物寂しげに教室は人のどよめきを今か今かと待ちわびているようだ。しんと静まり返ったそこは教会の壇上よりも不思議と、ぴんと空気が張り詰めている心地さえする。自分が緊張しているからだと気づくのにそう時間はかからなかった。
「シン様?」
山菜の声はグラウンドで聞くそれと変わらない。意識しているのは自分だけか。そう思うと少し落ち着くのと同時に、ほんのり切ない気持ちになるのをひっそりと感じた。
(どうも、俺は女子と二人きりの空間が苦手らしい。)
「なに、宿題に必要なノートを机の中に忘れてな。取りに来ただけさ」
「ふふ、シン様も忘れ物するんですね」
「当たり前だろ、俺だって人の子だよ」
「でも、シン様だから」
「どういう意味だ?」
「そのまま」
柔らかく微笑む、山菜の声は唄っているようだ。鳥のさえずりより耳に心地よく、フルートの音色よりも優しい。
いつか母にふわりと抱かれた、幼いころの記憶が蘇る。あの日はピアノの発表会だった。格段に上達した今の自分が織り成すメロディよりも、彼女の囁く声が美しいと思うのは、なぜだろう。
どうして、なのだろう。
常に携帯してるお気に入りであろうそのカメラを俺に向け、彼女は「シン様、笑って。」と微笑んだ。カメラは苦手だ。撮るのはわりと好きだが、被写体になるのはあまり好まない。理由などなく、そういう質なのだ。
けれど、山菜の構えるカメラのそのレンズは、不思議と受け入れられる。円に誘われる。飛び込んでしまえば、知らず知らずのうちに口角が上がる。(どうしても、ぎくしゃくした笑顔になってしまうけれど。)
魔法みたいだと思った。
シャッターを切るその指すら、俺は、思ってしまった。(可愛らしい、なんて。)
「シン様、やっぱりサッカーしてる時が一番」
「やっぱり笑顔、ぎこちないか?」
「シン様だもの」
「答えになってないぞ」
「自然な表情を撮るのが、好き」
「……それは、俺の?」
こくりと頷く、山菜はやはり可愛いと思う。ただ口下手な俺はそれを伝える手段を持たないだけで、仮に伝えたとしても彼女のことだ。きっとのらりくらりとかわしてしまうのだろう。
俺を彼女が追いかけているようで、実は俺が彼女を追いかけているのだとしたら。
滑稽だ。けど、それ以上に愉快だとも思う。
「なあ、山菜」
「はい」
「あのさ」
写真、撮らないか。
俺と君、二人並んでさ。
未だ教室に満ちている空気は暖かな緊張感を孕んだままだ。どうか、せめてこの緊張感が二人分であればいい、そう切に願わずにはいられない。