「あー、おいしいぃぃ」

 満面の、というよりはもう蕩けきった笑顔で言われて、留三郎はおもわず苦笑してしまう。握り飯ひとつでなまえのこんな表情を見られるなんて安いものだ。

「悪い。飯と漬物しか残ってなかったんだ」
「いやもうほんと充分です。みんなはもう食べたの?」
「喜三太は部屋で食べるって。伊作は薬草の仕分けしてから来るって言ってたな」

 淹れたての茶をふき冷ましながらなまえが言う。

「種類ごとにまとめておいたけど…結構、量あったんだよね。後で見にいこうっと」
「そこまで時間かかるなら途中で切り上げてくるだろ。ゆっくり食えよ」
「ありがとう。食満の愛情が詰まったおにぎりだもんねー」
「な…っ」

 くすくす笑うなまえに「顔赤いよ」と指さされて留三郎は横を向いた。どうせ冗談でしか言っていないのだろうけれど、好きな相手に愛情とか言われるのは恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
 苦し紛れに話題を変えようと「そういえば!」と無理やり声を張り上げた。

「えーと、あ、客ってのはどんな奴だったんだ?」

 握り飯を半分持ったまま、なまえは首をかしげた。

「与四郎って言うんだけど、なんか人当たりが良くて頼れるお兄さんって感じの人だった。喜三太君が懐くのもわかるなぁ。…ああ食満、そんな不貞腐れないの!可愛い後輩とられたからって…」
「別に喜三太が誰に懐こうと気にしねぇよ」

 それよりお前が、と言いたい本心はぐっと飲み込んで、熱い茶をあおる。
 今日会ったばかりの男と名前で呼び合うほど親密になったのか。留三郎自身、呆れるくらいの嫉妬心だ。が、自分が未だにずっと名字で呼ばれているだけに気になる。

「で、そんだけか?」

 なるべくなんでもないように訊ねてみる。内心はこれでさらに「格好いい」とか出てきたらどうするんだと気が気ではない。
 そんな留三郎の気も知らず、なまえはのんびりと握り飯をほおばった。

「んー…。あ、食満に似てるかも」
「は?」
「なんか背格好とか目元のかんじとか…うん、だからなんか気軽に話せちゃうんだよね」

 そっか与四郎って食満に似てるんだ、と一人納得して頷いているなまえに、何と言っていいのか解らなくなる。これは喜ぶべきなのか、どうか。
 ただ何よりも気になるのはやはり呼び方だ。
 考えてみれば伊作も名前で呼ばれている。委員会繋がりで一番付き合いが長いということを考慮すれば普通のことだが、そこに、自分が入らないのはやはりこう…。

(だーっ、もう面倒くせえ!)

「なまえ!」
「はい?」
「その、だな…。な、名前を」
「いやー遅くなっただぁよー」
「あ。与四郎」

 絶妙の間で割り込んできた男をぶん殴りたくなった。が、これが客人だ。そしてそれに礼を言うために食堂に残っていたのだ。理性を総動員して留三郎はふるふると震える拳を机の下に隠した。
 そんな水面下ならぬ机下の様子を知らず…あるいは知っていても黙殺しているのか…与四郎は臆した様子もなくこちらへやってきてなまえの隣に座る。

(この野郎…)

 大変腹立たしい。が、彼を連れてきたなまえの目の前で、喧嘩するわけにもいかない。額に青筋が浮かんでいそうな気もするがなまえが特に何も言わないのなら大丈夫だろう。平常心平常心と口の中で呟く。文次郎相手ですらこんなに我慢したことはない。いや、文次郎だから我慢しないの間違いかもしれない。

「…食満留三郎だ。後輩が世話になった」
「風魔の錫高野与四郎だ。後輩っつーのは喜三太のことか?」
「食満は用具委員会の委員長なの。喜三太君たち後輩に大人気なんだよ。このおにぎり作ってくれたのも食満だからね」
「おぉ、ありがとうなー。いただきます」

 にこにこしながら与四郎が握り飯に手を伸ばす。腹が減っていたのか、嬉しそうにぱくつく顔が幼く見えて、留三郎はなんだか毒気を抜かれてしまった。

「うめぇ!」
「あーそりゃよかった」

 これがなまえの言う「人当たりが良い」の部分なのだろうか。自分と言うよりは小平太あたりに似ているような気がする。…そうして何気なく、握り飯を持つ手を見て、はっとした。肉刺が潰れて皮膚が硬くなった手。自分も同じような手をしているからわかる。相当鍛錬している手だ。

「お前も何か武道やるのか?」
「ん?んー、最近は棒術の稽古付けてもらってる」
「棒術か…!」

 忍術学園では体術とともに教わる武術の基礎だが、剣術などに比べると極めるものの少ない部類だ。留三郎自身、授業以外で棒術の使い手と対峙したことはない。

「よし、風呂の前に手合わせしてくれ」
「ちょっと食満、どこの潮江なのそれ!?」
「ん、どうしたんだい?」

 食堂の暖簾をくぐってきた伊作が、怪訝そうに訊ねた。

「食満が与四郎に手合わせしようって」
「へぇ…まあ手合わせだけならで喧嘩することはないだろうけど、事の次第によっては僕も考えるよ。最近新しい薬を調合したんだけど、飲んでくれる人がいなくて困ってたんだ」 

 さらっと落された爆弾に留三郎と与四郎は青ざめた。何の薬か知らないが本気で怖い。
 無言で頷くのを確認して、伊作はいつもの笑顔に戻った。

「なまえ、学園長先生がお呼びだそうだよ」
「…私を?」
「さっきヘムヘムが医務室に来てね。急いで来なさいってさ」
「そう…じゃあ皆、また明日ね」

 なまえが席を立ったのを潮に、だれともなく皿を片づけ始める。
 手合わせなら文次郎にも声をかけたほうがいいだろう。小平太はいわずもがな、長次や仙蔵も面白がって見に来そうだ。
 忍術学園の夜はまだ始まったばかりだった。