12
暗がりの中、老婆はふと首を回した。障子にうつる影にむかい低く呟く。
「構わん。入れ」
やや緊張した声が、失礼します、と答え、行者姿の少年が姿をあらわす。月明かりを背にした与四郎に老婆…リリーは目を細め、笑みを浮かべた。
「ご苦労じゃったの。喜三太はかわりなかったか」
「はい。元気そうで、あちらの生徒達ともうまくやっていました」
「そうか…」
感慨深げに呟いた言葉に隠れる思いを与四郎は聞いた。今年で喜三太は九つ、死んだ長兄・嘉一郎と同い年になる。与四郎と三人兄弟同然に育った仲だ。彼が死んだ時のリリーの嘆きも知っている。
「それで首尾は」
感情の揺らぎを見せたのも束の間、リリーは静かな声を響かせた。緊張が走る。
「破り捨てました。それが答えと」
「まあ妥当だの」
あっさりとした返答に与四郎は思わず顔をあげた。
皺を刻んだ顔に苦いものこそ浮かべているが、予想していた怒気はない。
「…学園長たる矜持を損なう真似はするまいよ。わかっておった…。では与四郎、お前何か嗅ぎ付けたな」
「へ」
突然降って湧いた質問に与四郎は思わず素の口調に戻る。何かって何だ。
正直な少年の反応にリリーはふふんと口の端を吊り上げた。
「何かあったんじゃろう?簡単には手に入らんものだな。だから余計に欲しくて仕方ない。お前は昔っから物をねだらん子じゃったが、そんな顔をするならよほどの物じゃろうて」
「はぁ?」
「ふん、赤ん坊の頃から見とるんじゃ、様子が違う事なんぞ一目でわかるわい。食いっぱぐれの狼みたいな目をしとるぞ」
自信たっぷりに断言されて与四郎は小さく息を飲んだ。心当たりは、ある。リリーの予想するような「隠し事」ではないけれど。だが人から指摘されるほど俺は執着していたのか。…確かに、あの一度きりで手放す縁ではないつもりだったが。
「…情報じゃねーだよ」
「ほう」
「物でもねぇ」
「ほほぉう」
にまにまと嫌な笑顔を浮かべるリリーから顔を背けて与四郎は溜息をついた。どうせこの婆様に隠し事なんてできたためしがないのだ。下手に言い訳するほど後々からかわれると経験上よく知っている。
「同い年で、くのたま、って奴に初めて会ったんだ。ちっこいのに忍たまと一緒に実習にも出るってんで驚いた。思ったより話しやすかったな。そんだけだ」
「惚れたのか?若いのぅ」
「そんだけって言ってるじゃんか!っとに…」
ぶつくさ言う与四郎を面白そうに見ていたリリーだが、ふと真顔になる。
「忍たまと一緒ということはその娘、くのいちとしての課程は受けていないのか」
「はっきり聞いた訳じゃねーけど多分な。実技成績がすげーいいんで途中編入したんだってよ」
「…ほぅ。なるほど、それは競争相手が多くて難儀じゃの。実習で共に危機を乗り越えた者同士は愛が芽生え易いと…」
「だぁから違ぇって言ってっぺー!」
一瞬、リリーの目が底光りした、ように与四郎は思えた。けれどまた人を食ったような言葉に、ささやかな予兆は見逃してしまっていた。
いずれ彼はその理由を知るが、まだ先の話である。