革命だとか何だとかって騒がれて忘れ去られがちだけど、ひとつ確認しておきたい。


俺たちは中学生、それも入学したばかりの一年生だ。この際学年なんて関係ないんだけれど、学業を本分とする学生において誰にでも等しく与えられる最大の試練がある。
俺としちゃ次の敵なんかより寧ろこっちの方がよっぽど厄介だと思う。っていうか怖い。結果が。結果を見て血相を変えて鬼みたいな形相で俺の名前を吠える瞳子さんとその金魚の糞の厨二くさい赤白コンビが。



っつうことで期末テストだ。俺はもうこの世の終わりが間近に迫って逃げられないみたいな、それはそれはもう憂鬱も超えて絶望の淵から終焉に向けてバンジージャンプするみたいな心境で、とりあえずテストに出そうな英単語を片っ端からノートに殴り書いていく。正直覚えられる気はしない。






「狩屋くーん!」

「なに!」

「これの意味わかる?」

「『お互いに』だよ……って!!each other!って、ここさっきやったばっかりだろ!」

「うー……覚えきれないよー……」

「泣き言吐く前に手を動かして!書け!!」






って叱咤しても俺に向かい合ってノートにシャーペンを走らせていた影山くんはもう集中力が限界近いみたいで、教科書をじっと見てはため息をついている。


やめて、そんなの見てたら俺のやる気まで削がれるんだけど。
とは言ってみたけど、勉強のために彼を家に招いて早三時間。部活がテスト前休暇週間だとは言っても、日曜日の真っ昼間からこれだけ部活生二人が普段使わない頭を捻って勉強に打ち込めたなんて奇跡じゃないかと思う。



一応確認しておきたいけど、俺はバカじゃない。勉強しないと点は取れないけど、やればできるタイプだと思ってる。
影山くんがどうかはまだ付き合い短いしわからないけど、彼のエンジンはかかるまでに時間が要るってことは、今日でよくわかった。






「うっぎー……」

「だああっもう!!グダグダやっても効率悪いんだし別の科目やればいいだろ!他にもまだまだあるんだから!」

「あっ、それいい考えだね狩屋くん!」






ありがとう!ってキラキラした目で見つめられたけど、俺としちゃそこに考えが至らない影山くんの頭の中がよくわからない。



持参していた鞄の中から別の科目の教科書を引っ張り出す彼を横目にため息をつく。俺もこうしてはいられない。文法くらいは授業で頭に入れた。あとは出来るだけたくさんの単語を頭に詰め込めばいい。


よし、と再び思考と運動神経をフル回転させてノートに向き合った。その時、またもや勉強を阻む手が伸びて、俺の腕をぽんぽんと叩く。言うまでもなく影山くんだ。彼の手には保健の教科書が。






「ちょっと教えてほしいんだけど……」

「はぁあー……どこ」






なんで人と一緒に勉強するときに主要科目以外に手をつけるのか聞きたかったけど、それは個人の自由だと思い止まる。英語の合間の気分転換みたいなものだし、(俺を巻き込むのは勘弁してほしいけど、)



まあいいかと彼が開いていたページを覗き込む。教科書の隅に適当に折り目が付けられているそこは、今度のテスト範囲の目印。ちなみに分野は―――『生殖』だ。






「ここなんだけど……」

「は?どこだよ」

「自慰ってどういうことするのかな、って」

「……はああっ!?」






いやいやいや。それ俺に聞いちゃうわけ?
「先生も全然説明してくれなかったし……」と期待を浮かべた眼差しを俺に注ぐ影山くんは、計算なのか純粋すぎるのか。まず間違いなく後者なんだけど、純粋って言うより寧ろ無知でしょ。普通こんなことダチに聞かないっつーの。






「狩屋くん?」

「……だから、オナニーってやつ、だよ」

「…………?」

「それも知らないの!?」

「ひいいっ!ごめんなさい!」






呆れたというか何と言うか。影山くんはもしかしなくても歩く天然記念物ってやつだと心の底から思う。


いや、確かにね?去年まで小学生だった俺たちだけど、もう思春期だ。それなりに単語レベルの知識は持ってておかしくない。っていうかこれが普通でしょ。



じっと見つめると、影山くんはうっすら浮かべた涙はそのままに「ふぇ……、」とふやけた視線を返してくる。何も知らない彼に俺がそういう知識を吹き込むのは若干罪悪感を感じたけど、いつかは絶対に知ること。早いか遅いか。それだけの違いならもういーや、ときょとんとした影山くんとしっかり向き直った。






