4/おはよう

 雨の気配がする。音ではなく、肌に感じる光のような、あるいは匂いのような、そういう空気の密度が、何かいつもと違って感じられた。
 暗い冬の朝でも共寝の布団は暖かい。綿をたっぷり使った厚い布団は寒がりななまえのために誂えた物だったが、こんなに被ったら重くて仕方ないと、結局彼女は敷布団だけを使って、掛け物にはもう少し薄い布団を自分で用意してしまった。新八が訪れる夜にだけ、掛敷き両方ともつきたての餅のような布団が使われる。
(なっかなか潰れねえモンだなー)
 やわらかすぎてずぶずぶと沈みこむような布団の感触には、買い与えた新八自身もなかなか慣れない。
 苦笑しながら這い出すとなまえが薄目を開けた。
「支度…」
「厠いくだけ。ちゃんと布団暖めててね」
 はい、と従順な返事に、抜けたばかりの布団の感触がよみがえる。やわらかく温いところに沈みこんでそのまま起きられなくなりそうな、とろとろの声だ。振りきるように縁側に出れば、一面が目に染みる白で埋もれていた。
「あー…、雪だったか」
 雨ではなかったけれどまるきりの見当違いでもなかったわけだ。
 江戸の雪はきんと冷えて、どこか軽やかなものだったが、目の前の庭に積もった雪はひたすら重厚で草木も黒塀も押し潰されてしまいそうだ。小さく身を震わせて新八は縁台から降りた。用意されていた高下駄のぶんだけ背が伸びる。
 用を済ませてもなんとなく気が向いて、まだ掃いてもいない雪の庭をぐるりと巡ってみる。今時分屯所では若い隊士達が雪かきを終えた頃か。力仕事どころか稽古さえしない己が後ろめたくなって目を閉じる。
「風邪をひきますよ」
 背後からの声に振り向いて新八はため息をついた。
「寝てろって言ったのに」
「また二人で入ればいいですよ。お布団、ちゃんと暖かいから」
 羽織を持ってきたなまえの手は少し冷えていた。支度はいらないと言われても、あのあとすぐに羽織を取りに行ったのだろう。
 従順なのかそうでないのか。なんと表したものかなと考えながら新八はありがたくそれを受け取った。自分の行動を読まれていても不快にならないのはもともと相手との間に双方向の好意があるからだろう。
「目、さめちゃった?」
「そうですね」
 くすくすと笑いながら、御飯にしますか、となまえが戻りかける。その腕をつかむときょとんとした顔が振り返った。
「布団、温かいんだろ。今日はサボり。ダラダラする日」
 自分の怠惰を一人で背負いたくないから共犯を求める。勢いに任せて口にした怯懦にもなまえは少し目を見開いて、いいですよ、と笑った。
 そのままふたりで重い雪に囲まれて、やわらかな布団に沈みこんで、浮かび上がれなくなって…。
(贅沢な牢獄だなァ)
 去り際に振り返れば、女を囲いこんだ黒塀が雪の白さにまぎれず立っていた。