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期末考査を終えれば長期休暇が待っている。
夏の小麦と秋の米、農家ならば刈り取りに、商家ならば売り買いに、馬借ならば運送に、あるいは近所の手伝いにと、この時期は何かと忙しい。猫の手も借りたい実家から呼ばれる子供が多いため、学園では晩夏から秋にかけて一か月にも渡る休暇を設けているのだ。
が、必ずしも帰る家のある生徒ばかりとは限らない。低学年のうちは教師や知人のもとに身を寄せるが、日雇いで雇われるような年齢になれば、学園で自炊しながら働いたりする。
入学初年から大川のもとにいるなまえにとっては、もはや学園が実家といってもいいようなものだが、 いざ休暇が始まってしまえば、閑散とした学園にはどうにも慣れず寂しささえおぼえるのだった。
「なまえ、仕度できたか」
とは言え今年は例年と違い、数日一緒に過ごす同級生がいる。
すぐに、と返事をしながら鏡をちらりと見れば、妙に浮足立つ自分の顔があって、なまえは思わず苦笑する。食材の買い出しなど、はしゃぐほどのことでもないのに、連れがいるというだけで現金なものだ。
「お待たせ。行こうか」
部屋の障子を開けると、こちらも落ち着かない様子の食満が立っていた。制服姿は見慣れているが、町人の姿をしているのは珍しい。しげしげと眺めていると、「何だよ」と怒ったような声が降ってきた。
「…くのたま達が喜びそうだなぁって」
怪訝そうな顔を一瞬見せて食満が背を向けた。
「何だそれ。財布持ったか?」
「うん。あ、学園長から、お釣りで何か甘いの買ってきてくれって」
「饅頭か団子かな」
「帰りに食べていこうよ、せっかく二人で出掛けるんだし」
他愛ない話をしながら校門を出る。夏草の香りが頬をなで、おくれ毛が首筋に張り付くのを感じる。油照りと言われる京の暑気はこれよりひどいものなのだろうか。幼いころに諸国を巡っていたと聞くけれど、なまえにその記憶はない。
知っているのは学園とその周辺、実習で行った近隣の町や城、それだけだ。
「今年は暑いねぇ」
「十数年ぶりの暑さらしいな。雨は降るからまだいいが、実家(ウチ)のほうじゃ漁がすっかり駄目だとさ」 隣を、普段より小さな歩幅で歩く食満をなまえは見上げた。
「食満の御両親って漁師さん?」「いや、鍛冶屋。漁具を作ったり、結構需要はあるんだ」
「凄い、用具委員長になるべくしてなったみたいな血統じゃない」
「何だそれ」
苦笑交じりに言って食満は石を蹴る。
「ま、俺は三男だから家業は関係ないんだ。兄貴二人で相槌は間に合ってるしな」
「へぇ…」
『家』というものに馴染みの薄いなまえには現実味のない話だが、忍術学園の生徒には珍しくないことだ。家督を継げない子供が何がしかの職を得るため奉公代わりにやってくる。話題にしないだけで他の友人たちにも何がしかの事情はあるだろう。
とはいえ六年目にして初めて聞いた『実家』の話だった。
「だから今年は帰らないの?」
「そういう訳でも、…いや、半分はそうかもな。自分の進路、はっきりするまではさ」
がしがしと乱暴に頭をかいて、食満はしかめ面で晴天をあおぐ。
「ここ来るのに金出してもらってるんだ。手ぶらじゃ戻れねぇよ」
「でも食満、こないだいくつか紹介先候補もらってたよね。そこから選ぶ気はないの?」
「なんで知ってんだよ」
「やだな、情報は大切だって先生たちにいつも言われてるでしょ」
にっこり笑って首をかしげれば、溜息まじりに肩を小突かれた。
「…まぁな」
「もったいない」
「お前なら仕えたいか?」
「え?うーん、…悪くない、とは思うよ。嫌ではないけど」
歯切れが悪くなってしまったのは、それらの城がどれもあまり大きくないところだったからだ。