「自慰っていうのはね、」

「うんっ」

「……その、君の股間にあるそれを……」

「……う、ん?」

「じ……自分で弄ること、だよ」

「……え、えええ!?」

「……で、してたらそのうち『射精』するから……教科書に載ってただろ?初めてのそれを『精通』って言うんだ。ここは確かテスト範囲だよ……はあ」






言葉にすると尚更恥ずかしい。顔に熱が集まるのがわかったが、ちらりと覗いた影山くんがそれ以上に真っ赤に、それこそゆでダコみたいに耳まで赤く染まっていたから、緊張も解けて噴き出した。






「か……狩屋くんはもう、セイツーは済んでるんですか……?」

「うっ……そんなこと聞くなよな!」

「あわわ!嫌だった?ごめんなさいっ!」

「……すん、でるよ。『夢精』ってやつで、」

「あっ!それこっちのページに確か……」

「そう、それ」

「へえぇー……」






俺の顔と教科書を交互に見ながらしみじみと納得の相槌を打つ影山くんに他意はないとしても、これは本当にいただけない。
ふと、天馬くんや信助くんはどうなんだろうと考えた。あの二人も大概こういう色事には疎いはずだ。きっと意味もわからず知識としてだけ暗記してるに違いない、と単語帳にそういう語句を書き込んでにらめっこしてる二人を思い浮かべてつい笑ってしまった。



と、そこで影山くんがじっと俺を見つめているのに気がついた。居心地の悪い視線が突き刺さって、気だるげにそっちに目線を逸らせば、びくりと跳ねる影山くん。
俺の無言の応対というか圧力というか、とにかく彼は彼で思うことがあるのかサッと顔を背けてしまった。なに、これ。






「影山くん?」

「……」

「何だよ、俺の顔に何かついてる?」

「……いえ、あの」

「ん?」

「俺も……俺もセイツーしたいんだけど!」

「っ!?」






ガバッとすごい勢いで立ち上がったかと思ったら勉強してた机を押し退けて、え、ちょっと待って、何この展開。






「あいだっ!?」






肩を捕まれて思いきり後ろに倒された。床にダンッと背中を打ち付けて、そこからじんわりと広がる打撲の痛み。首を持ち上げてたから頭を強く打たなかったのは良かったとして、今の俺たちの体勢はつまり、押し倒されたって感じで。それは所謂、






「………え」

「……か、狩屋くんっ」

「影山くんちょっ……待て待て!落ち着けって!」

「おおお落ち着いてるよ!」

「どこがだ!!」

「いたっ」






俺の上に乗っかってじりじり迫る影山くんに本格的に身の危険を感じた俺は、さっきの衝撃で散らばったノートを一冊手に取って、べしっ!と音がするくらい影山くんの額を叩いた。


そんなに思いきりはしなかったはずだけど、思った以上に彼には痛かったらしい。額を抑えてしばらく呻き声をあげる彼を、俺はその下で火照る顔を隠すように手の甲で押さえながら見上げた。お互い赤面しながら何やってるんだろう。いやこの場合俺はまったく悪くないんだけど!



とにかくこの体勢のままはまずいと思って脱出を試みる。が、影山くんの方が早かった。彼を押し返そうと伸ばした俺の手を一瞬で掴んで、抗えないように床に縫い付ける彼の目は、不安と期待を孕んでいる。雨の日に長靴を履いて出かける子供みたいだ。腕力は同じくらいのはずなのに、上からのし掛かられてる分俺の方がずっと不利で、自由が利かない体でいくら抵抗しても意味はない。






「い……意味わかってやってるのか!?影山くん、ふざけ……っ」

「冗談じゃない!」

「っ!」

「……冗談じゃ、ないんだ。……僕は狩屋くんのこと、」

「な、」

「…だから、もっといろいろ教えてよ……狩屋くん」






俺を見据える彼の目は真剣そのもので。それはもう眩しいくらいに純粋で。
息の仕方を忘れてしまったみたいだ。酸素の取り込み方がわからなくなって、影山くんの視線から逃げたくて、口を金魚みたいにパクパクさせた。俺の心臓は緩やかに加速度を増すばかりで上手に呼吸なんてできっこないのに、酸素が足りないと言い訳して。






「……狩屋くん」






寄せられた唇の中に、呼吸する方法を求めた、俺も大概ずるいとは思う。


どうしよう、もとに戻る道を自分から蹴ってしまったみたい。ただ押し付け合うだけのキスの合間に、こんがらがった思考の糸の端をするりとほどきながら思った。
ああ、俺たちこれからどうなるんだろう。



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