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「ところでさ」

 かこん、と小気味いい音を立てて伊作の持つ斧の先、薪が出来上がる。
 隣で同様の作業にいそしんでいた留三郎は視線を手元に置いたまま、なんだと問い返す。同様に伊作も作業を止めずに淡々と口を開く。

「君達なんかあったの?」

 がッ、…からん、

「な、なんにもねえよ!」

 留三郎のふりかぶった斧は見当違いの方向に突き刺さる。飛んで行った木片が、少し離れた地面で音を立てた。どこがなんでもないんだとツッコミをいれたいところだが、伊作は「ふうん」と気のない相槌を口にした。

「そういえばこっち来る途中、金楽時の近くで露天商のおばさんに櫛すすめられてさ。『こないだも同い年くらいの男の子が買っていったのよねえ、贈り物にどう?』って…留どこいくんだよ」
「厠!」

 手斧を放り出して留三郎が走っていく。用具を大切に扱う委員長にしてはめずらしい。まったくわかりやすい奴だ。
(…にしても、ほんとうに何があったんだろう)
 手ぬぐいで額の汗を拭きながら、伊作は溜息をついた。


 学園に戻ってまっさきに聞いたのはなまえの謝罪だった。

「ごめんなさい。…あの研究、タソガレドキの組頭に見られてしまった」

 驚きはしたが、案の定という思いもあった。いたるところで妙にちょっかいをかけられている手前、どちらかというと自分が招き寄せたのだろうなという自覚もある。なまえには気にしないように言ったのだが…しかし、それでもなまえはどこか上の空だった。
 六年生になってからなまえとふたりで研究していたのは、『簡易な摂取で短時間に最大の効果をもたらす麻酔薬』だった。ところがそれは、できあがってみれば同時に生命維持に必要な器官を麻痺させる…つまり凶器でもあった。死をもたらさない範囲を見極めるには人間を用いた相当数の実験が必要だが、いくらなんでもそれはできない。
 ならばいっそのこと方向性を変え、忍としての仕事に役立つ凶器として…『毒薬』として完成させてしまおうときめたのが休暇前。いまのところはどっちつかずの未完成だ。気付かぬように摂取させることのむずかしい毒、使用可能量の不明な麻酔。露見するのは確かにまずいが、したところで研究を進めなければ無用の長物だろう。

 ―――もしも他人が完成させるならば、それも薬学の進歩として喜ばしい。

 そう考えている伊作は、情報を持ち帰った相手が大軍の将であっても、実際それほど気にしていないというのが正直なところだ。なまえも同じはずだ。だからこそ自分の手元ではなく、医務室の机の中という『見つかりにくいところ』に保管するにとどめたのだから。

(見られたことじゃないなら、…雑渡さん本人と何かあった、とか?)

 冗談と本気の境目のつかない、飄々とした物言いを思い浮かべる。面倒だからこちらも適当に応じておこうというのが伊作の処世術だが、なまえはどんなものか。おかしなことを吹き込まれていないといい…いやむしろ、本当に妙な事をされていたりしたら。
 本人に自覚があるかはさておき、世間的になまえはそろそろ『年頃の娘さん』だ。伊作の主観と親友のわかりやすい態度にかけて、充分容貌のすぐれた部類に入る。
 しかもあの組頭、どうやらいろんな意味で守備範囲が広いのだ。何されてるかわかったもんじゃない。

(…うわあ、まずいかも)
「悪い、戻った」

 厭な悪寒に身を震わせた時、留三郎が戻ってきた。

「留、」
「ん?」

 投げ捨ててしまった手斧に小さく謝る姿を見て、伊作は口をつぐんだ。
 なまえの様子に敏感な番犬・留三郎。しかしいろいろ熱すぎて、今回の件では使い物にならないだろう。侵入者に気がつかなかったこととあわせ、下手したら暴走しかねない。

「いや、さっさと終わらせてしまおうよ。そろそろ夕餉の支度だろ」
「おう。…あ、やべえ、今日って食事当番俺だ!」
「さっきなまえが食堂に行ってたよ。今日で最後って言ってたから、留が日程間違えてるんじゃないの?」

