メダカは大きくなったらタイになるらしいぞ。クジラとかいうもっと大きなやつにもなれるらしい」
「大きくなったら、ですか」

 大きくなったら可愛くなって、素敵な恋愛をして幸せに。
 その幸せの欠片にはフーカ、という名前がついたけど。
 (ドロシーがフーカを思ったような歌だ)

「クジラっていうのは海にいるらしいが、どのくらいでかいんだ」
「クジラどころか、オレ、海も見たことがないのにわかりませんよ」
 ソウがまともに答えてしまうとチッと舌打ちをし、使えない奴だ、と目を反らす。いつものように。
 シーザーの役に立つよう働き回ることを仕事とし、報われない些事も繰り返しながらソウはその側から離れない。この生活を始めてもうどれくらい経つだろうか。フーカやあの子のことを忘れることはないが、フーカがあの街に居場所を見つけてしまって以来、ソウの生活は大抵部下としての自分で一杯になる。

 ――目的を、役割を見失ってはいけない。
 広場の塔を見上げるたび、何度もオレ自身に言い聞かせてきたのにな。

 見事に肉とパンだけを完食し庭にいると出て行ったシーザーを見送り、ソウも片付けを済ませて勝手口から外へと向かう。すっかり暗くなった世界へと木の扉を開ければ、庭と畑とその先の森へ伸びる黄色い灯り、その中で揺れるロングコートの隣へと並ぶ。
「晴れてますね、星がきれいに見える」
 大きく仰いだソウと同じ空を見つめながらシーザーが話を続ける。
「空と海はどっちが大きいんだろうな」
「この空が海だとしたら、メダカはあの星よりも小さいんでしょうね」
「クジラはここから見える空ぐらいは大きいだろう」
「それ、魚ってレベルじゃないですよ」
 川は海につながっているという。あの川もいつか海になるのか。
 じゃあ、とソウは思う。

 海は空につながっているのか。川の流れに乗った魚は空へと向かうのか。
 空という海、数え切れないほどの星という魚。この無数の魚が、大きくなりたいという魚たちの夢が降ってきたら、その中で立ち尽くす塔のペンキなんて簡単に剥がされてしまうかもしれない。顕になったその芯に果たして自分の願いは残っているのだろうか。目的も役割も手放しかけた自分は、あの子の夢を、塔の上で何かを待っているあの子をどんな気持ちで見上げたら良いのだろうか。

「クジラの大きさはメダカに聞けばわかる」
「シーザーさん、メダカと話せるんですか?」
 反射的に横へ向いた顔は随分と飛んだ話を真に受けたように見えるもの、それを見下ろすのは瞬間考え込んでむっとした顔。
「……お前の仕事だろう、そんな事」
 ほんの数秒で反らされると、ソウは再び天上にメダカを泳がせる。

 大きくなったら、なんて夢を見るのは子供なのかな。
 この人のリードを握っているつもりでいる事が子供だったりするのかな。
 ……少なくとも娼館に入れてもらえない以上、ボイボイ達の基準では子供なんだよね。
 オレの夢が降ってきたら、夢のメダカに聞いたら、わかるのかな。
 いつになったら、オレは大きくなれますか。
 大きくなったら、オレはどこで誰の側にいますか。
 犬は大きくなったら狼になりますか、それとも人間になれますか。

「シーザーさん、もう寝ませんか」
 ソウはなんでもないように話を切り上げ、頭の中で吠える自身も黙らせる。いつものように、何かを訴えかける意志を日常に鎮めるように。
「……メダカはメダカ、らしい」
「え?」
「タイだろうがクジラだろうが、どれだけ夢が大きくなろうともメダカはメダカ、そんな歌だった」
「え……?」
 なんという諦めだろう! 
 脳天まで白い光線に貫かれる感覚。星空が大きく波を打つ。ぐらりと揺れる視界に、寝るぞと残して翻った銀色の背中は輪郭を失っていく。たった今思い描いた夢の雨はその実、諦念の針が降り注ぐだけなのだ。この闇の下に己の役割を剥がしていくどころか、深く深く願いの芯まで刺し通し、暴き、元の形もわからないほどに溶かしてしまう毒針の雨なのだ。

 (どうしよう)

 言葉にならない戸惑いにふつふつと煽られ、思わず俯いてぎゅっと瞼を閉じる。このままこの場所で生きていてはいつかその雨に侵されるかもしれない、そう震える身体と、つまり自分の中にも願いを叶えたい気持ちが残っていたのかと安堵し小さく発火する心。きっといつまでも大きくなれない自分は、願いを核に生み絞られたあの塔からも、永遠に大きくなれないあの子からも逃げることはできないのだ。川の流れに逆らうメダカがいっそ羨ましい。
 いや、流れに従う事こそがソウに与えられた生であり、それに逆らう事はソウの存在に対する嘘であり、あの子が描く夢の続きの、この世界の禁忌であることは知らずともわかっていた。
 それならば。犬が犬であるならば、塔が塔であるならば。優先順位は決まった。


 ――ドロシーを、早く、助けなきゃ。


 ソウの赤い瞳が再び開かれる時、瞼の裏でおかしな釣り人が笑った。

「思い出したかい、賢く忠実なトト。答えは君の内側にあっただろう?」



おわり

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vita版が出る前にPC版のソウの印象を残しておきたくて書いたもの。
実際にやってみたら、ソウはソウのままでいてくれたのが嬉しかった。









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