なあ、会いてえ。
不意打ちでそんな風に言われて、思わず「え、」と固まって動けなくなってしまった。
「待って。」と呼び止めるよりも早く「わりい、忘れてくれ。」と早口に言って、僕の返事も聞かずに通話を切ってしまった染岡くん。顔が、熱い。ツーツー、という単調な電話音を聞きながら、僕はみるみるうちに赤く紅潮する頬の熱をどうすることもできず立ち尽くしてしまう。
部屋五つ分ごしの電話だった。時刻はすでに消灯時間を過ぎていて、だけど染岡くんとまだ話していたいと我が儘を言った僕のために、染岡くんが提案してくれた方法。
携帯の通話料金はちょっと気になったけど、そんなことよりも眠る直前まで会話できることが幸せで。しかも染岡くんが僕のために付き合ってくれるっていうのが、たまらなく嬉しくて。声を聞けるだけで満たされていた、のに。
(反則、でしょ)
いつだって甘やかされているのは、僕だけだって思っていたんだ。だって彼は、こんなにも僕の欲しがっている言葉を貪欲に与えてくれる。染岡くんは誰よりも、僕を優しい気持ちにしてくれる。
でも、もしも。ほんの少しだけでも、彼が僕と同じ気持ちを持ってくれているのなら。
(ああ、もう、ホントに)
染岡くんはズルい。その一言で僕がどれだけ浮かれてしまうかわかってるくせに、最後まで素直にはなってくれないんだから。
半袖のシャツに半ズボンという薄手の格好のまま、僕は自室を飛び出した。下の階では監督がまだ起きているだろうから、廊下は走らず慎重に、足音をたてないように忍び足で進む。なんだか忍者にでもなったような気分になって、くすっと笑ってしまった。
染岡くんに会いに行く。たったそれだけの目的で、しかもたった数十メートルの距離なのに。考えるだけで妙に気分が高揚して、なのになんだかもどかしく感じてしまうんだ。
夜ならではの肌寒さも気にならないくらい。後で見つかって、監督に怒られてもへっちゃらだって思うくらい。
気づいたら染岡くんの部屋の前まで来ていて、一瞬迷惑じゃないかなって迷ったけど、ここまで来たら今さらだよねと思い直して小さくコンコン、とドアをノックした。
染岡くんも僕が来ることはやっぱり予想していたみたい。すぐにぎぃ、と扉が開いて、その奥にいた染岡くんとばっちり目が合う。
「来ちゃった」って僕が笑ったら、染岡くんは気まずそうに視線を泳がせて「忘れろって言ったのによ。」とぶっきらぼうに呟いて、たぶん僕のために用意してくれていたであろうカーディガンを肩にかけてくれた。
ほら、やっぱり。
僕が上から何も羽織らないでここに来ることもお見通しだったんだよね。
「とりあえず、入れよ」
「じゃあ、お言葉に甘えるね」
「最初からそのつもりだったんだろうが」
「わかる?」
「ったりめえだ」
今何時だと思ってんだ、と文句を続ける彼の後について部屋へとお邪魔する。もともと私物の持ち込みをほとんどしていない染岡くんの部屋はとてもシンプルで、だけどそこらに散らかるジャージやユニフォームがいかにも彼らしい。
電気を付けようとして、寸でのところで思い止まった。もう消灯時間過ぎてるんだっけ。せっかく染岡くんに会えたのに、ばれたら早々に帰されてしまう。
「散らかってるけど、あんま気にすんな」
「うん。ごめんね、気を使わせちゃって」
「馬鹿、そりゃこっちの台詞だ」
「え?」
「だから、よぉ。俺があんなこと、言ったから」
歯切れの悪い言葉と、暗闇の中でもよくわかる染岡くんの落ち着きのない動きでなんとなくわかった。彼が電話での最後の、あの言葉のことを言っているんだと。
確かに、さっき聞いた時は夢かと思った。普段全く僕に対して弱いところを見せてくれない彼が、一言。会いたいって。確かに驚いた。だけど、それ以上に。
「違うよ」
「……吹雪?」
「それは違うよ、染岡くん。君が電話で言ったこととか、全くって言ったら嘘になるけど、関係ないんだ」
だって僕は、驚いた以上に嬉しかったんだ。
僕はいつも自分に甘い。思ったことはすぐに伝えたいし、やりたいこともすぐに行動に移したい。今まで後悔することばっかりだったから、もう二度と悔いを残さないように。今回も、結局はそうゆうことだった。
「ただ僕が、君にどうしようもなく会いたかっただけなんだ」
それだけだよ、と微笑んで見せた。きっとこの、月明かりさえもほとんど射し込まない部屋の中じゃ、僕の表情なんてわからなかったと思う。
だけど、「そうかよ」って素っ気なく返事を返してくれた染岡くんが照れているのだということだけは、なんとなくわかったから。
彼は僕のことを確かに想ってくれていた。
嗚呼、そして僕は、そんな彼を心底愛しているのだと思う。