一瞬のことだった。胸倉を掴まれて、悲鳴をあげる間もなく壁に強く押し付けられる。
首元を押さえられたうえで迫られてしまえば逃げることは出来ず、たたきつけられた背中が痛い。大げさに言えばじりじりと皮膚が焼けるような、打ち付けられたところが麻痺したかのように痺れて背中全体に広がっていく感覚だ。



校舎裏のこのスペースはあまり人目にもつかず、大声を張り上げでもしない限り人に気付かれることはないだろう。剣城としてはそれが好都合だったが、一方的に壁に押しやられている狩屋としてはたまったものじゃない。






「いっつ……何すんだよ!」






キッと眼前にある剣城の顔を睨み付けるものの、痛みでうっかり潤んだ狩屋の目では迫力のかけらもない。しかし反抗的なその態度にさらに機嫌を悪くしたのか、剣城は無言を貫いたまま顔だけ狩屋にさらに近づけた。



詰められていく距離。唇と唇の間にわずかな空気の壁があるだけで、互いの吐息がかかるほどのその近さに狩屋は耐えられず息を呑んで頬を染め上げた。






「な、なに、っ」

「狩屋」







狩屋の華奢な方がびくりと震える。静けさを湛えた剣城の低い声がダイレクトに鼓膜に響いて、それが狩屋はたまらなく恥ずかしかった。


力だけで言うなら完全に負けている狩屋は剣城をはねのけることも出来ず、かと言って剣城から目を逸らすことも出来ず、掴まれた腕の痛みに顔をしかめるばかりだ。


思考をフル回転させるが、いったい何がどうしてこんな状況に陥ったのかが分からない。
別段剣城に狩屋がいたずらを仕掛けたわけでもなく、いつものようにクラスで天馬たちと変わらない日常を送っていたはずだ。



それが突然呼び出されたかと思ったら外に連れられて、こんなことになっている。心当たりがない故に一層狩屋の不安と焦りは募るばかりだった。


そんな自分より数回り小さな少年を射抜くようにじっと見詰めつつ、剣城は僅かに目を細める。その目に喜怒哀楽の色は伺えず、だがしかし何も感じるところがないと言うわけではない。
重厚感さえ感じさせる鈍い光を波間に浮かぶ硝子細工のように漂わせている。






「んなっ……」






おもむろに剣城が狩屋の輪郭に指を這わせた。滑らかな婉曲を確かめるように辿り、状況が理解できずに目を丸くする狩屋の唇を親指でふにふにと押す。


そこで初めてハッと意識を覚醒させた狩屋が、声にならない声をあげて体を大きく跳ねさせた。彼の後ろは冷たい壁が広がるばかりであるのでこれ以上身を引くことは出来ないが、あまりの動揺にもはや狩屋の思考回路はショート寸前だ。



体中の酸素が内臓に浸透して血液に戻ることなくはじけてしまったような感覚。顔どころか全身が沸騰しているかのように、熱い。






「剣城くん離しっ……」

「うるせえ」

「あっ、!」






今度は触れ合うギリギリの位置にあった剣城の顔が一瞬離れ、しかし何を思ったのか狩屋の喉仏に緩く噛みついたのだ。


突然の刺激に、大袈裟に肩を震わせた狩屋の綺麗に描かれた喉から鎖骨にかけてのラインにくっきりと赤い跡が付いたのを確認し、充血した部分を愛しむように舌で舐める。
予想外の剣城の行動を問いただす前にいよいよ体の力が抜け、狩屋は不本意でも剣城の改造制服をぎゅっと掴んで倒れないようにするしかなかった。






「うっ……や、やめっ……!」

「嫌だ」

「んっ……!」






鈍い翡翠色の前髪がはらりと前に垂れて頬にかかる。それを手で払いながら、剣城は赤く色づいた狩屋の頬を撫で、名残惜しげに鎖骨に歯形を残してようやく口を離した。



狩屋の程よく日焼けした肌と剣城の唇を透明な細い糸が繋ぐ。それがプツン、と切れた瞬間に熱をすでに失った唾液が首元に残り、その冷たさに眉を寄せる。


固く瞑んでいた瞼を開けば、そこにはやはり真剣な顔をした剣城の顔がそこにあって。






「……つる、ぎ、くん」






知らず知らずのうちに狩屋は、その目元に手を伸ばしていた。考えるよりもまず手が動いていた。剣城の白い肌によく映える夕焼け色の目にゆらゆらと映る自分がひどく情けない顔をしているのに気づくが、そんなこと今さらどうしようもない。




――今日の剣城くんは変だ。
――いつも強引な彼だけど、今日は明らかに様子がおかしい。
――どうして?
――何か、あったのかな。
――でもここは学校だ、ばれたら大変なことに、
――拒否しないと、
――拒否、していいのか、
――拒絶、


――そんなのできるわけ、





ない、と引き結んでいた唇を開いて何か紡ごうとするものの、考えがまとまっていない頭では言葉を選ぶことも出来ず、微かな呼吸音だけが漏れるばかりだ。


その一部始終を見ていた剣城ははぁ、と小さくため息をつき、はじかれたように顔をあげた狩屋を解放した。力の抜けた足では立っていられずへなへなとそこに座り込んだ彼を見下ろし、剣城は長い髪を気まぐれなそよ風になびかせながらふと、ほんの少しだけ口元をつり上げて見せた。鈍い光は、もう消えている。






「甘いな、狩屋」

「は……っ」

「無防備すぎる。もっと気を張れ。それと、」

「っ、」

「俺はいつかお前の甘さにつけこむぜ」






口を指先で拭って、剣城は狩屋に背中を向けた。遠ざかっていくその最中で「俺の気はそう長くないからな。」と振り返って言って見せた剣城は、もう二度と立ち止まることもなかった。



誰もいなくなり正真正銘ひとり置き去りにされた狩屋は、しばらくそのまま壁にもたれかかり、剣城が触れてい喉と首筋に手を伸ばす。
そっと触れて、目を閉じた。今もまだ唇の感触が残っている。彼の、息遣いが残っている。それを指先から感じて、拡散されることのない熱に浮かされてうなだれた。






「……っ告白かよ、あれが!」






遠回しすぎでしょ、バーカ、と強がってみても頭の中はすでにひとりの人物のことで埋め尽くされてしまっていて、それがどうしようもなく癪で空を仰いだ。雲一つない綺麗な晴天だった。


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