3 / 指先


「痛っ」
 小さな悲鳴に顔をあげると、繕い物をしていたなまえが顔をしかめて生地を膝に置くところだった。
「刺したんか」
 珍しいことに対する驚きと、からかいを半々に尋ねれば、なまえは眉を落として首を振った。
「ううん、指が割れちゃった」
「見してみ」
 針を山に戻し、なまえは素直に右手をさしだす。赤くなった手指の中で、ひときわ荒れた箇所が、ぱくりと割れて血を流していた。
「まだまだ寒いからねぇ」
 妙に感慨深そうになまえが言う。まるで他人事やな、と言いたくなるのをこらえて烝は顔をあげた。
「膏薬つけとくか」
「勿体ないからいらない。どうせすぐ水仕事するし。それより何か巻いてもらっていい?」
「端切れは」
「そっちの行李に入ってる」
 開いた中、できるだけやわらかそうなのを探して手にとる。細く裂く間もなまえはあいかわらず、荒れた指先を眺めていた。
「押さえるで」
 巻き始めの一瞬に顔を歪め、細く息を吐き出し、なまえは空いた片手に視線をうつした。
「昔、人柄は手に出るって言われてね。正直ちょっと恥ずかしかったの。そこらの嬢さんみたいにきれいじゃないから」
「阿呆。手ぇ荒れるくらい努力せぇ、言う話やろ」
 巻き終えた布を結ぶと、なまえはありがとうと微笑んで再び針山に手を伸ばした。
「まあ、今は意味もわかるし気にしてないよ。でも少し憧れはするなぁ。島原の太夫は真っ白い指なんでしょ?傷をつけないように苦労するって聞いたけど」
「俺はよう行かんからわからんな。せやけど毎日三味線だの琴だの弾いとったらタコくらいできるんとちゃうか?」
「あぁ、それもそっか…」
 語尾が少しぼやけて、なまえの意識が会話より手元の着物にいったのがわかった。烝もまた本に目を落としたものの、先程のように集中はできずに、すぐ閉じた。
 かわりになまえを眺める。
 伏し目の影や、布ごしに浮き上がる手の形や、少し前屈みになった背中の線や、それから先程布を巻いた指。
 なめらかな動作で針を繰り、糸を引く。一定の早さで繰り返す間に擦りきれた穴や鉤裂きが塞がれていく。烝はもちろんのこと、自分の衣類は自分で修繕する者が隊内では大半だが、それでもなまえがやったものと比べると何か仕上がりが違うと言うのが専らの評判で、それゆえ彼女の仕事はつきない。
 ふと、いたたまれないような気持ちになって呟く。 
「…なあ、やっぱりちゃんと薬つけんか」
「ええ?勿体ないって…」
「見てられん」
 いらないよ、と言う声を無視して立ち上がった。


 自室の引き出しをあけて烝は溜息をついた。
 …あんな小さい傷ひとつ。
 …なに考えとんねん、俺。
 自己満足は百も承知だ。膏薬なんかつけた所で冬の間手が荒れるのはどうしようもない。しかしあの細い指を思い描く時、どういう経緯であれ彼女が他人のために傷つくことは、とうてい許容しがたいのだった。