薬草を採ることも保健委員の仕事だ。
 学園内の薬草畑で育てたり、実習で生徒が採ってきたものが大半を占めるが、不足分は保健委員が近隣の山から摘んでくる。
 後輩に薬草の種類を教えることも必要だからと、たいてい上級生ひとりに後輩数名というのがお決まりだったが、一緒に来るはずだった一年生二人がそろって補習を受けることになったため、今日はなまえひとりきりである。
 幸い日が暮れる前に籠をいっぱいにできた。背負いあげてそろそろ下ろうかというとき、風の音に混じってなにか聞こえた気がした。

「…?」

 忍として鍛えているだけあって、なまえも聴力はそれなりに良い。その耳を以てしてかすかに聞こえる程度の、声。離れているのだろうか。いや、しかし入り組んだ地形ではわからない。
 目を閉じる。
 二度目の声が聞こえた。

「あっち、かな」

 向かう先には沢がある。そこを越えてしまえばおそらく水の音で声は遮られてしまうだろう。それまでに窪や洞はいくつあったか。沢までの距離を考えながらなまえは歩き出した。 

 


 喜三太はくすんと鼻を啜りあげ、膝を抱えた。
 傍らの壺は割れてしまっている。ナメクジたちも三々五々に散ってしまった。久々に連れてきた山の中、湿地を見つけて喜んで進む彼らの後を浮かれてついてきたら…こんなところに落ちてしまった。
 斜面を滑り落ちた感覚がまだ手足に張り付いている。すりむいた箇所がじくじくと痛んで、濡れた着物がひどく冷たかった。ぬかるんだ背後の斜面は登れそうになかった。目の前には沢。先日の雨で水量が増し、こちらも渡るのは不可能だ。岸辺を歩こうにも尖った岩とぬめる苔色、滑る可能性はとても高い。

「うっ…ひっく…誰かー!!助けてくださぁぁい!!」

 喜三太はもう何度目かわからない声をはりあげる。
 寒いし寂しいし、このまま誰にも見つけてもらえなかったらどうしようとか、それより先に熊や狼に見つけられてしまったら大変だとか。考えれば考えるほど恐怖は募り、まずはだんだん迫ってくる夜闇への不安が胸を締め付ける。

「うぇぇぇぇん!助けてぇぇぇぇ!!!」 
「はーい、今助けるからちょっと待っててー」

 怖くて怖くていよいよ泣き叫んだその瞬間、思いのほかあっさりとした答えが返ってきた。鳩に豆鉄砲のたとえのままに、大きな目をきょとん、と見開いて、喜三太は頭上を仰いだ。桃色の制服。くのいち教室の生徒は年齢の近い子たちしか知らないけれど、上級生もいるのだとそういえば乱太郎が言っていた。保健委員会にはくのたまの先輩もいらっしゃるよ、と。名前は確か…

「なまえ先輩!」
「よく知ってたね。えーと、君のお名前は?」
「一年は組の山村喜三太です!」
「良いお返事だね、よくできました。じゃあ喜三太くん、どこか痛いところはある?」

 やわらかい声が、もう少し幼い子供に訊ねるようにそっと問う。
 膝や掌が痛んだけれど、どうかな、これくらい我慢しなくちゃ…

「どこも…」
「君がこれから忍として生き残りたいなら、どんな小さい傷でも甘く見てはいけない」

 先ほどまでとはうって変わった厳しい声だった。
 
「その油断が生死を分けることだってあるんだから。我慢することも時々必要だけど、信用できる相手には自分の状態を正しく伝えたほうが良い。今みたいにひとりになった時は特に。下手に動いて悪化させてしまったら大変だからね」
「はい」

 わかりやすい簡易な言葉で聞くのは、そういえば授業でも何度か教えられたことだ。すっかり頭から抜け落ちていた基本。この状況でしんしんと身に染み入った。

「これからそっちに縄をおろすけれど、ひとりで登れるかな?どこか痛むようなら私がおんぶするけれど」
「ええと…膝と、てのひらをすりむいちゃいました。…あとちょっと足首が変な感じです」
「偉い。よく言えたね」

 向こう側に笑いの透けるような褒め言葉と共に、するすると蔓を縒った縄がおりてきた。ついで制服姿の女のひと。その姿が思っていたよりずっと華奢だったので喜三太は驚きに目を丸くした。

「えー、おんぶって、先輩が?」
「やだ、私これでも六年生だよ?喜三太くん1人くらいは訳ないって」

 苦笑しながら手ぬぐいで喜三太の手と膝を拭き、血が止まっていることを確認すると足首にそっと触れる。頭巾から出た髪からなんだかいいにおいがしてちょっとぼんやりしてしまう。

「腫れてはいないし、ひねっただけかな…。よし、じゃあおいで」

 そう、六年生なら用具委員長の先輩には時々おんぶしてもらうけど、目の前の背中はそれよりもずっとずっと小さい。大丈夫かなあ、と思いながらおぶさると、あっという間にひもで体をくくりつけられた。素早い。
 喜三太ひとりくらい本当に訳はなかったようでそのままするすると彼女は縄を登り終えてしまった。あんなに困っていたのが嘘みたいに、あっけない救出だった。