 だいぶちいさくなった木材の山を横目に、伊作は挙動不審な友人に助言をしてやる。

「あとでちゃんとお礼言っときなよ。女の子なんだから、品物も添えて」

 暑さのせいだけでなく真っ赤になって、留三郎は「わかった」と頷いた。





「ごめん、今日の当番俺だよな」

徐々に人数も増え始めにぎやかな食堂のかたわら、配膳の準備をしている台所に食満は声をかけた。振り返ったなまえは軽やかに笑う。

「私も一応女子だから。一日余分に花嫁修業させてもらったと思えば、全然」
「…飯終わったらでお礼させてくれ」
「え、期待しちゃうよ?」

 手ぬぐいをつかいながら下級生たちに「運んでー!」と声をかける横顔を見ながら、食満はこっそりと掌を握る。伊作に背を押されなかったら、たぶんあの櫛は渡せないままだったろう。新学期までもうすぐだ。なにしろここは忍術学園、面白い話題には鵜の目鷹の目状態のところでうまく手渡す自信はない。そういう意味ではこの休暇が最後の好機である。

(しかし何て言えば…)

 もちろん今日のお礼で、というのが前提だが、そもそも女物の櫛なんてそんなに都合よく転がっているものではない。どうしてこんなもの?と聞かれるのは明らかだ。



 金楽寺からの帰り道、露店で来ていた小間物屋に足を向けたのはただの気まぐれだった。
 売り物はほとんど女物だが、細工ものなどを見てその工法を考えるのは食満のささやかな趣味だ。目新しいものはないかと商品を見ていると、店の主人に声をかけられた。

「兄ちゃん、贈り物かい?」
「まあ、」

 自分の年齢からしても、女物の装飾品を眺める理由に「趣味」は少々難がある。あいまいに頷けば「ならいいのがあるんだ」と主人は傍らの箱を探り始めた。長くなりそうな気配に失敗したかと思ったところで、目の前に差し出されたのは、露店のものとは思えないほど上等の品。だいぶ古いものだが、それでも決して新しい品に見劣りはしない。むしろ今の時世には少ない絢爛と繊細が満ち溢れた作だ。

「…凄い。これは、どんな来歴なんですか」

 手放しの賞賛と同割の警戒をまぜて訊ねれば「盗品じゃねえよ」と笑いが返ってきた。

「昔、さる城の奥方が戦で落ち伸びてなきてな。匿ったときに貰ったんだ」
「そんなもの売り出していいんですか?」
「家宝にしろって?あいにく俺はこの通り、流れ者のその日暮らしでな。子供もいないし身内と言えばあっちの婆くらいのもんさ。飾るには套が立ちすぎるってもんだろ」

 あんた聞こえてるよッと向かいの店の女が怒鳴る。
 苦笑すれば、店主がふと真面目な顔つきになった。

「このまま持ち続けてもいいかと思ってたんだが…どうも最近、俺らみたいな根無しが探られてるみたいなんだよ」
「探られる?って、何をです」
「何かはわからねえが…、ほれ、関所があるだろう。ああいうところでの荷改めが厳しくなってきてな。売り物だけじゃねえ、人の顔までなんだかじろじろ見られてよ。探られて困る腹はねえが、分不相応なものを持ってちゃ何があるかわからねえ」

 だから早いところ手放してしまおうと考えたのだと店主は言った。

「余所の店に持ち込んで面倒を起こすのも厄介だ。あんたはなかなか身のこなしもいいし、なによりその手、百姓じゃねえな」
「え?俺は別に…」
「俺も昔は色々働いたクチさ。…これでも同業を見る目だけは確かだぜ、若いの」

 低められた声に食満はいいかけた言葉を飲み込む。
 袖口から垣間見えた店主の腕には、古い傷跡とおぼしきものが見て取れた。

「大したこともない腕が怪我で動かないと来ちゃ、何の役にもたちゃしねえ。…あんたはまだこれからだろう。櫛を贈るような女がいるなら、死ぬ気で守ってやんな。こいつは餞別だ」

 反射的に思い浮かべた人物に、この櫛はよく映えるだろう。男なら誰だって考えることだ。いずれは、自分が…食満は頷きそうになるのを慌ててこらえた。

「でも俺、こんなの買えるほど手持ちがないですよ」
「餞別って言っただろ、金はいらねえよ。立派すぎて捨てずにいたが、今言った通りの厄介物だ。持てる奴が持てばいい…さ、ここいらもそろそろ店終いだ。どうする?」



 ―――首を振る理由は無かった。