他の、たとえば最近勢力を増しているタソガレドキやドクササコあたりに攻め込まれたら、落ちるまで長くはかからないだろう。そうならないように敵を作らない外交を心がけている、…群れをなす草食動物みたいな国。
仕官先としてけして不満があるわけではないが、自分の身を狙われた時、庇護にはなりえないだろうとなまえは思う。
むしろ有事の際には文字通りの人身御供にされる可能性のほうが高い。
「私は仕えるんじゃなく渡り歩くほうがいいな。…そう、利吉さんみたいなかんじで」
下手に一カ所にいて身元を特定されるより、転々としているほうがまだ、安全性は高いだろうか。よほど強くて、迷信など信じない現実的な城主を担ぐ国でなければそのほうがいい。
「利吉さんか」
「ただの例えだけどね。私じゃまだまだ逆立ちしたって追いつかないし」
「学園に残ったりは?お前がいなくなったら学園長先生も寂しがるんじゃないか」
「さあ…」
曖昧な笑いでなまえは返答をごまかした。表向き遠縁の娘と言うことになってはいるが、学園長のもとにいるのはあくまで六年間という『契約』だ。与四郎の一件以来特に何も話はない。変更はないだろう。己の身は己で守る。その時はもう目前まで来ている。先日の件は先駆けだ。
「学園長先生のところには、ほら、おシゲちゃんもいるもの」
「福富屋に嫁にいっちまうんじゃないのか」
「それこそまだまだ先のことだよ。やだ、食満、お父さんみたい」
なまえがふきだすと食満は渋面を作ったが、やがてつられて笑った。
「せめて兄貴っていえよ。…あいつら全然小さくってガキんちょだけど、でもそのうち俺らくらいの年になるんだよな。その時、俺も『目標の先輩』になって戻ってくる。必ず」
「食満も利吉さん狙いなんだ」
「しかも仕官して高給取りになるんだぜ。絶対追い抜いてやる」
「何その経済的な対抗心」
食満と話していると、こんな日がずっと続くような気がする。進路の話題ですら他愛無い笑いになる。居心地がいいなあ、となまえは思う。本当にずっと続けばいいのに。
(…実際あと五年たったら生きて会えるかどうか)
わきあがった言葉は胸の中で握りつぶす。学園を卒業する誰もが向き合う現実だが、今は目をつぶろう。まだ夏休みだ。
そんな夏休み気分でいたのが悪かったのか。
店ののぼりを見上げた瞬間、つま先に固い衝撃を感じた。
途端に体が傾く。往来で年頃の娘が受け身なんかとったら目立つかなぁ、いやどうだろう、考えてそのまま倒れることにする。一瞬で考えたと言えば格好いいがただ単に石に躓いて転ぶだけだ。情けない。
…だがしかし、予想した地面の感触はなかった。
きょとん、と目を開いてなまえは自分の腕の先を見る。どちらも傷やマメをこしらえた、大きさと作りの異なる手。支えられてそのまま引き上げられる。
食満に手を握られていることに気がついた瞬間、かっと頬に熱が上った。
「ご、ごめん!ぼんやりしてた」
今、絶対に顔が赤い。食満のほうを見れない。
動揺っぷりが恥ずかしすぎて逃げたくなる。が、握られた手は一向に解放される気配がない。どうしていいのかわからなくなって、なまえはうつむいたまま小さな声で訴える。
「あの、食満、手…」
「お前、また転びそうだからな。しばらくこのままでいいだろ」
怒ったような口調になまえは顔を上げた。
「このままって、だって」
途端に目が合って言葉が続かなくなる。妙に緊張感のあふれる食満の顔も赤いのは気のせいだろうか。もう気温のせいだか恥ずかしさのせいだかわからないけれど、顔だけじゃなくて体中熱い。触れた先から心の内がみんな伝わってしまいそうだ。
泣きそうになりながら頷く。神でも仏でもない何かに祈る。今だけだから、繋がることをゆるして、どうか。