錫高野与四郎は山中を駆けていた。
 一見無作為に進路を選んでいるようにも見えるが、実際は罠のある場所、ない場所を判断するのに必死である。忍術学園の周囲には稚拙なものから巧妙なものまでおそろしくたくさんの仕掛け罠が設置してあり、避けるのには苦労を要した。
 以前に学園の生徒と共に来たことがあって、罠の位置をある程度知っている与四郎であって、これである。何の予備知識もなく飛び込んできた敵は大変なことになるだろう。
 …こんなことなら大人しく街道からくるんだった。
 苦笑いをして、落とし穴を飛び越える。その先にある鉄菱に舌を巻きつつ体をひねって無事に着地した。穴だらけの地面よりは安全そうだと、木を渡ることにして、手近なところに手をかける。

「こりゃあ風魔も負けてらんねーべ」

 …たすけてぇ…

「ん?」

 小さな声が耳を掠め、枝上の与四郎はぴたりと手を止めた。子供の声。忍術学園に程近いことを考えれば珍しくもないのだが、どうも聞きおぼえがある。そして助けを求めている。
 他流の縄張りであまり目立った動きをするわけにもいかないのだが、与四郎は迷わなかった。自分に懐く子を放っておけないのももちろんだったが、あの子供に何かあっては風魔の未来にかかわる。
 焦る気持ちを抑えてどうにか声のした場所へと進んでいくと桃色の制服が見えた。即座に身を隠す。少女はこちらに気づいていないようで、足元にむかって話しかけながら蔓縄を縒っている。姿は見えないながらも、馴染みの子供の声も聞こえて、ああ無事だったかと安堵した。
 さて、手助けに行くべきか、否か。
 
「これからそっちに縄をおろすけれど、ひとりで登れるかな?どこか痛むようなら私がおんぶするけれど」

 さらりと言った内容に、与四郎はまじまじと少女の背を見つめた。喜三太は取り立てて大きいわけではないが、子供一人を背負って崖を登るのはそれなりに力が要る。もちろん忍としての訓練を受けているのだからそこらの娘より体術にすぐれてはいるのだろうが、どちらかというと華奢な彼女にはとてもそぐわない発言だった。
 自分ができないことを提案するわけもないだろうし、もうしばらく見ておこう。
 与四郎の目の前で、彼女は手近な木に縄をかけ、するすると伝いおりていった。案の定、喜三太も驚いたようだ。

「やだ、私これでも六年生だよ?」

 ということは自分とは同い年ということか。
 風魔の里では女は普通に外に出て働くほうが多い。忍者として、というよりは、色々なところの働き手として情報を集めてくるのだ。それに加えて与四郎の家は男兄弟ばかりで、あまり同年齢の女というものも見たことがなかった。

(くのいちってのぁ、見た目じゃ計れんなぁ)

 本当に苦もなく登ってきた女に舌を巻く。
 背負い紐をほどいて喜三太をおろした女が何気なくこちらを向いた。視線が重なる。その瞬間おそろしい速さで彼女は喜三太を背にかばい、抜刀して構えた。

「どなたですか」

 短く問う声は先ほどまでと同じ、柔らかな声。
 …これがくのいちか。
 ほんの一瞬に鋭い闘気を見せたかと思うと、何事もなかったような静けさを見せる。先ほどの崖下から登ってきたことといい、まったく驚きの連続だ。 
 澄み切った黒い瞳に目を奪われたまま、与四郎は茂みの中から立ち上がった。少女の変貌に呆然としていた喜三太が「あ」と声を上げた。

「与四郎せんぱいっ!」
「おう」

 半ば無意識に返事をすると、少女ははっとしたように構えを解いた。

「喜三太くん知り合いなの?…やだ、ごめんなさい!失礼を」
「ああ…いや、俺も隠れてったからよ」

 あわてて両手を口元にやる動作が可愛いなあとか。
 驚くと目がほんとうにまんまるくなるんだなあとか。
 …なんだ、この感じ。

「なまえ先輩、こちら風魔流忍術学校の、錫高野与四郎先輩です!」
「わああ、あっ、えと、忍術学園六年生のなまえと言います!」

 先ほどまでの様子とはまるで別人のような慌てぶりに思わず笑ってしまう。

「ちぃと学園長先生に用事があって来ただぁよ。喜三太は俺がおぶるべ」
「ボク1人であるけますよう」
「歩けんのはいいけど、このままじゃ日が暮れっちまう」

 赤みを強くした夕日に目を細め、じゃあお願いしますね、となまえが言った。

「私が先に行きます。与四郎さん、ちょっと走って近道しても大丈夫ですか」
「先導いるなら大丈夫だ。それから与四郎でいい。もーちょっと気楽にしてくれ」

 肩をすくめて笑って、なまえは傍らの行李を背負いあげた。滑るように走りだす、その姿を追いながら与四郎は思う。
 なんだ、この感じ。
 なんか胸のところが熱くなる。



 

 学園の門をくぐると、食事時だったこともあってか、一年生の子供たちが何人か集まってきた。制服の所々を破いた喜三太の姿に驚き、医務室へ行こうという話になる。なまえはにこにことその様子を見ていたが、医務室へ同行はせず、通りかかった二年の生徒に後のことを頼んだ。

「行かなくて良かったのか?」
「あのこたちだって保健委員だもの。それにほら、」

 示す方向に目をやると、同い年くらいの少年が走ってくるところだった。

「なまえ!帰り遅いから心配してたんだ、大丈夫!?」
「うん。一年生の子を拾ってたら遅くなっちゃって。はいこれ今日の収穫」

 なまえの手から行李を受け取りながら少年は訝しげにこちらを見上げる。

「風魔の六年、錫高野与四郎。学園長先生に用事があって来ただぁよ」
「僕は善法寺伊作、よろしくね。じゃあなまえはこちらの客人を?」
「うん、さっき左近にお願いしたんだけど、医務室の様子見てきてもらってもいい?」
「わかった。じゃあ先に食堂によってから行くよ。留がいるから取り置きしててもらう」
「ありがとう」

 心底うれしそうななまえの笑顔を見ていると先ほどまでの妙な熱さが蘇るようで、与四郎はこっそり溜息をついた。
 疲れているのだろうか、今日はやたらと自制がきかない気がする。今だって現になまえの手を掴んで無理やり学園長室に向かいたくなる衝動を持て余している。場所も分からないからさすがにできないのだが、ここがもし風魔の里ならたぶんそうしていた。

「与四郎、いくよ?」
「ああ」

 別にあの伊作と言う少年に非があるわけではない。
 ただ、なんとなく、気に食わない。
 本当にこれは何なのだろう。くのいちは妙な術でも使うのだろうか。