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 実習で戦場に出ることも、そこで誰かを殺したり殺されかかったりすることも、初めてではなかった。
 男女混合実習は初めてだったけれども、相方になった伊作は普段からよく一緒にいる仲で、これもまあ別に初体験というほどのことではなかったのかもしれない。誰かを昏倒させ、あるいは急所を切りつけ、そういうことをする時の顔はこれまで見たことがないものだったが、別段驚きはしなかった。自分たちは忍術学園の六年生だ。卒業までに何を為し、何を身につけていくのか、男女の違いは多少あれども互いに知っている。
 しかしながら任務とされていた陣旗の奪取を成し遂げたころから、話は少々変わってきた。

「なまえ、傷薬はどのくらい持ってきてる?」

 仮にも不運委員会の二つ名をもつ人間が2人もいるのだから多めに持ってきてはいる。委員長と副委員長だ。幾らあっても足りないだろうという気はしていた。
 が、目の前の委員長は別段大きな傷があるわけではないようだ。

「あのね伊作、一つ聞いてもいい?」
「いいけど急いでね」
「治療するの?このひとたちを?皆?」

 なまえが示したのは木立の向こうの合戦場で、先ほど2人が撹乱してきたことで一時的ながら斬り合いは沈静化してきたらしい。油照りの暑さだ。兵の消耗を考えておそらくもうまもなく全軍とも引き上げるだろう。
 残されるのは屍と、動けない怪我人。だけ、というには多すぎるそれら。

「皆の分なんて足りないよ、絶対に」
「治療器具は持ってきてる。包帯は作ればいい。行くよ」

 伊作は返事も聞かずにさっさと手近なところに倒れている人間たちの脈を取りに行く。
 保健委員会というのが学園内でしか通用しない肩書きだということを、たぶん彼は完全に忘れている。あるいは初めから知らないのだろう。
 実習期間にはまだだいぶ余裕があった。
 仕方ないんだから、と小さく呟いてなまえも伊作の後に続く。副委員長の肩書きがはたしてここでどれほどの重みを持つのか、彼女は意図的に忘れることにした。


 医療に携わる2人にとって、生きようとする怪我人は皆患者であったのだ。


 伊作の凄いところは、となまえは思った。
 重症患者と手遅れな者の区別を一瞬につけるところだ。今の自分たちにできる可能性と、目の前にいる人間を瞬時に天秤にかける。そしてそれは恐ろしい正確さで命の境界を引き分ける。その分類には老若男女一切の区別はなく、まして憐憫や愛惜の情などはない。
 一番近い水場の位置を確保し、そこを何度も往復しつつ、患者を見つけては怪我の程度で振り分ける。縫合し消毒し、壊疽のおそれがあるものは切断さえした。手持ちの薬品は皆使い切ってしまったが、血止めの代わりに傷口を焼いた。
 恐ろしく長い、そして短すぎる数刻だった。
 薄暮のころに伊作は大きな息をつき、なまえはすっかりなまくらになった苦無や剃刀をしまいこんだ。もうあたりにこれ以上の治療を施せるものはいなかった。無言のままに手を顔を洗い、ようやく2人は座り込んだ。

「伊作、帰ろうか…ちょっと休んでから」
「課題よりも疲れたね」

 顔を見合わせて笑いあい、それぞれ無傷の得物を懐に忍ばせた。兵糧丸を半分に割って黙々と食べる。学園の縄張りまでは山二つと少し。もうしばらくは気が抜けない。
 
「なまえ?」

 風を読んでいたなまえがふと伊作の袖を引いた。
 におう、と唇が音なく動く。水、植物、血、獣、鉄、いろいろな匂いに混じってほんのわずかになにか違和感を訴えるもの。
 考え込んだ刹那が命取りだった。

「あ…」

 ぞわりとなまえが総毛立つ。
 足がすくんだ。あってはならないことなのに。
 何も見てはいない、なにも聞いてはいない、それなのに全身を縛られる。奈落の底に落ちるような、このうえなく懐かしいような。なんだこれは、伊作は、…伊作は?

「なまえ、どうしたの。顔真っ青だよ」

 気がつくと伊作が両の肩を掴んで顔を覗き込んでいた。
 白昼夢と言うには生々しすぎる感覚に膝が崩れるのを他人事のように感じる。伊作は何も感じないのか。同じ忍なのに?
 干からびた口を動かして言葉にしようとするも説明が追いつかないのがもどかしい。
 代わりになまえは茂みの奥を指さす。まだ震えていた。

「あっち?何かいるの?」
「…うん」
「逃げたほうがいい?」
「うん。…ううん、だめ、まって、駄目なの」

 口にしてからその矛盾に気がついてなまえは長い息を吐いた。
 恐ろしい、恐ろしくてたまらない、だけど「それ」を見捨ててはいけない。
 なぜそう思うのか一切わからないけれど。

「女の勘ってやつかな。信じたほうがいいんだよね、こういう場合」

 軽い口調で肯定してくれた伊作に頷く。
 そうしてふたりは手をつないで「それ」のほうへ踏み出した。