俺たちは地球が産まれたその日から生きている。この呼吸が重なる瞬間に、燃え尽きた星の遺物を呑み込んで循環する。
今体内で赤血球に取り込まれた酸素は昨日誰かが取り零したものだし、今口から吐き出された二酸化炭素は昨日誰かが荒れ狂う火の海の中で嗚咽混じりに吸い込んだそれに違いない。



いつか誰かの今日の上に立つ。そうして優越感も自己嫌悪も超えた、遥か上の直線上で俺たちは死んでいく。


そう人生論を打ち立てるとするなら、今俺の目の前で蹲るこの少年は果たして生きていると定義していいのだろうかと、俺は疑心を持った。
ガリガリと噛んだ跡が残る親指の爪先が赤黒い血の塊を垂らしては懺悔するかのように滑り落ちる。切れた指の肉はきっと膿んでいずれ黄色く皮膚を蝕むに違いない。絆創膏を渡そうにも、生憎俺の鞄にはそんな気の効いた物は入れられていないのだった。



部室の隅に溜まった埃が狩屋のユニフォームに付着してこの獲物を逃すまいと貼りついている。影の濃い澱んだ蒼色の髪も今はただ悲しいばかりだ。感情に反比例して、ひたすらに綺麗で艶やかな髪だと思った。






「センパイは、やさしいんですね」






顔もあげずに不意に呟かれた言葉は、水底に沈んだ沈殿物のように床のリノリウムに積み上げられる。泣いているのかと思っていたが、俺に向けられた言葉に震えはなかった。そこにあるのは少しの期待を内包した自嘲に他ならず、奴が自分の足を抱え込み直したのを一昔前の白黒映画のワンシーンのようだと思った。






「優しくなんかないさ」

「謙遜しなくていいですよ」

「そんなんじゃない」






だって俺は、お前に気の利いた言葉の一つさえかけてやれない。俺がこの十四年間で知り得た僅かな語彙では、狩屋に巣食う宇宙の一部分も形容できはしないんだ。


なあ、これを悲しいと言わなくて何を悲しいと言うんだろう。どうせお前からは何も返ってこない。百も承知で尋ねてみたかった。お前は、どこにいるんだと。



目に映るものがこんなに薄汚れているのは、からっからの喉に詰まった僅かな擬音が言葉にならないからだ。それでもまだマシだった。言葉は形に囚われて見栄を張っている。「は、ぁ。」と深く深く息を吸い込んで緩やかに吐き出された狩屋のため息の方がよっぽど人間らしい。それは丸裸の数字に近いからだ。



俺が戻りたかった昨日は狩屋が絶望した今日だ。こいつは、屈しない。諦めたら敗けだと思い込んでる。それは穏やかな死によく似ていた。



狩屋は、泣き方を知らないんだ。バカで生意気で減らず口で単純で見栄っ張りで捻くれた鹿の子は、人間の卑しさの間に揺れて打ちのめされている。
俺はどうすればいい?どうすることもできない。いつだって狩屋の根底にある蟠りの邂逅の手段は狩屋しか持ち得ないのだから。






「センパイ」

「ああ」

「アンタも思っただろ、俺のこと、面倒くさいって」

「そうでもないよ」

「綺麗事ぬかしてんじゃねえよ。うぜえ」

「まずはその言葉遣いを改めるんだな、狩屋」

「今さらでしょ」






膝に顔を埋めていた狩屋が、みじろいで俺を見上げた。案山子のように立ち尽くしていた俺の目を、探るように見つめる狩屋の目は潤んでいた。ふやけた視線は霞む。歯痒さに全身が苛まれる。静寂に包まれた部室はただの四角い箱で、耳に流れ込む狩屋の呼吸音を頼りにこの空間が構築されているのだとすれば、もう何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。






「狩屋」

「説教なんて聞き飽きました」

「だろうな。俺としてはまだまだ言い足りないけど」

「もういいでしょ。一人にしてください」

「そういうわけにはいかないだろう」

「放っとけよ」

「放っておいたら、何をしでかすかわからないからな」

「だから、そういうのがうぜえんだって!優しさも同情もいらねえっつってんだろ!」

「なあ、狩屋」

「ふざけやがって、」

「お前は、そんな顔をして泣くんだな」






知らなかったよ。


近寄って同じ目線になるようにしゃがみこみ、頭を撫でてやった。見た目に反して柔らかなその感触。ああ、これこそが邂逅の瞬間だと遠い意識の外側で理解していた。俺はまだまだ狩屋のことを知らない。






「っ、ひぐ、っう、」






堰を切ったように狩屋の目からぽたぽたと、それはもう春の雪解け水よりもまっさらな涙が頬を伝い流れていく。必死に嗚咽を噛み殺す、その唇は確かに震えていた。


声にならない言葉も感情も全てが涙腺の上に乗せられて、瞼の内側を軽く叩くんだ。決壊したダムのような激しさは、未だに胸のうちにしまいこんだまま。



それでもかまわないと思った。俺に寄りかかって縋るように汗の匂いが染み込んだユニフォームを掴み顔を押し付ける狩屋は、はじめて泣くことを知った。


充分だろう。もう、虚勢を張るのは疲れただろう。安寧なんてものは本当は其処らじゅうに転がっていて、普段はそれが色素を隠して無い振りをするから気づかないだけだ。吐き出して空っぽの状態になって、ようやくゼロが見えてこそ、俺たちは今日の自分の励まし方を一つ、学ぶ。



「少し寝ていいぞ。」と柔らかく狩屋の肩を抱いて、未だ息を荒立てているその体を抱擁する。大丈夫、少しくらいこうしていたってバチは当たらないさ。そうして目が覚めて、お前に寄り添っているだろう俺に気がついたなら、いつもの調子で悪態の一つでもついてほしい。



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