錫高野

初めて出会ったのはまだ制服に身を包んでいたころ、幼い後輩を庇うようにこちらを睨んでいた。沢の音も湿った葉の冷たさも、可愛がっていた子供さえ消えて、ただ見つめていた。


二度目に会ったのは薄暮の木立で、己は手負いの追っ手だった。それと知らず獲物であったお前は、少なくとも味方ではない男を困惑の顔で見下ろしていた。

「…自分でも馬鹿だと思うの。でも、見殺しにできない」

毒を吐くようにそう言って、傷口をきつく塞ぐ指が震えていた。
瞬間に己は決めたのだ。どれだけ里に有益であっても、お前を兄には渡さないと。


三度目に会った時、お前は泣いていた。白々と明るい月の下で涙が光っていた。誰の為に流したのかを己は知っていた。

「忘れちまえ」

言った己が驚くくらい嫉妬の滲んだ声だった。それさえ気づかないくらいお前は傷だらけだったのだろう。濡れた頬を歪めて笑った。

「…こうなる気は薄々していた。忍だものね、わかってるよ。良くわかってる。どんなに好きでもあの人じゃ駄目なの。あの人が道を分けたんじゃない。手を離すのはいつも私」
「…早く、忘れっちまえ」


それだけ言うのが精一杯だった。


四度目に会うとき、己はお前とお前の仲間を攻め落とす側にいた。お前に最後まで手を伸ばしていた男と共に、お前の選んだ現実を、叩き壊して焼き尽くした。
生きる限り追われ狩られる恐怖を己も誰も知らない。唯一お前を庇護する力をもった者は、かつての朋友と、あの男であった者が葬ってしまった。


壊す直前、あの男は多分お前と2人で生きる夢を語ったのだろう。お前の背負うものを共に支えようとしたのだろう。潰れても消えても構わないくらい、あの男はお前を深く愛していた。だからお前は優しいその手を取れなかったのだろう、最後の最後まで。




「俺は優しくねぇからな」


ざ、ざざ、


「死んだなら、また生かすぞ」



ざ、




 それらしい骸を身代わりにと置いてきたが、奴らは気がつくだろうか。火の周りが不自然に早いことは知っていだだろうが、炎の奥に抜け道が用意されていた事は火事を操った風魔しか知らない。
 食満となまえが差し違え、食満は仲間が連れ出した。与四郎が現れたのはその僅か後、部屋が焼け落ちる正に直前だった。

 薬師・みょうじ家の血を、文字通り血眼で探す者は多い。最後の一人がいかに貴重なことか。首実験さえできないような遺体をはたしてどれだけの人間が信じるだろう。
 しかし、やらないよりはマシだったと与四郎は思う。
 これから向かおうとする閉じた里もなまえを匿うには良い。里の者が彼女をどう思おうと、次代統領の客として迎えれば表立って傷つけることはない筈だ。裏の敵…統領家に抗う者は与四郎が片付ける。それがなまえを里に迎えるため、次代統領と交わした約束だった。

「…あいつにゃ出来ねぇ事だべ?」

 いずれ里を抜け、諸国を行脚したいと思っていた。風魔であることを捨てはしないが、縛られるのは嫌だった。もしかしたらそれこそが「風」の性なのかもしれない。
 けれどなまえと食満を見て…それでは駄目だと気がついた。
 縛られる物がない自由は、後ろ盾がない不安と同義だ。守りたいものがあるのなら選ばなければならない。自由と力、両方は手に入らない。
 一番先に知っていたのがなまえで、…だから彼女は食満と在る未来を捨てた。
 同じ轍を踏まないことしか与四郎にはできない。
 正直なところ勝てる気なんてしないのだ。なまえは全てを放棄するくらい食満のことが好きだったのに、それ以上に自分を愛してくれというほど無謀にはなれない。
 彼女の一番になれなくても、ただ近くにいられればそれでいい。
 彼女の願ったものを踏み壊しても、その手をつかみ取りたい。 

「欲深ぇのかな、俺ぁ」
「そうかもしれませんね」


 近い場所から聞こえた幼い声に、与四郎はようやく駆けていた足を止めた。
 風魔忍者次代統領…山村喜三太がそこにいた。