「不動、」
「ん」
名前を呼ばれたと思ったらさりげなく手を引かれて、ああこのままだ抱き寄せられちゃったりするのかなあってぼんやり思ったりしたわけだが、実際はただ歩いていた位置を変えられただけだった。
鬼道が車道側で、俺が立ち並ぶ家々の塀側。くだらなくてわかりにくい、こいつなりの優しさ。
「餓鬼扱いすんじゃねえ」
「危ないだろう」
「お前もじゃんかよ」
「俺はいいんだ」
「なんだそりゃ」
鬼道はすぐに手を放して、「行くぞ。」と早口に言った。たぶん照れているんだろう。
まだ長い付き合いとは言えないが、だいぶこいつのことがわかるようにはなったと思う。
けどそれで満足しているかと問われたら、俺は迷わず首を横に振るだろう。それこそ引きちぎれんばかりの勢いでな。
満たされていると思う。
愛されているとも思う。
それこそ勿体ないと感じるくらいには。
だが、俺が求める鬼道への優しさと、鬼道が俺に与えたいと思う優しさじゃ、そもそもの形が違う。
育ちの違いが大きな理由だろうが、鬼道は俺をとことん甘やかそうとしやがる。どこまでもその甘さに溺れて、もうこいつ無しじゃ生きていけなくなるくらいまで。
それもまた幸せなのかもしれねえけどな。
他のやつ、例えば源田なんかにこんなこと言ったら、「充分じゃないか。欲張るのはよくないぞ。」って宥められそうだ。
「ったく、」
だけど俺は女じゃないから。さっきだって、どうせ手を引くならそのまま抱き締めてほしかった。んで、キスの一つや二つかまして、薄暗い裏路地とかに連れ込んだりとか。鬼道はウブだから、公の場所でそんな真似できるはずはねえが。
わかっちゃいるが、俺は女にする感じの気遣いみてえな優しさなんざいらねえんだ。
フィールドにいる時みてえな荒々しいあいつでいい。いや、そんなあいつがいい。そのままあとに何も残らないほどに奪い尽くしてほしい。俺が求める優しさってのは、そういうこと。
「………まあ、不満ってわけでもねえか」
「なにがだ」
「あ?」
「何が、不満なんだ」
「……くくっ」
これだからお坊っちゃんは。また変な方向に間違った妄想を膨らませてやがる。
「バーカ」
「なっ」
「幸せだってーの。わりいかよ」
ニヤリと口の端を吊り上げてみせる。好戦的で、挑戦的な笑み。一昔前は、こうやって嫌味を言っては、鬼道とバカみてえにいがみ合ってたな。
今思えば、あの頃から惹かれていたのは俺の方だったかもしれない。
ぐっ、と息を詰まらせた鬼道は、みるみるその頬を赤く染め上げ、頭を垂らしてしまった。かわいーやつ。
「んだよ、照れてんのか」
「うるさい」
「顔赤いぜ?」
「お前こそ」
「ありゃ、失敗」
確かに、全身の熱が顔に全部集まってるんじゃないかってくらい熱くて、俺も鬼道に負けじと真っ赤だった。墓穴を掘ったらしいが、お互い様だからまあいい。
「俺も、」
「え」
今度は完全に不意打ちだった。
ぎゅっと手を握られて、足を止めた瞬間ぶちゅっと唇に生暖かい感触。鬼道の歯が当たりやがった。切れたらしい。いてえ。
「俺も、幸せだぞ」
そう唇を離して囁いた時の、鬼道のやたらと嬉しそうな顔ときたら。
「ばっ……!」
「不動?」
「は、恥ずかしいやつ……!!」
「お前ほどじゃないさ」
「んだとてめえ」
なんだかんだ言って、結局は俺の幸せの定義なんて、鬼道のアホ丸出しの微笑ひとつに塗り替えられちまうほど安いものでしかなかった。腹立つ。いつから俺はこんな腑抜けに成り下がったんだ。
だけど、それで鬼道がまた笑うなら、それはそれでいいかもしれないなんて思っちまう。
やっぱり恋愛は厄介だ。