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 伊作には「見舞い行く物じゃないと思うけど?」と言われたのに、勢いだけで無理矢理に来てしまった。天井裏まで来たものの、降りていいのかと食満は悩んでしまう。
なまえの部屋に来るのは初めてではない、が、これまでは不運すぎる友人の代理で委員会の緊急呼び出しという名目があった。自分の意思だけで忍び込んだのは初めてだ。…いや、伊作の遣いにしたって、他の奴に行かせたくないが為に陰で多少の努力はしたが。

(寝てたらどうする…?)

 具合が悪くて休んでいるのだから可能性は高い。わざわざそんな所に立ち入るのは迷惑だろう。

(むしろ寝顔とか…見ちまったら)

 脳裏を過ぎったのは、はだけた寝間着とか白い肌とか。駄目だ、自分のほうが色々と持たないかもしれない。

「大丈夫だよ、誰もいないから」

 心臓が跳ね上がる。
 一瞬息をのんで、恐る恐る天井板に手をかけた。見下ろした先ではなまえが半身を起こしていて、驚いた様子もなく座布団を寄越した。
 声をかけられなければ降りられなかっただろうが、こうも冷静でいられるのもなんとなく情けない。

「…何回来ても慣れねぇな。緊張する」

 座りながら呟くと、なまえは困ったように視線を落とした。

「ん?」
「…や、五年生には私も結構酷いことしたなーって思い出して」
「入学後の恒例行事か?まぁ、お前にやられたのは俺じゃないし気にすんな」

 子供のやることとはいえ、色仕掛けである『歓迎』。更に本音を言うならばなまえに手を握られたりくっつかれたりした後輩が羨ましい。その後の『実習』は何をされても文句は言わせない。

「それより、さっきの『はったり』って何だよ」
「あぁ…だって誰もいないんだもの。あんなとこに話しかけてたって、恥ずかしくなるのは自分だけでしょ?」

 そう、二人きりなのだ。
 なまえはまったく意識していないのだろうか。歳ごろの男女が同じ部屋に二人きり、隣には布団。
 顔に血が上りそうになって、食満は慌てて話をつぐ。

「…に、しちゃあ随分と間がいいよな」
「そこはほら、私と食満の仲だし」
 避けたつもりが大穴にはまった。口を開きかけるも、何も言葉にならず焦る気持ちが空回る。

(…笑い飛ばせるかよ)

 冗談として流してしまえば済む。なまえだってそんな気持ちで言ったのだろう。重みのない言葉だとわかっている。
 けれど、思い出すのだ。
 与四郎と楽しげに笑いあっていた顔。初対面といいながら打ち解けていた様子。なまえを見る視線に自分のそれが重なった。だから、こんなにも気にかかる。
 自分たちが似ているとなまえは言ったけれど、それならなおのこと、会ったばかりの奴よりは近くに在りたい。

 特別に、なりたい。

(だせぇ嫉妬)

 冗談にしてしまいたいのはこんなに余裕のない自分自身だ。

「…ごめん。悪ノリした」

 軽い台詞、にみせかけた言葉だとわかる。不安になると着物の袖を握りしめる癖を、あいつは、与四郎は知らないだろう。束の間の優越感を醜いと思いながら、食満は笑う。笑いながら心とは反対の言葉を口にする。

「それ、せっかくだから文次郎にもやってやれよ。あいつなら夜中に鍛練とか言ってここの天井にも来そうだし、呼び止められたら驚くぞ」

 実際に行こうとしようものなら自分がぶん殴って止めるのだが。

「『なんでわかった!』て言われたら『私と文次の仲じゃない』って?…う〜ん、なんか暑苦しい友情だなぁ。一緒に鍛練するはめになりそう」
「身も蓋も無いな。俺も同意だけど」
「うわー食満ひどっ」
「お前が言ったんだろ!」

 笑いあったままになまえが呟いた。

「まぁ、文次郎も夜中に来るようなことはしないよ。私たちもいい加減、歳が歳だし」

厭うような口調に留三郎は思わず立ち上がった。

「おまっ…」
「え?」
「…いや、俺も一応同級生で男なんだが、部屋に来てていいのか」
「食満は絶対夜中なんかにこないでしょ」

 それはそれで悲しいものだが、ここまで信用されていると、まさか普通に下心くらいあるとはとてもいえない。

「…ねえ食満、今朝のことなんだけど」
「あ?」

 引き攣った笑顔を浮かべるのに苦心していると、核心は予想外のところから飛んできた。なまえの方から切り出されるとは。
 なまえは微笑していたが、その手は着物の袖をにぎりこんでいる。「与四郎、何か言ってた?」
「何かって」
「その、…わたしのこと」

 ちゃんと送るはずだったのに急に来なかったりして、と続いたところで、食満はようやく首を振る。

「気にしてねぇよ。特に何も言われなかったし」
「そっか」

 ほっとしたようななまえの表情に、あわせて笑いながら食満は苦いものを噛み締める。

(…たった一日だろ)

 次に会う見込みもない、偶然出会った奴に、どうしてそんなに憂いてみせる。六年を共に過ごした自分達と、たった一日で同じ位置についたと言うのだろうか、与四郎は。
 なまえにとっての与四郎がそこまで特別なら、俺は…俺は?







 やわらかな西日の射す部屋で、腹の底が冷える感覚を知った。